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第十章──畏(かしこみ)の祈り、神を信じた巫女
159話
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目の前には高く聳える、霊山。しかしながら山頂付近、霞む霧はまるで、曇天覆いかぶさる様。閉ざされた門のように清たちを拒む。そこに天高くまで聳えるが如く、石段が現れる。
「この高みに至る石段……登りつめた先にこそ、仕舞うべき者、おるなり……」
清は一歩、階に足をかける。ただ一段登っただけで、気の音が変わる。また一段上がると気の色が変わる。また一段、気の薫変わり、一段、気の味が変わる。次の一段で気の温みが変わる。見上げればそこは終わりなき段が永遠に続く気配。体力、気力をことごとく削る。それでも、清は登り続けた。
「これしきのこと……躊躇うべきにはあらず」
清は何段、足をかけたか覚えることのできぬほど登る。音も色も薫も味も、そして温みも無になる。試されている感覚だけが残る。
ふいに、清は振り返る。底知れぬ靄の海が広がっている。
──このまま堕ちてゆけば……どこぞの世界に繋がるか? 現世? 幽世? それとも……──
清は自然と足をゆっくりとずらしていく。
──堕ちたい……このまま……──
またしても、突然の死の衝動に駆られる清。そのまま目を閉じ、ゆっくりと身体を傾けてゆく。
──あぁ、堕ちる、なんという快楽……──
「清さま……!」
がっしりと、根音、根子が清を支える。根音がそっと根子に耳打ちする。
「清さま……御身は大事にてござろうか……? このまま、あの御方にお会わせ申せば、必ずや裁き受けること必定……それなれば、俺らには……どうする術もなし。花天照なれども、及ばぬやも。なにせ、あの御方は、人にして人にあらず。神の器、巫女、神座にてあらせられる……誤魔化しなど通じませぬぞい……」
「承知のうえじゃ……されど、主である清さまが望まるるならば、うちらに止める術など、ありはせぬ……行くも地獄、行かぬもまた地獄……」
頭を抱える根子。
「何を騒いでおるか、根音、根子……」
正気を取り戻した清は、騒ぐ二人に声をかけた。
「なんでもござりませぬ。ただ、腹が減ったと根音が喚いておりまして……まこと、根音はガキにござりまする」
根子が取り繕う。
「なにを申すや、跳ねっ返りが!」
根音も合わせる。
「まったく……ここまで来て、また喧嘩かや? よせよ、二人とも……それより見よ、本堂が……その姿を顕したぞ……」
そこに在るは、天を突き破らんとそびえる古の社、本堂。幾重にも重なる屋根は苔むし、深い翠を宿す。瓦の割れ目からは細い草が顔を覗かせ、時を超えた静寂の中にひそやかな命を息づかせている。木組みは幾百年の雨風に晒され、黒ずみ、ひび割れ、時に朽ち果てた柱が骨のように突き出している。それでもなお崩れず、ただ厳かに人々を見下ろすその姿は、信仰と畏怖が重なり合った記憶の結晶のよう。
奥に鎮座する扉は、薄墨色に変じた檜の板が幾度も修復され、古びた鉄の金具には無数の祈りを刻んだ爪痕が残る。風が吹けば、屋根の鰹木と千木がわずかに鳴り、まるで神の呼吸を思わせる音が境内に満ちる。天井からは垂れ下がる幾筋もの注連縄が重く揺れ、破れかけた紙垂が静かに震えるたびに、無言の神威が人の心を押し潰す。
ここは、誰が呼んだか「忘れられた神域」。古びたがゆえに、なお一層、存在感は峻烈。
──この社、本堂こそ、刻を超え、人知れず息づく神の容れ物。これから千年、万年、刻が経とうとも、崩れること想像つかぬ、天器ノ匣社。
「この高みに至る石段……登りつめた先にこそ、仕舞うべき者、おるなり……」
清は一歩、階に足をかける。ただ一段登っただけで、気の音が変わる。また一段上がると気の色が変わる。また一段、気の薫変わり、一段、気の味が変わる。次の一段で気の温みが変わる。見上げればそこは終わりなき段が永遠に続く気配。体力、気力をことごとく削る。それでも、清は登り続けた。
「これしきのこと……躊躇うべきにはあらず」
清は何段、足をかけたか覚えることのできぬほど登る。音も色も薫も味も、そして温みも無になる。試されている感覚だけが残る。
ふいに、清は振り返る。底知れぬ靄の海が広がっている。
──このまま堕ちてゆけば……どこぞの世界に繋がるか? 現世? 幽世? それとも……──
清は自然と足をゆっくりとずらしていく。
──堕ちたい……このまま……──
またしても、突然の死の衝動に駆られる清。そのまま目を閉じ、ゆっくりと身体を傾けてゆく。
──あぁ、堕ちる、なんという快楽……──
「清さま……!」
がっしりと、根音、根子が清を支える。根音がそっと根子に耳打ちする。
「清さま……御身は大事にてござろうか……? このまま、あの御方にお会わせ申せば、必ずや裁き受けること必定……それなれば、俺らには……どうする術もなし。花天照なれども、及ばぬやも。なにせ、あの御方は、人にして人にあらず。神の器、巫女、神座にてあらせられる……誤魔化しなど通じませぬぞい……」
「承知のうえじゃ……されど、主である清さまが望まるるならば、うちらに止める術など、ありはせぬ……行くも地獄、行かぬもまた地獄……」
頭を抱える根子。
「何を騒いでおるか、根音、根子……」
正気を取り戻した清は、騒ぐ二人に声をかけた。
「なんでもござりませぬ。ただ、腹が減ったと根音が喚いておりまして……まこと、根音はガキにござりまする」
根子が取り繕う。
「なにを申すや、跳ねっ返りが!」
根音も合わせる。
「まったく……ここまで来て、また喧嘩かや? よせよ、二人とも……それより見よ、本堂が……その姿を顕したぞ……」
そこに在るは、天を突き破らんとそびえる古の社、本堂。幾重にも重なる屋根は苔むし、深い翠を宿す。瓦の割れ目からは細い草が顔を覗かせ、時を超えた静寂の中にひそやかな命を息づかせている。木組みは幾百年の雨風に晒され、黒ずみ、ひび割れ、時に朽ち果てた柱が骨のように突き出している。それでもなお崩れず、ただ厳かに人々を見下ろすその姿は、信仰と畏怖が重なり合った記憶の結晶のよう。
奥に鎮座する扉は、薄墨色に変じた檜の板が幾度も修復され、古びた鉄の金具には無数の祈りを刻んだ爪痕が残る。風が吹けば、屋根の鰹木と千木がわずかに鳴り、まるで神の呼吸を思わせる音が境内に満ちる。天井からは垂れ下がる幾筋もの注連縄が重く揺れ、破れかけた紙垂が静かに震えるたびに、無言の神威が人の心を押し潰す。
ここは、誰が呼んだか「忘れられた神域」。古びたがゆえに、なお一層、存在感は峻烈。
──この社、本堂こそ、刻を超え、人知れず息づく神の容れ物。これから千年、万年、刻が経とうとも、崩れること想像つかぬ、天器ノ匣社。
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