1 / 1
雪待ちの人
しおりを挟む車窓に流れる疎らな家屋の屋根には、先刻までの雪が積もっていた。
どうして、この町を選んだのだろう……。あ、そうか。東京から近い温泉地だからだ。ここなら、女が一人で歩いていてもボストンバッグを手にしていれば、不審に思う者はいないだろう。
駅前の定食屋で食事を済ますと、並びにある喫茶店でコーヒーを飲みながら段取りを立てた。――暗くなった道を温泉街へと歩いた。
アイスバーンになる前の雪道は歩きやすかった。人家が疎らになると、車のヘッドライトだけが行き交っていた。
後方から来た一台のタクシーが、私を乗せたいのか、徐行を始めた。煩わしく思った私は、人家の明かりが見える小道に入った。
タクシーから逃れると、適当な場所を探した。まだまだ人家はある。この道の先に果たして適当な場所はあるのだろうか。
ただひたすら歩いた。この辺で誰かに会ったら、不審を抱かれる。
……どうか、誰にも会いませんように。
そう祈りながら、ザクッザクッと雪を踏んだ。――
もう、人家はなく、目の前には、雪を被った針葉樹が立ち並んでいるだけだった。
……やっと、理想の場所に来られた。後は雪を待つだけだ。
木立を縫って、奥へ奥へと進んだ。――すると、適当な大きさの松の木が、象の鼻のように反り上がっていた。
……これに跨げば、幹に背もたれができる。
コートの裾を引っ張って跨ぐと、バッグから果実酒の瓶を取り出した。そして、何の躊躇もなく、ラッパ飲みをした。後は雪が降るのを待つだけだ。――
「……ご臨終です」
医者のその言葉に、私は涙も出なかった。ただ、夫の手を握り、生き返るのを待っていた。
「き、奇跡です!」
そんな、医者の言葉を期待しながら。だが、その後に医者からの言葉はなかった。途端、堰を切ったように、抑えていた感情が噴き出した。
「あなたーっ!」
傍迷惑も考えず、号泣した。――
ボトルの半分も呑むと、体が火照ってきた。後は雪を待つだけ。――ボトルを空にする頃やっと、待望の雪が降ってきた。
……あ、雪だ。これで雪に埋もれて死ねる。
コートから腕を抜くと、降る雪を仰いだ。
……あなたのいない世界なんていらない。あなた、これから逢いに行きます。待っててね……。
心地好い眠気が襲った。私は静かに目を閉じた。
……あ、な、た……。
『おーい。そんなとこで寝たら風邪引くぞ。それより、早くめし作ってよ。腹減った』
どのくらい眠っただろうか。夫の声で目を覚ますと、雪は止んでいて、辺りは白々としていた。急に寒気がして、コートの袖に腕を通した。
……死ねなかった。夫の声で起こされて死ねなかった。
空瓶をボストンバッグに入れると、来た道を戻った。歩きながら、滑稽な結末に自嘲の笑みを浮かべた。――
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
本物の夫は愛人に夢中なので、影武者とだけ愛し合います
こじまき
恋愛
幼い頃から許嫁だった王太子ヴァレリアンと結婚した公爵令嬢ディアーヌ。しかしヴァレリアンは身分の低い男爵令嬢に夢中で、初夜をすっぽかしてしまう。代わりに寝室にいたのは、彼そっくりの影武者…生まれたときに存在を消された双子の弟ルイだった。
※「小説家になろう」にも投稿しています
【完結】ドレスと一緒にそちらの方も差し上げましょう♪
山葵
恋愛
今日も私の屋敷に来たと思えば、衣装室に籠もって「これは君には幼すぎるね。」「こっちは、君には地味だ。」と私のドレスを物色している婚約者。
「こんなものかな?じゃあこれらは僕が処分しておくから!それじゃあ僕は忙しいから失礼する。」
人の屋敷に来て婚約者の私とお茶を飲む事なくドレスを持ち帰る婚約者ってどうなの!?
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる