トキノクサリ

ぼを

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手袋 -5-

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 下校時、僕は廊下で三人の生徒に呼び止められた。
「圷くん、こんな事を訊くのは申し訳ないのだけれど、木百合さんの具合は大丈夫なの?」
 代表して質問をして来たのは、二年生のクラスの総務委員だった。そうか、学年を超えて心配されているんだな…と思った。
「良くは…ないですよ。知ってると思いますけれど、片腕も失くしてしまいましたしね」
 総務委員は、それこそ申し訳なさそうに眉を潜めた。けれど、その後ろから二人の女生徒…二年生のクラスの生徒たちだ…が、彼をけしかけた。総務委員は、解ってる、と二人を振り払いながら、また僕の方を向いた。
「色々な噂を耳にしてるんだ。例えば、夜、神社の近くで幽霊が出る、って話。あれ…木百合さんの事なんだろ?」
 僕は、この質問の意図が理解できなかった。
「…そうだとしたら、何か気になる事がありますか?」
 後ろの女生徒たちは、顔を見合わせて、小さく悲鳴を上げた。総務委員は咳払いをした。
「体が光るのは、毒素を蓄えているからじゃないかって、噂されてるんだ。学校だけじゃない。町の人たちだって、そうだ」
「だから、腕だって切らなきゃいけなかったんでしょ?」
 後ろから女生徒が口を出して来た。総務委員は、それを制した。
 僕は、頭の中が真っ白になった。この島の人々は、ウミに感謝こそすれ、このような後ろ指を差すような噂をするとは、想像もしなかったからだ。
「…何を言いたいのか、よく解らないです」
 僕は、俯いて唇を噛みながら、言った。
「気を悪くしないで欲しい。正直なところ、多くの生徒から、木百合さんの毒は周りの人に悪影響があるんじゃないかって心配の声が上がってるんだ。例えば、感染するとか…」
 そういうことかよ…。
「…心配しないでください…」怒りを抑えながら話すのが、とても難しかった。僕はまた、奥歯を強く噛んで、感情を殺そうと努力した。駄目だ。ウミの為にも、台無しにしてはダメだ…。「もう、ウミが登校してくることは…ありませんから…」
 後ろの二人は、それで安堵したかのような言葉を漏らした。
「圷くん、あなたは?」女生徒の一人が言った。「あなたは、大丈夫なの? 木百合さんと一緒に、毒を浴びてるんでしょう?」
「僕は!」思わず、大声を出しそうになった。必死に抑えた。「僕は…ずっとウミの近くにいるけど…大丈夫だから…あなたたちが何か気にする必要はないですよ」
 僕は絞り出すように言うと、勢いよく踵を返し、走って校庭を抜けた。
 そうだ…本当は、こんな事、ちょっと考えれば想定できた筈なんだ。そもそも島の人たちは、ウミが自分たちの為に何をしてくれているか、なんて考えてもいないんだろう。いや、もし、ウミが命と引き換えに自分たちの命を護っているという事実を知ったとしても、大衆はウミに石を投げつけるかもしれない。人は、弱い。弱いから、助けてもらっている事にすら気づかなかったり、あるいは気づかないふりをする。もし気づいたとしても、それが期待の水準を満たさなかったら容赦なく差し伸べられた手をはたく。誰かを助ける、という事は、こういう仕打ちも含めた覚悟が必要なんだ。恐らく、それは僕にはなかったけれど…ウミにはあったのかもしれない。  

 昨日、繰り越した分の燐光石にプラスして、更に今日のエリアの燐光石の三割を次のエリアに繰り越した。僕は、不安だった。もし、脱出が失敗してしまったら…ウミは、繰り越した分の帳尻を合わせる責を負わされる事になる…。それを負わせるのは、僕自身、という事になる…。
 ウミはもう、自分で起き上がって燐光石を浄化できるような状態ではなくなっていた。左手も自由が利かなくなっている様で、自分で燐光石を掴もうにも、落としてしまう始末だった。神主は、僕に、浄化を行うから社から出て行くように、と伝えてきた。いつも、そうだ。僕には浄化をしているところを、意図的に見せないようにしている…。
「ウミは…今日、どうやって燐光石を浄化するんですか?」僕は、呟く様に言った。「もう、うまく持てないじゃないですか」
「私がウミの唇に燐光石を押し当てます」
 間髪容れずに、神主は答えた。
 僕は、ウミの顔を見た。ウミは、薄く微笑むと、ゆっくりと首を横に振った。僕は、強く目を瞑り、小さく数回、頷いた。
「…せめて、その役を、僕にやらせては貰えませんか?」
「それは許可できません」
 神主は、回答を用意していたかのように、即答した。僕は瞬時に、頭に血が上ってしまった。
「何故? どうして、何も容赦してくれないんですか!」
「それは、あなたには充分な覚悟がないからです」
 覚悟? 何に対する覚悟だ? ウミが死ぬことに対する覚悟か?
「ユウ、もう、やめておきなさい…」祖母が、半ば泣きながら、言った。「ウミちゃんが苦しむのも、もう沢山。だけれど、ユウが苦しむ事になるのも、もう沢山なんだから…」
 神主は、祖母を制した。
「圷さん、あなたには燐光石を採取してくる以上の事を求めていません。もっと言えば、その咎をあなたに負わせたくないのです」
「咎って…」僕には、それが何を示しているのか、理解ができなかった。「…どのみち後悔する事になるのであれば…僕に、やらせて下さい…お願いします」
「そうですか…」神主は、無表情に僕の目を見つめながら、呟いた。それから、ウミの方を見た。「ウミ、あなたは、どうですか?」
 ウミは、ゆっくりと頷いた。
 神主は、目を閉じて、何かを暫く考えるような素振りを見せた。
「解りました。では、今日より、あなたにお任せします。ただし、約束してください。やる、というのであれば、必ず、最後の一つの浄化が終わるまで、あなたの手でウミの唇に燐光石を運ぶのだと」
 僕は、頷いた。

 それから僕は、燐光石の入った袋を袂に、ウミの枕元に座った。ウミは…とても嬉しそうに、微笑んだ。
「始めても大丈夫?」
 僕は手袋もせずに、燐光石をひとつ、掴み取った。
「…うん、大丈夫だよ。見苦しいところを見せちゃうかもしれないけれどね…」
 僕は、燐光石をウミの唇に、軽く押し当ててやった。ウミは一度深呼吸をすると、ゆっくりと口から息を吸い込んだ。それは、この社の中で初めてウミがそうした時と、全く同様に、呼吸に合わせ、石は光を失って行った。
「うう…」
 終わった途端、ウミは苦しそうに呻き、顔をしかめた。汗が、ウミの頬を辿り、髪の毛が肌に張り付いている。
「ウミ、どうした? 苦しいの?」
「燐光石の毒の影響です」神主が言った。「体が弱れば弱る程、その影響は強くのしかかる…」
「そんな…! じゃあ、今までの燐光石全て、ひとつひとつ、ウミはこんなに苦しい思いをして…!」
「その通りです」
 僕は、項垂れた。自然と、涙があふれて、視界がぼやけた。ウミが、ユウくん泣かないで、と言った気がした。
「ウミ…ごめん、ごめん…。こんなに苦しんでいたなんて、知らなかったんだ…」
「知らせなかったからです」神主が言った。「圷さん、私を見なさい。あなたは、もう、やると決めたんです。たとえ、あなたの手でウミを殺す事になったとしても、あなたは、この責務を全うしなければならない」
 僕は、その言葉に、頼りなく、情けなく、首を何度も横に振ったと思う。そして、ひとしきり泣いた。泣いたけれど、泣けば泣く程、ウミが悲しむような気がした。だから、僕は、ウミが苦しむのをできるだけ気にしないように、もう、半ば作業であるのだと自分に言い聞かせて、ひとつひとつ、燐光石をウミの唇に乗せて行った。
 全ての浄化を終えた時、ウミはもう、殆ど気絶している状態だった…。 
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