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第九章──忍(しのび)の想い、秘めし愛の守り手
135話
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「本日もよう入っておるな……みな紅花お目当てにて候か」
座元の、叶屋崎市三朗が大入りにほくほく顔。
「げに紅花殿の人気、妬け申すわ……」
同じ女方の夏朝里が手拭い咥えて悔しがる素振りを見せて、みなを笑わせる。
琥太郎は紅をひき、唇を整える。白粉を塗った表情に紅が映え、みな息を飲み、男と忘れる瞬間。
「みなの力あればこそ、妾の力みではござらぬ。まこと感謝こそすれ、決して驕り申さぬ。いざ舞台に精魂込め、今宵も見物衆を惑わしてみせ申そうぞ。緋美……こちらへ」
紅花へと変貌した琥太郎は緋美の唇に紅をひく。
「あい、いとしき緋美……げにうつくしきことよ」
「母上さま……」
そっと、頭を撫で紅花は立ち上がり、袖を振るう。
「いざ、舞うぞ、みなの衆」
白檀の薫り漂う中、紅花は花道へと向かう。
「華やかなることよな……清さま」
根子が芝居小屋の舞台を見渡し感嘆のため息を漏らす。
「げに、胸の奥まで締め付けらるる思い……根音、そなたも左様に思うてはおらぬか?」
隣の根音に語りかけるが根音は上の空。
「おい、ガキ……しっかりいたせ!」
まるで羽化した蝉の脱け殻のような根音に根子が静かな声で睨む。
「う、うん……」
返事は心ここにあらず。先ほどの出会いに心奪われた根音。
「ほんに、ませガキめ……」
呆れた表情の根子。
その瞬間舞台が一瞬静まり返る。花道に花が咲くと拍手喝采。紅花の姿がまるで花。その割れんばかりの拍手が静寂を打ち破る。
「今宵も花死の腐りし痣、追わば悲劇の幕開くなり──」
紅花の一声でざわめきがぴたりとやむ。誰もが息を呑み、舞台と同化する。それは見物衆が舞台の景色になり、息する呼吸音が風となる瞬間。紅花の動きに合わせ、景色ぐゆれ風がそよぐ。演目が最高潮になれば、景色はさらにごうごうに揺れ風は嵐になる。
「──花死の舞に候……」
花仕舞師役の紅花の決まり文句が決まる。見物衆は待ってましたと言わんばかりに静かに魅入る。哀愁漂うような舞がはじまる。
──「緋美よ……よう覚えておけ……舞は時の情にて変わるもの。嬉しさも、哀しみも、心をそのまま映すものぞ」──
父、琥太郎の言葉を舞台袖で思い出す緋美。
──あの時とは違う。今は哀しか感じぬ舞──
逃げ出した仕舞われ役の秋步が、ぐたりと倒れむくりと起き上がる。紅花の死仕舞師は、涙の煌めきと手を差し出す美しさ。それはまるで見物衆が仕舞われるように錯覚す。
紅花の幕引きの台詞に、酔いしれる。
──「願わくば……花死になど、致したくはなかった……」──
中にはその美しさにあてられ、魂を抜かれるが如く気を失うものも現れた。
「まこと美しゅう……」
「はい、清さま……此は『花死奇談』、げに清さまたち花仕舞師を元とした御伽噺にて候」
「まことか……」
根子はそう言いながら心でため息をついた。
──清さまは、あの浅ましき夜の出来事より、前の記憶はやはり持たれぬか……──
根子は落胆の素振りを見せることなく「はい」とだけ、返事をした。
座元の、叶屋崎市三朗が大入りにほくほく顔。
「げに紅花殿の人気、妬け申すわ……」
同じ女方の夏朝里が手拭い咥えて悔しがる素振りを見せて、みなを笑わせる。
琥太郎は紅をひき、唇を整える。白粉を塗った表情に紅が映え、みな息を飲み、男と忘れる瞬間。
「みなの力あればこそ、妾の力みではござらぬ。まこと感謝こそすれ、決して驕り申さぬ。いざ舞台に精魂込め、今宵も見物衆を惑わしてみせ申そうぞ。緋美……こちらへ」
紅花へと変貌した琥太郎は緋美の唇に紅をひく。
「あい、いとしき緋美……げにうつくしきことよ」
「母上さま……」
そっと、頭を撫で紅花は立ち上がり、袖を振るう。
「いざ、舞うぞ、みなの衆」
白檀の薫り漂う中、紅花は花道へと向かう。
「華やかなることよな……清さま」
根子が芝居小屋の舞台を見渡し感嘆のため息を漏らす。
「げに、胸の奥まで締め付けらるる思い……根音、そなたも左様に思うてはおらぬか?」
隣の根音に語りかけるが根音は上の空。
「おい、ガキ……しっかりいたせ!」
まるで羽化した蝉の脱け殻のような根音に根子が静かな声で睨む。
「う、うん……」
返事は心ここにあらず。先ほどの出会いに心奪われた根音。
「ほんに、ませガキめ……」
呆れた表情の根子。
その瞬間舞台が一瞬静まり返る。花道に花が咲くと拍手喝采。紅花の姿がまるで花。その割れんばかりの拍手が静寂を打ち破る。
「今宵も花死の腐りし痣、追わば悲劇の幕開くなり──」
紅花の一声でざわめきがぴたりとやむ。誰もが息を呑み、舞台と同化する。それは見物衆が舞台の景色になり、息する呼吸音が風となる瞬間。紅花の動きに合わせ、景色ぐゆれ風がそよぐ。演目が最高潮になれば、景色はさらにごうごうに揺れ風は嵐になる。
「──花死の舞に候……」
花仕舞師役の紅花の決まり文句が決まる。見物衆は待ってましたと言わんばかりに静かに魅入る。哀愁漂うような舞がはじまる。
──「緋美よ……よう覚えておけ……舞は時の情にて変わるもの。嬉しさも、哀しみも、心をそのまま映すものぞ」──
父、琥太郎の言葉を舞台袖で思い出す緋美。
──あの時とは違う。今は哀しか感じぬ舞──
逃げ出した仕舞われ役の秋步が、ぐたりと倒れむくりと起き上がる。紅花の死仕舞師は、涙の煌めきと手を差し出す美しさ。それはまるで見物衆が仕舞われるように錯覚す。
紅花の幕引きの台詞に、酔いしれる。
──「願わくば……花死になど、致したくはなかった……」──
中にはその美しさにあてられ、魂を抜かれるが如く気を失うものも現れた。
「まこと美しゅう……」
「はい、清さま……此は『花死奇談』、げに清さまたち花仕舞師を元とした御伽噺にて候」
「まことか……」
根子はそう言いながら心でため息をついた。
──清さまは、あの浅ましき夜の出来事より、前の記憶はやはり持たれぬか……──
根子は落胆の素振りを見せることなく「はい」とだけ、返事をした。
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