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第1~3章 ダイジェスト編

退魔戦記 -片翼のリク-(前編)

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 かつて、魔族の反乱がもっとも激しかった時代があった。
 魔王の封印を巡り、退魔師と魔族が互いに激突する。数多の英雄が武勇を競い、敗者は歴史の闇に消えていった。
 そのなかで一際異彩を放つ人間――リク・バルサックの物語は、こうして幕を開ける。



 リクは幾つもの森を越え、レーヴェン・アドラー率いる龍鬼隊の隠れ里に辿り着いた。
 そこで、人間を忌避する狼型魔族 ヴルスト・アステロイドの下で戦い方の訓練を受けることになる。ヴルストからは、彼女が学んできた正攻法の戦い方ではなく、「相手を殺すための戦い方」を伝授される。


 それから数日――リクは魔族から忌避の視線を受け、本当にこの場所に来て良かったのか?と悩む日々を過ごしていると、龍鬼隊に出動要請がかかった。
 リクに与えられた初任務は「退魔師に襲われる魔族の村を護れ」というもの。
 彼女は、退魔師が魔族殺しの名誉を手に入れるため、魔族のふりをして人間の村を襲い、王国民に魔族の脅威を宣伝し、魔族の村を適当に壊滅させて「これが大将首だ」と抱えて英雄に躍り出る――といった真似を日常的に行っていることを知る。
 リクの信じてきた退魔師像が崩れるなか、奇襲に遭遇。退魔師が優勢に戦いを進める最中、リクは「自分の居場所は退魔師のなかに存在しない。自分は既に魔王軍の一員なのだ」こと自覚する。

 それまで抱いていた退魔師を切る恐怖や疑問、その他諸々の葛藤は洗い流され、赤髪の少女は自慢の怪力でハルバードを振るう。
 奇襲部隊を全滅させた彼女に、ヴルストが

「同じ人間を殺して大丈夫なのか?」

 と気にかけてくる。その問いを受けた少女は、静かに瞼を閉じた。瞼の裏には、鮮やかな青色が映っていた。
 レーヴェン・アドラーの瞳だ。彼は、落ちこぼれの自分を初めて認めてくれた。
 行く当てもない自分に、居場所を与えてくれた。

 ――あまり好きではなかった赤髪を「綺麗だ」と褒めてくれた。

 だから、自分は彼の下でハルバードを振るう。
 彼が与えてくれた龍鬼隊こそ、自分の居場所だと信じて――。







 それから、10年。

 リクは17歳という年齢にしては小柄で痩せてはいたが、自慢の怪力で少尉にまで上りつめていた。
 レーヴェン自身も中将まで出世し、龍鬼隊も名を上げた。今では龍鬼師団となり、新しい魔族兵も多く加わった。古参の兵からは力量を認められ、顔を合わせれば話す程度の対人関係を構築するようになったが、反面、多くの新参兵からは「退魔師出身の成り上がり」と蔑視される日々を送りつつも、リクは龍鬼師団のために力を振るい続けた。


 ある日、ベリッカ制圧の任務を終え、帰還した彼女に、レーヴェンはリクの昇進と異動命令を告げた。
 もちろん、リクは猛反対する。自分の命はレーヴェンの下で使い切る。だから、異動などしたくないし、昇進も嫌だと主張した。
 しかし、今回の異動は、将来――リクを自身の副官、すなわち「片翼」に就任させるために必要な経験を積ませ、そして、龍鬼師団だけではなく、対外的に彼女を認めさせるための異動だったのである。なので、1年もすれば龍鬼師団に戻ってくることができる。そのことを知った彼女は、喜んで異動命令を受け入れる。


 ところが、異動先のミューズ城で待っていたのは、雑用をこなす日々。
 魔王軍 ゴルトベルク師団率いるゴルトベルク中将は、リクを敵視していたのだ。
 戦歴を飾るような仕事からは遠ざけられ、「中将の孫へのプレゼント配達」などといった軍人あるまじき雑用を押し付けられる。リクの補佐として、一緒に異動したヴルストの漏らす小言を流しながら、レーヴェン龍鬼師団の名に傷がつかぬよう、完璧に雑用に取り組む。

 そんな折、ミューズ城を護る盾――レーン砦が退魔師に陥落された知らせが届く。
 奇しくも、リクが配達の任を受け、外へ出ていた時だった。


 ミューズ城は、天然の要塞だ。
 人間の住む地域と近く、退魔師にも存在を知られていたが、この200年間、破られたことはなかった。四方を高い山に囲まれた盆地にあることも理由の1つだろう。
 だが、本当の強みは、四方を取り囲む山の裾野にある。そこには、方向感覚を狂わせる深い森が広がっているのだ。感覚の鋭い魔族ならば目印や臭いを辿って進むことができるが、それができない人間は確実に遭難する。たとえ、運よく森を抜けることができたとしても、ミューズ城へ向かうために整備された道は1つしかない。山を登った先に待ち受ける「レーン砦」に辿り着く頃には、いかに屈強な兵士であったとしても、疲れが蓄積している。
 砦の中で力を蓄えた魔族と、疲れ果てた兵士と出は、どちらが勝利するか自明だろう。

 ところが、この森を易々と攻略した少年がいた。

 のちに「白銀の貴公子」と呼ばれる少年――リクの弟でありバルサック家次期当主、ルーク・バルサックである。
 武勇に優れ、退魔師としての腕も超一流。精錬とした容姿と心優しい言動は数多くの女性を魅了する――が、その正体は前世日本人の大学生だった。この世界が大好きな恋愛ゲームの世界であり、主人公に転生したことに気づくと、自分好みの女の子を囲む「世界平和ルートハーレムエンド」を目指して攻略を進めていく。
 10年前、魔族の諜報員を務める少女――リス型魔族のクルミを虜にし、魔族に偽の情報を流し、別の退魔師一派に奇襲を仕向けたのも彼だった。
 今回のミューズ城攻略も、ビストール家当主であり幼馴染系ヒロインの一角――セレスティーナ・ビストールを攻略するための一歩に過ぎない。
 ルークはゲームの知識を頼りに森を抜け、レーン砦を落とした。そして、セレスティーナに『ゴルトベルクが軍を二つに割いて襲ってくる“掎角きかくの計”を使ってくるはずだ』と伝え、すぐに他のヒロインを攻略するためにミューズの地を後にする。


 これが、運命の岐路だったかもしれない。

 ルークが去った後、岩や大木剥き出しの整備されていない山道を密かに進む一軍の姿があった。



 リク・バルサック率いる小隊――総勢49人だ。

 最初は「敵に囲まれたミューズに戻ることは不可能。自殺行為である」と判断し、龍鬼師団へ帰ろうとしていたが、ミューズを攻めたのが「バルサックの退魔師」だと知った途端、態度を一変する。
 自分を認めなかった奴が目の前に陣を張っているのに、これを叩かない理由があるのだろうか。いや、ない。むしろ、これは叩かなければ意味がない。
 バルサックの退魔師たちが四肢や胸に抱いている志ごと、叩いて、捻って、潰して、完膚なきまでに壊してしまいたい衝動に駆られる。身体の内側から、かつてないほどの熱い喜びと、身を焦がしそうな怒りが、リクをレーン砦奪還へと突き動かした。

 リクは伝令兵 ロップ・ネザーランド曹長の知識を頼りに、魔族のなかでも知られていない道を進み、首尾よくレーン砦の裏側に回り込むと、彼女は奇襲班と奇襲補助班、そして、待機班を編成する。
 奇襲班には、力よりも敏捷性に長ける小柄な魔族を4人選び、補助班として腕力に自信のある屈強な魔族を5人選んだ。
 そして、残りの兵の指揮をヴルストに託すと、屈強な魔族の右腕に乗った。足場は悪いが、それでも片膝をついて屈みこめば、バランスをとれなくはない。屈強な魔族は右腕を思いっきり引くと、そのままリクを投げ飛ばした。投げ飛ばされた瞬間、リクも魔族の腕を力の限り蹴る。
 あとはもう振り返らなかった。冷たい風が頬に当たり、幾銭もの棘が刺さったかのように痛む。だが、そんな痛みはどうでも良い。
 彼女の目には、凄い勢いで近づいてくる砦しか映っていなかった。

 彼女は砦の上に着地すると、見張りの兵にハルバードを振り下ろす。その後、間もなく合流した四人の魔族に後を託すと、そのまま砦に侵入する。
 砦を護る数々の退魔師の攻防に遭いながらも、難なく撃退。
 リク小隊はレーン砦を奪還することに成功し、あとはミューズ城の残存兵と協力して挟み撃ちにすれば勝利――だったが、戦いで終わらない。


 なんと、ゴルトベルク軍と退魔師は既に戦いを始めてしまったのである。


 魔族側の最大の敗因は、作戦の失敗だった。
 ゴルトベルクの作戦は、ルークによって看破されていたのだ。
 すべての策が失敗に終わり、ミューズ城は陥落。ゴルトベルクは城に戻ることができず、副官も参謀も討死し、退魔師に挟み撃ちにされて絶望的な状況下――ゴルトベルクとセレスティーナの一騎打ちが始まる。
 セレスティーナは愛用の「銀の剣」を退魔術で硬化し戦っていたが、ゴルトベルクの方が体力も経験も遥かに勝っていた。
 ついに、銀の剣を弾き飛ばされ、ゴルトベルクに軍配が上がったかに見えた――が、セレスティーナには、まだ武器が残っていた。セレスティーナは瞬時に腰に下げていた弓を構えると、剣と剣がぶつかり合うほどの至近距離から矢を放つ。ゴルトベルクは、矢が心臓に当たらぬよう身体を逸らすのが精いっぱいだった。どさり、という音とともに、剣を握りしめたままの右腕が地面に落ちる。
 ゴルトベルクに戦う手段はない。彼は、目の前に迫った矢を睨みつけることしか出来なかった。

 ゲームでは、ここで死亡する。

 だが、間一髪、その矢を赤い影が弾き飛ばした。
 リク・バルサックが砦から駆けつけたのだ。ゴルトベルクはリクに戦いを託し、生き残った魔族兵を連れて砦へ敗走する。セレスティーナは慌てて追いかけようとするが、リクに行く手を阻まれた。セレスティーナは応戦しようとするが、矢は全て弾き落とされてしまう。急いで矢筒に手を伸ばすが、すでに矢は残されていない。セレスティーナは逃走を図る。彼女の配下の退魔師たちが決死の形相で矢を射続け、時間を稼ぐ。その攻撃は酷く鬱陶しいものだった。

 そこで、リクは矢を防ぐの止めた。
 手綱を思いっきり引くと、矢を放つ一団へ突撃する。矢の雨を奔りながら、ハルバードを構えた。リクは急所を穿ちそうになる矢だけは弾き、残りすべては無視して突進する。急速に弓隊との距離が縮まり、矢の同士討ちの危険性が高まった。弓隊が危険を感じ、剣へ持ち変えようとした時には既になにもかもが遅かった。リクは彼らの間合いに入り、ハルバードが唸りを上げながら弓兵を切り裂く。
 一度崩れてしまえば、あっという間だった。そして、リクが最後の一人の首をはね飛ばしたとき、セレスティーナが銀の剣を握りしめて戻ってきた。
 剣があれば、勝てると見込んだらしい。
 リクのハルバードとセレスティーナの剣がぶつかり合う。セレスティーナは仲間を殺され尽くした怒りに支配され、力を徐々に増していく。しかし、それと反比例するかのように、荒が目立つ大振りになり始めていた。リクはセレスティーナの息が切れた瞬間、渾身の力を込めて銀の剣を打ち払った。ゴルトベルクと同等以上の力で払われ、剣は軽快な音を立てながら再度宙を舞う。

「さよなら、セレスティーナ・ビストール」

 リクは落下する剣をつかみ取ると、そのままセレスティーナの心臓を穿った。セレスティーナは、助けを求めるように掠れた声を漏らした。その言葉は、誰に向かって放たれた言葉だったのだろうか。真実を知る者はいない。リクは銀の剣で彼女の首を断つと、地面に落ちそうになる首を剣で刺し、砦へ去ろうとした。
 ところが――

「お久し振りですな、リクお嬢様――いや、反逆者のリクよ」

 ゆっくりと、老兵が近づいてきた。
 彼はトード・バルサック。バルサック家に長年仕える老退魔師だった。ルークとは親しげに言葉を交わしていたが、彼女に向けるのは忌避の視線か嫌味の言葉だけだった。

 リクはバルサックに復讐するために、トードはバルサックの汚点を消すために、両者の刃が激突する。
 その戦いは、まさに一進一退だった。
 リクのハルバードが襲いかかったかと思えば、トードの槍が受け流す。トードの槍がリクを穿つ一撃を放ったかと思えば、いなされる。ひたすら攻め技の応酬が続いていたが、いささかリクの方が不利だった。
 だんだんと、リクの息が上がり始める。その理由は2つあった。

 まず1つに、リクは2日ほど寝ていなかった。
 もう1つは、リクとトードの馬の質が違った。矢の雨を駆け抜けたことが原因で、身体のいたるところから血を流していたのだ。

 騎馬はいつ倒れてもおかしくはなく、戦いが長引けば長引くほど、リク自身の疲労も蓄積し不利になる。
 リクは機動力の差を埋めるため、トードの馬の脇腹を深くえぐった。彼の馬は悲鳴を上げ、目から光が消えていく。だが、トードの一喝で馬が活力を取り戻してしまった。逆に、リクの馬にトードの槍が突き刺さる。なんとか体勢は立て直したものの、馬が力尽きるのは時間の問題だった。
 リクは覚悟を決めると、手綱から手を離した。ハルバードに両手を添え、短期決戦を狙う。ここで初めて、トードの顔から余裕の色が消えた。あまりにも重い一撃に、受け流すことができなくなってしまっていたのである。トードの腕が、みしりと音を立てた。

「死になさい、トード。豚のような悲鳴を上げて」

 ハルバードは異様な唸りを上げて、トードの頭上に落下した。その速さ、威力に彼は立ち向かうことができなかった。槍は二つに折れ、頭まで割れる。さらに力を込めれば、頭から胸までが綺麗に割れ、トード・バルサックは馬から崩れ落ちた。


 こうして、ミューズ城の戦は互いに大きな犠牲を出して終結した。
 リクは砦を取り返した功績と、「退魔四家」と呼ばれる名家「ビストール家」の次期当主やバルサックの老将を討ち取り、ゴルトベルクを護った功績を買われ、中尉から大尉に昇進することが決定した。
 しかし、その直後――魔王軍に内通者がいたという噂が広まる。
 その内通者が、セレスティーナ・ビストールの遺体を運び出したらしい。その内通者が「女」であるという点から、リクに疑いの目が向けられてしまう。
 ゴルトベルクはリクを懸念し、ほとぼりが冷めるまで彼女をミューズ城から遠ざけることにした。

 そんなリクに与えられた任務は、お忍びで遊びに行く魔王代行――シャルロッテ・デモンズの護衛任務。万が一の備え、魔王代行の護衛も一定の距離を保ってお供しているため、シャルロッテに身の危険が迫るまで、なにもしなくて良い。しかも、空いた時間は好きに羽を伸ばすことが許可されている事実上の休暇だった。

 リクは意気揚々とシャルロッテの護衛をするため、デルフォイの街へと馬を走らせる。



 そこで、とある人物と意図せぬ再会が待ち受けているとも知らずに。



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4話から19話(1章「忌み子のリク編」から2章「ミューズ城攻防戦編」)までのダイジェストです。
後編に続きます。
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