トキノクサリ

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燐光石 -4-

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 島外退避の開始まで一週間となり、町の様子は慌ただしくなって来た。特に退避組は、無人となる家に火山弾が落ちる事を危惧して、屋根の補強を始めたり、窓にベニヤ板を貼り付けたり、といった対策をする者が少なからずいた。また、一部畜産業に携わる人々は、残留組に任せることができない場合、殺処分をすべきか、放置して島を離れるべきかで揉めている様だった。ガスや水道、電力や通信といったライフラインに従事する者は、大半が残留組だった。退避組が戻って来た時に、すぐに通常生活を送れる様に、どう保守をしていくべきか、という話し合いも、度々持たれている様だった。

「変だと思わないか」
 役場の待合椅子に腰かけると、野辺が言った。僕らは、アメリの転校に必要な、転出証明書を発行するために、三人で役場に来ていた。委員長は来られなかったが、アメリが委任状を持ってきていた。役場は、とても混雑していた。島外での生活拠点が決まっていない者や、仕事の当てがない者など、大勢が相談にやって来ていた。
「何が?」
「マスコミだよ。全島避難ではなくとも、島の半数が退避する大事件にもかかわらず、テレビ局や新聞社の姿を全く見ない。本来なら、役場に集ったり、町長を出待ちしてインタビューしていてもおかしくない筈だ」
 そういう物なのだろうか…。それにしても野辺は、こういう嗅覚が鋭いというか、よく気が付くものだ。
「なに、リュウくん、テレビに出られると思ったの?」
 アメリが、からかう様に言った。野辺は苦笑いした。
「正直、それもある…というのは嘘だけれど、もう一つ気になっているのが、退避に使う船の件だ。普通に考えたら、定期船を使って数日に分けて退避させると思うんだよな。それが、今回は海上自衛隊の船を使って一日で避難させようって話だ」
「防衛庁の人間が役場に出入りしてる、とは聞いていたけれど、別に不思議に思うような事でもないんじゃないか?」
「焦る理由が解らないんだよな…。だって、あれから噴火をするような様子はないじゃないか」
 僕は、物理教師が言っていた事を思い出した。
「そう言えば、物理の先生は、噴火はもうないだろう、と言っていたな…。なんでも、人形山の形の変化を捉える為に、傾斜計…だったかな? そんな感じの名前の装置が島に何ヵ所か設置されているそうで、その数値の変化が既に安定している、という情報を掴んでいるらしい」
 野辺は顎に手を当て、何かを考えるような表情をした。
「…俺達には、陸から見た現在の島の状況については、何も解らない。けれど、ここまでの状況を整理するとだ。島外退避についての事実は、島の人間以外には隠されている情報なんじゃないだろうか?」
「隠す? 何のために?」
 僕は野辺にそう訊いたが、何となく思いあたる事があった。燐光石だ。僕は特段、燐光石や浄化作業の事について口止めはされていないが…。

 やがてアメリの順番が来て、窓口で転出証明書を受け取った。
「ああ、これで、もう、転校するしかなくなちゃったなあ」
 役場の外に出るなり、アメリが空を仰いで言った。
「まあ、一年間だけだけれどね」
 僕はそう返したが、慰めにもならないだろうな。アメリは、横目でちらちらと野辺の方を伺っていた。当然、野辺に何かを言って欲しかったのだろうな。でも、野辺はそれに気づかず、相変わらず深刻そうな顔をしていた。それは、先ほどの話が気になってなのか、それともアメリと暫く会えなくなることを厭ってかは解らない。
「転校するにしても、色々と準備が必要なんだね」
 僕の言葉に、アメリは頷いた。
「学校で在学証明書とかも貰ったしね。わたし、役場で書類を発行してもらうのは初めてだけれど、向こうに行ったら住民票を移したりもしなきゃいけないなあ」
「そうかあ、住民票なんてのも、そうだよね」
「ねえ、リュウくん、来週は、ちゃんと見送りに来てよね?」
 アメリの言葉に、野辺は、小さく頷いた。野辺がちゃんと答えないので、僕は、僕とウミはもちろん行くよ、と返事をした。

 途中でアメリと別れ、僕と野辺だけになった。
「何かアメリに声をかけてあげればよかったのに」
 僕が野辺に言った。野辺は、まあな、と答えた。
「色々と気になっているんだ…」野辺は、鹿爪らしい表情を変えなかった。「お前と木百合が、あの石を浄化する、という話も俺にはなんだか意味不明で不安だし、アメリと委員長が島外退避するのも不安なんだ。一体、誰が何を知っていて、何を隠しているかが解らない。だから、島外退避が正解なのか、それとも間違っているのか…」
 そうか。野辺は、野辺なりにアメリの心配をしているんだ…。
「少なくとも、今、解っている事柄から判断すると、島の外にいる限りは安全なんじゃないか?」
 野辺は、考え込むようにしながら、何度か頷いた。
「なあ、圷、俺は、周りの大事な物を失ってしまったりはしないよな?」
「珍しく弱気じゃないか」僕が言った。「ウミの安全は僕が護るつもりだし、アメリは安全な場所に行くんだから、野辺は自分の心配をしておけばいいんじゃないか?」
 野辺は、ははは、と笑った。

 退避の日。船は朝早くに港に着いていた。退避は一隻で行い、今日中に二往復するらしい。アメリと委員長は二往復目組だった。出航は夕方だったが、僕らは少し早めに集まり、荷物運びの手伝いなんかをした。
 出航前、小さな港は数百人の住民でごった返した。僕らの様な見送り組は少数派だったが、よく考えればエリア単位、家族単位での退避だから、見送りの必要性がない人々が中心なのだ。
 アメリの母親は、今日は洋服だった。細身でスラっとしている。思えば、神主としての姿しか見た事がなかったので、家族の母親としての振る舞いがどのような物であるのか気になった。委員長の性格からすると、厳しく躾けたんだろうなあ…なんて予想しながら。

「あなたたちは、古杜家の大切な跡継ぎになるのだから、その自覚を忘れてはいけませんよ」
 アメリの母親が、船に乗り行く二人にかけた言葉は、ある意味、思った通りだった。
「解ってるわ、母さん。一年間のお別れね」
 委員長が答えたが、母親は小さく首を横に振った。
「もう二度と会えない覚悟を前提にお行きなさい」
 母親の言葉に、委員長は唇を固く結んだが、アメリは不安そうな表情だった。

「ウミ、アスカちん、リュウくん、圷くん、一年間のお別れだね」
 アメリは目に涙を浮かべて、僕達に向かって言った。正直僕は、まだその実感が沸かないが、明日からアメリも委員長もいなくなり、夏休み明けに教室の人数が半分になれば、少しずつ、その現実に気づかされるんだろうな。
「アメリちゃん、あたし、寂しいな」
「アスカちん、わたしも寂しいよ。お姉ちゃんをよろしくね」
 アスカは、アメリちゃんもギターの練習をするって約束してね、と答えた。
「わたし達の事は、心配しないでね」
 ウミがそう言うと、アメリは少し眉間に皺を寄せる様にして、何度も頷いた。それから、僕の方を見た。
「心配なのは、僕も同じさ」僕が言った。「僕もウミも、やるべきことをやるよ。来年、もしコトリ祭ができるなら、また僕達で巫女舞踊を引き受けるからさ」
 アメリはメガネを片手で持ち上げると、もう片方の手で涙を拭いながら、ふふふ、と笑った。
「ありがとう。でも、来年やるなら、圷くんじゃなくって、リュウくんを指名するつもりよ」
 僕らは、一斉に野辺の方を向いた。
「俺? 俺か…。そうだな。もし、アメリと来年踊る事になるなら…」野辺は言葉を切った。「その時は…」
 アメリは微笑んだ。
「その時は、なあに?」
 野辺は、答えずに、素早く首を数回横に振った。それから、アメリに手を差し出した。
「…元気でな。退避している間に、もしこの島で何かあったら、一年過ぎようが二年過ぎようが、帰ってくるんじゃないぞ」
 それは、アメリの母親の言葉を辿るようだった。
 アメリは、少し時間をおいてから、躊躇いがちに野辺の手を握り返した。

 船から港に掛けられた桟橋に、次々と人が乗り込んでいった。委員長とアメリは僕らに向かって深々と頭を下げ、最後の方に乗り込んでいった。船の入口のところで、委員長は僕らに向かって笑顔を見せると、小さく手を振った。アメリは唇を噛みながら、俯いていた。
 やがて、桟橋が上がり始めた。そして、その時だった。
「リュウくん!」アメリが急に顔を上げると、泣きそうな表情で叫ぶのが聞こえた。「わたし、やっぱり島に残る!」
 普段どちらかというと大人しい性格のアメリからは、想像ができない行動だった。アメリは背負っていた荷物をその場に降ろすと、上がり始めた桟橋を駆け登って来たのだ。
「アメリ! 待ちなさい!」
 委員長がアメリの背中に叫んだ。
「リュウくん、受け止めて!」
 僕は、野辺の方を向いた。彼は、まるでアメリが戻ってくる事が解っていたかのように、冷静な表情で、両手を広げた。そして、桟橋の端を蹴って飛び降りたアメリを捕まえ、抱きかかえた。衝動でアメリのメガネは外れ、コンクリートの地面を滑った。
 アメリは、声を上げて泣いた。野辺は、そんなアメリの後頭部を撫でる様にしながら、馬鹿、馬鹿、と何度も呟いた。僕らは、それを呆然と見ている事しかできなかった。
「アメリ! なんて事を!」
 アメリの母親が、形相を変えて走って来た。そして、野辺からアメリを引きはがすと、その頬に平手打ちを入れた。まだ船のエンジン音が響き渡る中、その音は港中に木霊するかの様だった。
「…母さんっ…! ごめんなさい」
 アメリと母親は、顔を見合わせた。それから、母親はアメリの事を、強く抱きしめた。二人とも、声を上げて泣いた。僕は初めて、アメリの母親が、母親の顔をする瞬間を見た。
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