トキノクサリ

ぼを

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燐光石 -5-

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 人形山に入る初日。僕は物理教師に指示されて、まだ日の高いうちに神社の境内に向かった。僕はてっきり物理教師がいるものだと思ったけれど、僕を待っていたのはウミの祖父だった。普段、殆ど話した事がないので鼻白んだが、そう言えば物理教師は、この祖父が山に入る用具の面倒を見てくれる、と話していたのを思い出した。
 祖父は、顎で僕に指示をすると、社から少し離れた物置へと誘導した。
「あの娘も不憫だが、少年、あんたも貧乏くじだったな」
 祖父は、物置の鍵を開けながら言った。僕は、何を話したものか、戸惑った。
「…僕はいいんですけれど、ウミがあんなに固く決心をしている理由が、まだ解らないんですよね」
 祖父は笑った。
「気が強い様に見えて、本当は弱いが、それでも実際は強靭な精神の持ち主だからな。俺よりも頑固だぜ、きっと」
 祖父は、物置から大きな背嚢…というか、まあリュックを取り出すと、ファスナーを開け、内容物を一つずつ地面に並べた。
 折り畳み式のシャベル、ヘルメット、ヘッドライト、予備の電池、小型の鎌、鉈、厚手のゴム製だかウレタン製の作業用手袋が何双か、固形携行食、ゼリー状携行食、ペットボトルの水、トング、包帯、絆創膏、消毒液、防虫スプレー、発煙筒、ファイヤスターター、などなど。それから更に、物置の中から二つの袋を取り出した。
「水と食料は毎回、俺たちの方で補給をしておく。それ以外に食べたい物があったら自分で用意しな。まあ、そんなに長い間、籠る訳じゃないけどな。それから、こっちの袋は、石を入れる袋だ。二重になっていて、光が外に漏れない仕組みになってる。どのくらいの分量になるか解らないが、大量の石を持って歩くのは賢くないから、毎回どこかに拠点を決めて、この袋を置き、そこを中心に探索するのがいいだろうな」
「こっちの、ギターみたいな形をした袋は何ですか?」
 祖父は、ははは、と笑った。
「少年、あんたはこれがギターに見えるか。そいつは御趣向だ」
 祖父は袋…ギターで言うところのソフトケース…のファスナーを開けると、中から長細い物体を取りだした。
「これは…ライフル銃? ですか? ずいぶん、持ち手が寸詰まりですね」
「ばか、初心者にライフルなんて渡すかよ。これは空気銃だ」
 空気銃…。そんな物が、なんで必要なんだろう。それにしても、かなり本格的な外見をしている、というか、これは完全に猟銃だ。銃床はしっかりとした木で出来ている様に見えるし、砲身の上に乗っかっているスコープはかなり本格的だ。サバイバルゲームで使うエアガンの一種だろうか…。
「物理の先生は、この島に熊は居ない、って言ってましたけれど…」
 祖父は、その空気銃を構える仕草をしながら、ギロリと目だけ僕の方に向けた。
「こいつでは熊や鹿を仕留める事はできない。まあ、イノシシくらいなら威嚇して足止めできるだろうけれどな」
「じゃあ、何に使う目的の銃なんですか?」
「鳥を撃つ為さ。特にカラス。奴らは光り物とみたら、なんでも集めたがる習性があるからな。基本的にあんたの身の安全を確保するための物ではないと理解しておいた方がいい」
 祖父は、引き金を引いた。パシュ、と音がした。思ったよりも、ずっと静かな銃声だ。
「今のは空砲だが、実際は5.5mmのペレット弾を五発装填する。プレチャージ式の空気銃。立派な猟銃だ。本来は二種免許がない人間はこれを使う事ができない。空気圧で飛ばす、タンク付きの水鉄砲があるだろ? あれとエアガンを合体させたようなもんだ。実際、エアガンの化け物だと思ってもらえればいい。まあ、威力は数十倍あるがな。こいつは、山歩き用の最新型さ。重量は3kgを切ってるし、全長が1mしかない」
 言われてみると、砲身の下に、あの水鉄砲と同じようなタンクがくっついている。サイズ感はかなり小さいが…。
「これで、飛んでいる鳥を落とすんですか?」
「それができたなら、あんたはすぐにでもクレー射撃の大会に出場した方がいい。止まっているところを狙うんだ。50mくらいの射程があるから、気づかれずに撃てる。スコープをうまく使えば、初心者でも簡単に落とせるさ」
 祖父は、僕にその猟銃を渡して来た。持ってみると、驚くほど軽かった。見た目はずっしりしているのに。
「練習はできますか?」
「そのつもりだ。さあ、まずは、空気を充填する作業からだ」祖父は物置の中から自転車の空気入れを取り出すと、ノズルの先端を僕に渡した。「下側に穴があるから、そこに挿せ。あとは自転車と同じ要領だ」
 銃身を逆さまにすると、確かにそこに穴があった。穴の近くには、二つのアナログメータが付いている。方位磁針じゃなさそうだ。
「このメータは何ですか?」
「どうせ何発も撃たないんだ。気にする必要はないさ」
 いいんだろうか、それで…。
 僕はノズルを挿すと、猟銃を地面に置き、空気入れのハンドルを握り何度も上下させた。反発力が強くなってきたところで、祖父は、そのくらいでいい、と制止した。ああ、なるほど、どうやら片方は、空気圧のメータだ。
「次はペレットの装填。この小さな円盤に五発装填できる」
 僕は祖父に従って、レバーを引き、円盤…つまりマガジン…を装填し、レバーを戻した。それから祖父は、安全装置…これって本当に付いてるんだ…の外し方を僕に指示すると、物置にあった空き缶を片手に、二十メートルくらい離れた地面に置いて、戻って来た。
「あれを撃てばいいんですか?」
「安全装置を外して、引き鉄を引くだけだ。銃床を肩に当ててな。スコープを覗いて」
「これって、片目を閉じればいいですか?」
「いや、両目は開けたまま、スコープを片目で覗く」
「撃つ時、呼吸は止めた方がいいですか?」
「呼吸は止める。でも長く止めるのも良くない。引き金を絞って、撃つと決めたら一息に撃つ」
 パシュ、っという音がして、ペレットが発射された。次の瞬間、空き缶が弾け飛んだ。撃った時の反動は、思ったほどない。
「当たった…」
「そのまま、全弾、空き缶を狙ってみろ」
 続けて、僕は四発を空き缶に打ち込んだ。結局命中したのは、五発中、四発だった。
「その銃なら、初心者でも全弾命中が当たり前だ。少年、あんた下手クソだな」言われて、僕は苦笑いするしかなかった。「さっきも言ったが、威力がないから熊や鹿を撃つには向いてない。この銃で大型動物を撃つのは違法だって騒ぐ連中もいる。実際はどうか知らんがな。そもそも猟銃を他人に貸すのは違法だから、この際どうってことない。使うのは、どうしても鳥を狙わなきゃいけない時だと覚えておけば、それでいい」

 僕は、一通りの荷物を背負ってみた。リュックを背負い、燐光石を入れる袋を肩から斜めにかけ、さらに反対の肩から猟銃を掛ける。基本の装備だけで、恐らく10kgを超える。あとは石の量次第だが、あまりに多い場合は、祖父の言う通り、毎回拠点を決めた方がよさそうだ。
「ああ、そうだ、忘れていた。二つ、言っておく」祖父が言った。「その猟銃のタンクだが、空気が満タンの時は手榴弾と同じくらいの爆発力があるから扱いには気を付ける事。あと、その銃は中古の軽自動車が買える値段だから、丁重にな」

 やがて、神主とウミと物理教師がやって来た。ウミとは言葉を交わすタイミングはなかったが、僕と祖父の方に気づくと、笑顔で小さく手を振った。唇が、頑張ってね、と動いたように見えた。今から二時間、待機するんだろうか?
 
 山に入る前、僕は物理教師と地図の確認をした。効率を考えると、決して近い場所から攻略する事が正解ではなかったが、初日は何があるか解らない、という事で、できるだけ社の近くのエリアで、傾斜の緩やかな場所を選んだ。ただし、エリアまでの移動距離が少ない分、エリア自体は広い。
「山道は、この先だ」物理教師は、社の奥に続く道を指した。既に陽は傾き、かなり暗くなってきている。ここに、僕ひとりで入っていくのか…。「自分の居る場所は、エリアをマッピングした紙の地図と、スマホの地図アプリの現在位置と照らし合わせて確認してくれればいいと思う。多くの石を触る事になるから、作業用の手袋は必ず着用する事。ヘッドライトは、常時点灯させると燐光石が見えなくなるから、時々立ち止まってライトを消して、周りを見渡せばいいと思う。でも、目が闇に慣れるまでに時間がかかるかもしれないね。明滅は、慣れでタイミングをつかんで欲しい。あと、暑いと思うけれど、ヘルメットは常に装着しておいた方がいいよ。暗闇だと何に頭をぶつけるか解らないからね」
 僕は、長袖の服の上から、首筋を中心に、防虫スプレーを念入りに掛けた。それから全ての荷物を担ぎ上げた。行く先からは、夏の虫の鳴き声が聞こえてくるだけだ。
 僕は、物理教師の方を振り向いた。
「では、行ってきます」
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