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第1~3章 ダイジェスト編
2話 取り引き
しおりを挟むリク・バルサックは、なんとなく自分が特別な存在であると信じていた。
生まれた時から、ずっとである。
なぜなら、生まれた時から「知識」を持っていたからだ。知識も何もない真っ白な状態ではなく、体験したこともない記憶やら知識を携えていたのだ。
……俗に言う、前世の記憶と言う奴だろう。
リクの前世は、何のとりえもない少女だった。成績も微妙で、同級生からイジメを受け、オタクと言う名の文化に逃避しながら、トラックにひかれるまで平凡に生きていたらしい。
だが、リクは前世の記憶を認めていなかった。むしろ、前世の記憶を嫌っていた。
自分の中に知らない何かがあることが、気持ち悪くて仕方ない。だから、前世の記憶は徹底的に無視した。テレビや自動車と言う知識も便利だが、前世の記憶は肝心な構造について何一つ知らないのだ。再現することも出来ない知識など、無価値である。
ただ1つ、リクが気にとめていたのは――とある娯楽に関する記憶だった。
そのゲームは、ギャルゲーというジャンル、らしい。
退魔師の主人公が、可愛らしく個性的な仲間と一緒に、魔王の封印を解こうとする魔族と戦うゲームなのだ。
しかし、このゲームの趣旨は魔族を殲滅することではない。それよりも、可愛らしい女の子たちと繰り広げる恋愛を楽しむことを目的にしている。そんなゲームの主人公が弟……ルークであった。
ゲームの中では、リクはハーレムの初期メンバーとして登場する。ゲーム開始の時点で、既に影が薄い2番目の姉。設定上、幼い頃のルークに命を助けられて、ルークに全幅の信頼を置いている……らしい。
『ルークは、私の居場所だから』
と、笑いながら、巨乳メイドと一緒に身の回りの世話を率先してるのだ。
力仕事を得意とし、ゲーム序盤のクエストでは、リクの力を借りなければならない。巨大な壺を動かして、隠し扉を見つけ出す。
……もっとも、二週目以降はアイテムを引き継げるので、他の仲間でも動かせる。ゆえに、別にリクがいなくてもストーリーは進む。事実、この壺を動かすクエスト以外は特に使い道もない。
ところが、魔王軍を率いていた魔王妹を改心させ、世界に平和が訪れた時のシーンでは、隅の方に小さく映っている。一応、ストーリーの最後まで生き残るキャラである。
……役に立たないだけで。
リクは、前世の記憶は嫌悪していたが、このゲームの記憶だけは気にしていた。今は平和だ。魔族が活性化することもあるが、そこまで大きな騒ぎにはならない。けれど、確実に大きな戦争が始まるのだ。だから、力を蓄えなければならない。
しかし……いつまでたっても退魔術を扱うことが出来ない。いくら訓練しても、力ばかり強くなるばかりだ。このままでは、なにも役に立つことが出来ない。
『勝ち組の人生だから、実は油断してたんじゃない?』
誰かの、声が響いてくる。
そうだ、リクは油断していた。
鍛錬は欠かしたことがなかったし、死に物狂いでやっていた。今は単なる馬鹿力しかないけれど、たぶん大人になってからも優秀な退魔師になれないけれど、それでもバルサック家にいられるはずだ。
リクは、前世の記憶があるせいで油断していた。自分はルークと一緒に生き残るものだとばかり、思い込んでいた。
そう、それがいけなかったのだ。
「そうだ、これがあったから……こんなものがあったから、いけなかったんだ」
浜辺に打ち付けられたリクは、自分の額をつかむ。
こんな記憶があるせいで、下手に自信を持ってしまった。
いつか退魔術が使えるようになって、いつまでも家に居られると思ってしまった自分が憎い。
いや、これは果たして自分の前世なのだろうか。
リクは思案する。これは、前世の記憶などではない。例えるなら、リクの部屋にいつの間にか置いてあった本だろうか。リクには直接関係ない貧弱な知識の塊に過ぎない。
つまり、リク・バルサックとは関係ない何かなのだ。
得体のしれない記憶のせいで、自分の人生は滅茶苦茶にされた。
リクは、額を強く爪を立てた。じんわりと血が滲み始める。今更、この程度の痛みなんて関係ない。黒い感情が広がり始め、リクの心を満たしはじめる。
……そんな時だった。
『そう、じゃあ、その記憶いらないんだ』
ぱさり、と黒い羽がリクの前に落ちた。
誰もいなかったはずの浜辺に、黒い男が立っていた。黒い羽を生やした美男子が、リクを見下ろしていた。黒い羽を一瞥したリクは、鼻で笑った。
「あなたは、魔族?」
『いや、死神さ』
死神は薄笑いを浮かべると、不思議な巻物を掲げた。
古びた巻物には、びっしりと細かい文字が書かれている。リクは眼を細めて文字を読んだ。
「契約書……願いを1つ叶える。代わりに魂を差し出せ……冗談?」
『冗談じゃないさ。
君の願いを叶える。代わりに魂を1つ貰いたい。本来なら、君自身の魂って言いたいところだけど、その君の魂に寄生している前世の魂を貰おうか。
憑依する力を持つ魂は、強い執着心をもっていてね……熟していて美味しいんだ』
死神は、べろりっ唇を舐めた。
赤く長い舌は、なんとなく得物を狩る蛇のようだ。恐ろしく気味の悪い表情に、リクは震えそうになった。だがしかし、死神の話に惹かれている自分がいることにも気が付いていた。
「つまり、願いを叶えてもらったとしても、私……リク・バルサック自身に実害はないってこと?」
『しいていうなら、憑依していた魂が持つ記憶……まぁ、君が“前世の記憶”と呼んでいたものの存在を忘れることくらいかな。
君自身の魂には、何も影響がない。もちろん、君の死後にもね』
「なるほど」
その言葉を聞いた瞬間、リクの心は決まった。
リクは立ち上がると、涎を垂らす死神を睨みつけた。死神は、リクが覚悟を決めたことを悟ったのだろう。目を輝かせながら、ぐぃっと身を乗り出してきた。どことなく興奮気味の声で、リクに迫ってくる。
『さぁ、言ってごらん。湯船から溢れんばかりの金か? それとも、誰もがひれ伏す美貌? はたまた、自分を見下してきた奴への鉄槌?
あぁ、もちろん、君の魂もくれるなら、出血大サービスで、願いを2つ叶えて――』
「場所」
死神の声を遮って、リクは自分の願いを口にした。
瞬きをする死神を、冷ややかな目で睨みながら……リクは、がしっと自分の心臓の辺りをつかみ、宣言するように声を張り上げた。
「居場所が欲しい。
私の力を認めてくれる居場所が欲しい。
居場所を手に入れて、私を捨てたバルサック家に……復讐してやる。私の力を理解しなかったアイツらに、目に者見せてやるんだ」
『ふーん』
死神は、つまらなそうに頬を掻いた。
そして、リクの爪先から頭のてっぺんまで観察する。
『だけど、君は努力しても退魔術を使えないよ。
生まれながらの怪力が、退魔の力を使えなくさせてる。身体の構造を変えないと退魔の力は一生使えないけど? せっかくなら、魂を2つとも僕に頂戴よ。そしたら、居場所も用意するし、退魔の力だって……』
「いらない」
リクは、キッパリと言い放った。
弱弱しい見た目とは裏腹に、その瞳は野心で輝いていた。
「私には、この力がある。
退魔の力を使えないからってなに? 私は私だ。それを認めさせてやる……今の私のままで!!」
リクは、 貪欲な笑みを浮かべていた。
そんなリクを見て、死神はつまらなそうに小石を蹴る。
『なんだ、つまらない。こんな機会、滅多にないんだよ?』
「だからこそ、欲張るものか。
それに…あまり欲張り過ぎると、また過信する」
『……ちぇっ、せっかく両方とも魂を食べようって思ったのにさ。まっ、仕方ないかー』
死神は、リクの頭に手をかざした。
蛍みたいな淡い光が、リクを包み込んでいく。リクの足が浜から離れ、ゆっくりと持ち上がっていった。だが、恐怖はない。リクは、されるがままに、なっていた。
『居場所は、このまま君が進めば手に入れられるはずだよ。
じゃあ、お代を頂戴するよ』
※
港町ベリッカは、常に酔っている。
貿易商人が私腹を肥やし、金銀財宝を集めた海賊たちが浪費し、その海賊相手に商売をする歓楽街が街を潤していた。中央通りこそ、王都にも劣らぬ美しさを誇っていたが、一歩通りに入れば昼間から酒の臭いが漂い、泥酔した船乗りたちの姿があった。
すべてを失ったリクが流れ着いたのは、そんな港町だ。
リクは、死神とのやりとりやゲームの知識を忘れている。
浜辺で何事もなかったかのように目を覚まし、なんとかこの街に辿り着いたのだった。
「くしゅん……うぅ、寒い」
海水に濡れて、寒くて仕方ない。
身体を拭くための白いタオルなどあるはずもなく、ぽたりぽたりと滴を垂らしながら街を歩いていた。
美しく結わいていた赤髪は、あちらこちらに跳ねている。豪華な服は見る影もない。フリルは破れ、ぼろきれの様に薄汚れていた。道行く人は、まさか彼女が名門の退魔一族「バルサック家」の娘だとは思うはずもないだろう。
もう二度と戻ることが出来ない家を思い出して、リクは涙が出そうになった。
「とりあえず、はたらく場所を探そう」
今のリクには、住むところはもちろん金もない。
だから、働いて金を手入れなくてはならない、というところまでは、7歳のリクでも分かっていた。
しかし――世の中、そんなに甘くはない。
「はぁ? なんで、てめぇみたいな汚らしいガキを雇わねぇといけねぇんだよ!!」
がしっと足蹴りをされる。
リクは、腹を抱えて通りに投げ出された。ばたん、と店の裏口の扉が閉められる。鼻水を啜りながら、よろよろと立ち上がる。壁に背を預けながら、硬く閉じられた扉を見上げた。
「なかなか、上手くいかないや」
リクは、ため息をついた。
断れたのは、これで10件目だった。
昨日は15件尋ねて全部断られ、その前の日も同じだった。
汚らしい7歳児を雇ってくれる店など、どこにもない。リクは、とぼとぼと裏口を去る。そして、他に雇ってくれそうな店を探すため歩き始めた。
きゅるる、とお腹が鳴った。
崖から落されてから、何も食べていない。食べ物だけでも探さないと、死んでしまう。これからどうするのか分からない。けれど、死にたくはなかった。その気持ちだけが、今のリクを支えていた。
空腹を訴える腹を抱えながら、路地の角を曲がる。 その時、リクは奇妙な視線を感じた。振り返ってみると、汚らしい海賊風の男が数人集まっていた。下品な表情で笑いながら、何やら楽しそうに話している。
「あそこにガキがいるぜ。たぶん、女だ」
「売っちまうか。飲み代が欲しかったんだよな、ちょうど」
「おい、こっち見てるぜ、あのガキ」
リクが視ていることに気付いた男たちは、人の良さそうな表情を浮かべた。そして、ゆっくりとリクに近づいてくる。
「お嬢ちゃん、どうしたんだい? 迷子?」
「お腹空いているんじゃないかな? なにかおごってあげようか?」
リクの背筋が、ぞくりと逆立った。
優しい声色や温和な表情とは裏腹に、男たちの瞳は暗く濁りきっていた。なによりも、自分の身体を舐めるように視ている視線がなによりも気持ち悪い。リクは、首を横に振りながら後ずさりした。
「怖がることは、ないんだよ?」
「ほら、おいで。おじさん達と一緒に行こう? 食べ物や綺麗な服がある場所に、つれていってあげる」
「とっても楽しい場所さ!」
リクは、怖くて何も言えない。
ただ、ここにいては危ない。本能に突き動かされるように、リクは脇目もふらず走り出した。
「おい、逃げるな!!」
「待ちやがれ!」
「つかまえろ!」
後ろから、先程の男たちの罵声が追いかけてくる。
やはり、あの優しさは嘘だったのだ。リクは、懸命に足を動かした。路地を駆け抜け、大通りへ飛び出す。美しく彩られたタイルを盛大に汚しながら、とにかくリクは走った。
大通りと言うだけあって、人の往来が盛んだ。
清潔な服に身を包んだ人たちの中には、嫌な者でも見たかのようにリクを避ける人もいた。しかし、ほとんどが汚らしい孤児など気にも留めないで歩き続ける。
リクは、そんな人達を押しのけ、掻き分け、とにかく男たちとの距離を取ろうとした。思いっきり押したものだから、倒れた人もいたような気がするが、今のリクには関係ない。
「とにかく、逃げなくちゃ!」
がむしゃらに足を動かす。
しかし、リクは子供で、追手は大人だ。もちろん、腕っぷしで負ける気はしない。だけど、リクは1人で相手は3人もいる。しかも、今のリクは空腹で力を最大限に出すことが出来ない。勝ち目があるとは、到底考えられなかった。
どうにかして、足止めをしなければ、つかまってしまう。リクは、藁にもすがる思いで辺りを見渡した。そして、前方に巨大な樽があることに気が付いた。自分の背丈以上もある樽だ。
「あれを使えば、いいかも。うん、あのくらいなら、なんとかなる」
リクは、樽に駆け寄る。
近づいてみれば、両腕を精いっぱい開いても抱えられないくらい大きかった。
それでも、何とか樽を抱え上げる。ずっしりと重たかったが、持てない程ではない。たぷん、と中身が揺れる音がした。だけれども、気にしない。気にしている暇などない。追手は、今もすぐ近くまで迫ってきている。
「これでも……くらえ!!」
リクは、樽を思いっきり投げ飛ばした。
樽は駆け抜けてきた人混みの中に落下し、音を立てて破裂した。中に入っていた葡萄酒が通行人に降り注ぐ。
あまりにも唐突なことだったので、追手はもちろん、通りを歩いていた人たちも悲鳴を上げた。
「うわぁ!?」
「なにやってんだ、あぶねぇよ!!」
「誰だよ、こんなことしたのは!!」
後ろの騒ぎにかかわっている暇はない。
リクは、脇目もふらず、再び走り出した。
走って、走って、走って、とにかく走った後……
「もう、だめ」
ぐらり、と視界が揺れる。
そして、そのままリクは崩れてしまった。
音を立てて、裏路地のゴミ溜めに倒れる。ぷん、と腐臭と裏路地特有の酒臭さがリクを覆い尽くした。
その場から出ようともがこうにも、もがけない。走り疲れた足は、痛いという次元を越している。お腹が空いて、喉はからからに干からびていた。
リクは走ったり、樽を投げたりしたせいで、残っていた力を使い果たしてしまっていたのだ。
疲労と空腹の頂点に達した孤児がたどる道は、たった一つしかない。
リクは……社会の落伍者として、静かに死を迎えようとしていた。
(あぁーとうとう私、死ぬんだ)
頬を冷たい地面につけながら、ぼんやりと考える。
きゅう……と、腹が苦しそうに鳴った。
海に落とされてから、何日たったのだろうか。リクには分からなかったが、唯一分かっていることは、もう長いこと何も食べていないということだけだった。
荒れくれ者が揃う「外装だけ綺麗な港街」は、ほどこしをするような慈善溢れる貴族なんて存在しない。むしろ、リクのような子供を足蹴りする人が多かった。蹴られると、確かに痛い。
だけど、父に捨てられたという事実の方が痛かった。
退魔の術が上手く使えないから、いらないと放り出してしまえるような、その程度の親子関係だったのだ。そう思うと、心がえぐられたような痛みが奔る。
外側も傷だらけで、内面の傷だらけ。痛くて痛くて、苦しかった。
(いっそのこと、死んだ方が楽かもしれない。でも……やっぱり怖いな)
まず助からないのに、どうしよもない希望を抱いてしまう。
そんな馬鹿な自分を、リクは自嘲気味に笑った。
なんとなく力を振り絞って、顔を上に向ける。そこには、雲一つない鮮やかな青空が広がっていた。
「きれい」
と、呟いていた。
何故か分からない。
あの空は――薄汚れた灰色の路地を吹き飛ばすくらい、鮮やかな青空だったから。
この世界は、綺麗だなって思えた。
気がつくと、涙が頬を伝っていた。
音も立てず、嗚咽も出ず、ただ静かに流れていく。
(この空の下で死ねるなら……それでも、いいかもしれない)
美しい空は、汚らしくて酒臭い裏通りだという事を忘れ、身体の痛みも心の痛みも拭い去ってくれる。あの空ならば、全てを包み込んでくれる、はずだ。
そう、ここで目を閉じれば……きっと、この安らかな気持ちのまま死ぬことが出来る。
だけれども、リクは目を閉じることが出来なかった。
心のどこかで、何かが叫んでいる。
諦めたくない、と。
わずかでもいい。
今にも消えそうな、というか消えかけている希望を待ちたい。
どうしよもない事実で、このまま安らかな気持ちのまま死んだ方が良いに決まってる。誰もリクを救う人なんていないし、救ったところで得する人なんているわけない。
ろくな才能もない人間は、ここで死んだ方がいいのだ。
(だけど、やっぱり諦めたくないや)
リクは、手を伸ばす。
なけなしの力を振り絞って、あの美しい鮮やかな空へ腕を突き出す。
あの空をつかむことが出来れば、希望を手に出来るような気がした。それは、お腹を抱えて笑ってしまうくらいありえないことだ。でも、そんな気がしたのだ。
もちろん、その手が何かをつかむことは無い。
力尽き、ゆっくりと腕が弧を描くように地面に落ちる、はずだった。
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