花仕舞師

RISING SUN

文字の大きさ
74 / 159
第六章──信(たより)の愛し人、裏切りを超えて

74話

しおりを挟む
 蒼真は、夜明け前に里を出ようとした。荷物を纏め、破れた絹綾きぬあやの袋をしっかりと懐に仕舞い込んだ。足音を立てずに、その正面にある玄関の扉に手をかける。年月を重ねた杉板製の引き戸。節目の浮いた板にはところどころ染みが浮かびあがり、雨に打たれた跡が斑に残っている。丁寧に塗り重ねられた黒塗りは、もはやところどころ剥げ、地の木目が覗いている。金具はかつて真鍮だったのだろうが、今はくすんで黒ずみ、触れるとわずかに冷たい。だが、それでも扉はきちんと拭かれ、敷居には小さな箒の跡が見える。
「最後となれば、普段は目の行かぬところまで見えてしまうものよ……」
 蒼真はゆっくりと引戸を引いた。
「えっ……何ゆえ、ここに……?」
「きっと蒼真殿は、夜明けを待たず黙してこの里を立たれようと、そう案じまして……」
 待っていたのは秋架だった。
「しかし……」
「蒼真殿はわかりやすきお方……まこと誠実なお人ゆえ」
 秋架は寂しく微笑んだ。
「明け方の風は冷たうございます。早うお戻りなされませ」
 蒼真は帰るよう促した。
「少しばかり、お話を賜りとう存じまする……」
「何を申される。これ以上、疑わしき余所者と刻を重ねるは秋架殿にとりて良きことならず……ごめん……」
 蒼真は笠を目深くかぶり、里を出ようとした。
「お待ちくだされ……蒼真さま……篠原蒼真しのはらそうまさま」
 蒼真はぎょっとし、秋架に振り向いた。
「な、何ゆえ……我が真名を……」
 秋架はそっと、懐から小袋を出した。
「それは……その御袋は、殿の『信』を許された者のみに授けらるる鷹司家の加護の証にて候。いかにして秋架殿が……それを……」
 秋架に上に立つ者の風格の輝きが見える。
「我が性は鷹司。父は鷹司文綱たかつかさふみつな。されど端女の子なれば、日陰に生まれし姫君と、戯れに申されておりました」
「そ、それは……知らなんだ……」
 初めて聞く。文綱に端女の子がいたことに驚いた。夜明け前の冷たい風が沸き上がる何かを揺るがす。
「表立つことはなく、使用人としてひそやかに仕えておりましたゆえ……」
「しかし、なぜにここに? 何ゆえ、この辺境におられるのですか?」
 蒼真は里を出ていくことをしばし忘れ、秋架に問い詰めるように言葉を重ねた。ここに文綱の血を受け継ぐ者がいたことに血が滾る思いがした。
「殿は慈悲深き御方。陰ながらのわが身にも情けをかけてくださり、先の西嶺との戦に際し、この中立の地、高杜に身を寄せよとお命じくださいました。されば、われもまた蒼真殿と同じ、余所者にてございます」
 だが、たとえ端女の子とて文綱の血潮がそうさせるのか。蒼真は片膝を付き秋架に頭を伏せた。
「頭をお上げくだされ……蒼真殿。そなたがわれに頭を下げる理由など、ござりませぬ」
秋架は着物が汚れることもいとわず、膝をつき頭を深々と下げる蒼真に寄り添った。
「われは信じております。蒼真殿……そなたが無実であると……」
 信じることを疑わない慈悲深い秋架に蒼真の心は持たなかった。
「御免つかまつる……」
 蒼真は立ち上がり、想いを振り切るように走り去った。茜色の空が、まだ灰色に眠る高杜を包む頃、彼の姿は谷の霧に紛れて、静かに消えていった。姿を見送る秋架。

 ──護るは、信じらるることとは別なり……──

 その言葉が、風に乗って届いたような気がした。きっと彼は、自らを差し出すことで、この里の『信』を守ろうとしたのだ。秋架は、門の外に続く山道を見つめる。何も言えなかった。何もできなかった。

 ──あの御方は、恐らくや真直にして、己が定めし道を往かれん──

 秋架はなぜだか胸が温かくなり、寂しさが込み上げていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ドマゾネスの掟 ~ドMな褐色少女は僕に責められたがっている~

ファンタジー
探検家の主人公は伝説の部族ドマゾネスを探すために密林の奥へ進むが道に迷ってしまう。 そんな彼をドマゾネスの少女カリナが発見してドマゾネスの村に連れていく。 そして、目覚めた彼はドマゾネスたちから歓迎され、子種を求められるのだった。

性別交換ノート

廣瀬純七
ファンタジー
性別を交換できるノートを手に入れた高校生の山本渚の物語

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

鐘ヶ岡学園女子バレー部の秘密

フロイライン
青春
名門復活を目指し厳しい練習を続ける鐘ヶ岡学園の女子バレー部 キャプテンを務める新田まどかは、身体能力を飛躍的に伸ばすため、ある行動に出るが…

おじさん、女子高生になる

一宮 沙耶
大衆娯楽
だれからも振り向いてもらえないおじさん。 それが女子高生に向けて若返っていく。 そして政治闘争に巻き込まれていく。 その結末は?

愛しているなら拘束してほしい

守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。

春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話

登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。

黒の神官と夜のお世話役

苺野 あん
恋愛
辺境の神殿で雑用係として慎ましく暮らしていたアンジェリアは、王都からやって来る上級神官の夜のお世話役に任命されてしまう。それも黒の神官という異名を持ち、様々な悪い噂に包まれた恐ろしい相手だ。ところが実際に現れたのは、アンジェリアの想像とは違っていて……。※完結しました

処理中です...