神様の贈り物

紫 李鳥

文字の大きさ
2 / 3

しおりを挟む

 食べ終えた頃、中年女が戻ってきた。

「これ、赤ちゃんにやりな」

 ミルクが入った哺乳瓶を差し出した。受け取った女は、哺乳瓶の温もりにまた涙した。

「……ありがとうございます」

 女は頭を下げると、ダウンジャケットを脱いだ。中から、ストッキングで背負われた乳飲み子が現れた。

 中年女は、女の背中から乳飲み子を受け取ると、再び、ジャケットを着た女の手に乳飲み子を戻した。

 女は不器用に哺乳瓶の乳首をくわえさせていた。

「あああ、そんなに立てたら、赤ちゃんが飲みづらいよ。どれ、貸してみな」

 中年女は女の手から乳飲み子を受け取ると、器用に哺乳瓶の乳首をくわえさせた。乳飲み子は美味しそうに飲んでいた。

「……ありがとうございます」

 女は、中年女に笑顔を向けた。

「ね、このぐらいの角度。ほら、やってごらん」

「あ、はい」

 中年女から乳飲み子を受け取ると、哺乳瓶の角度を真似た。

「今夜は客足がにぶいや。どれ、店じまいにするかね」

 中年女は呟くと、片づけを始めた。

「今夜はうちに泊まっていきな」

「……でも」

「金、ないんだろ?さっき言ってたじゃないか」

「……けど」

「明日また、何かいい方法を考えよう。ね?」

「……ええ」



 屋台を引いた中年女は、温泉街から路地に入ると、二階建てアパートの一階に入った。

 部屋には余計な物がなく、こざっぱりとしていた。

「ま、ゆっくりしな。隣の部屋で寝るといい。茶でも淹れよう」

 押入れから座布団を出した中年女は、電気ストーブをつけると、台所に行った。

「……ありがとうございます」

 女は、背中から下ろした乳飲み子を座布団の上に載せると、頬っぺたを突っついてあやした。

「今夜はぐっすりやすみな。明日は朝から部屋を空けるから、冷蔵庫の物で何か作って食べて、風呂にでも入ってゆっくりしてな」

 中年女は簡潔にそう言うと、湯呑みに息を吹きかけた。

「……ありがとうございます」

「あれっ、赤ちゃん、寝てるよ」

「あら、ホントだ」

 満腹になったせいか、乳飲み子は気持ち良さそうに眠っていた。



 女は布団の中で、声を殺して泣いていた。

 その涙は、見ず知らずの親切な中年女への感謝と、生きる希望を与えてくれた乳飲み子への感謝だった。

 女は、乳飲み子に出会った昨日のことを思い出していた。――



 泣きじゃくる乳飲み子をレジ袋から出すと、抱いた。温もりを感じた。

 捨てられてどのぐらい経つのだろうか。食べる物もない。

 このまま、この子と餓死するしかないのだろうか。

「オギャーオギャー」

「はい、ヨチヨチ」

 膝の上に置いた乳飲み子をあやしながらも、どうすることもできない自分が不甲斐ふがいないと思ったその時だった。

「あっ……」

 電車に乗る前に買ったチョコレートを思い出した。

 まだ、残っていたはずだ。急いでバッグを探ると、薄い箱に指先が触れた。

 あった!手探りでゆっくりと箱の中に指を突っ込むと、固形の物が二粒あった。

 一粒を口に含むと舌に載せ、口内の温度で溶かした。そして、それを乳飲み子の口に流し込んだ。

「お酒臭くてごめんね」

 途端、泣き止んだ。ペチャペチャと舐めるような音がしていた。

 嬉しかった。泣き止んだことと、チョコレートを舐めてくれたことが。

 ジャケットの中に抱くと、ファスナーを上げた。

 やがて、乳飲み子は寝ついた。

 岩壁にもたれた状態で、眠れるはずもなかったが、酒が入っていたせいか、どうにか眠りに就くことができた。

 それでも何度も目が覚め、その度に薄目で外の明暗を確かめては、懐の乳飲み子の重みを確認した。



 洞穴に差し込んだ朝日に目を覚まし、外を覗くと、対岸に生い茂った草木が、川のせせらぎと共に鮮明になっていた。

 視線を下に移すと、曲げた膝を支えに懐に抱いていた乳飲み子が円らな瞳を向けていた。

「おはよ~」

 人差し指で頬っぺたを押すと、乳飲み子が笑った。

 最後の一粒を口に含んだ。そして、舌に載せてチョコレートを溶かすと、乳飲み子の口に流し込んだ。

 乳飲み子は満足そうに笑っていた。

 チョコレートで汚れた口元をポケットティッシュで拭いてやった。

 乳飲み子は、安っぽい婦人物のセーターとカーディガンにくるまれ、寒さを防ぐかのように、中には何枚もの長袖のTシャツを着せられていた。

 若いお母さんに違いない。

「さて、出発しようか」

 ボストンバッグに入れていた替えのストッキングで乳飲み子を背負うと、その上からジャケットを着た。

 使ったティッシュと一緒に片づけようと、乳飲み子が入っていたレジ袋を手にした時だった。何か、薄くて四角い物の感触があった。

 袋を広げてみると、封がされていない白い封筒があった。中には一枚の便箋が入っていた。

〈事情があって育てることができません。この子を殺すしかありません。でも、自分の手で殺すことができません。もし、この子を見つけた人がいたら、どうか、育ててやってください。お願いします〉

 なんて、身勝手な!

 憤りを覚えたが、手書きで書かれた文面の一語に、この子に対する愛情の一片がうかがえて、少しホッとした。

 よしっ!私が育てる。

 気合いを入れると、腰を上げた。そして、温泉街に行って、職を求めた。――
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

借金した女(SМ小説です)

浅野浩二
現代文学
ヤミ金融に借金した女のSМ小説です。

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

彼の言いなりになってしまう私

守 秀斗
恋愛
マンションで同棲している山野井恭子(26才)と辻村弘(26才)。でも、最近、恭子は弘がやたら過激な行為をしてくると感じているのだが……。

後宮の男妃

紅林
BL
碧凌帝国には年老いた名君がいた。 もう間もなくその命尽きると噂される宮殿で皇帝の寵愛を一身に受けていると噂される男妃のお話。

処理中です...