トキノクサリ

ぼを

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人形山 -7-

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 全ての燐光石の浄化が終わった。
 ウミは瞳を閉じて…安らかな表情だった。刹那、僕は、ウミが死んでしまったのではないか、と思ったが、そんな僕を察してか、ウミは口許を少し緩ませると、小声で、ぴーす、と言った。ああ、そうなんだ。もし、ウミが充分に元気であれば、きっと、あのいつもの、にひひ、という笑い方をして、ピースサインをしていたに違いないんだ。
 僕は、神主の表情を伺った。神主は、無言でゆっくりと頷いた。
「よし、行こう」
 僕はウミの背中に手を回した。もう両腕ともなかったので、できるだけ僕が前かがみになって、少しでもウミの体重が僕の背中にかかるように、背負った。ウミは…恐ろしい程に、軽くなっていた。

 僕は、ウミに負担をかけないように慎重に、しかし、できるだけ早く、山頂を目指した。念のために…何が念のためか解らないが…僕は、リュックと猟銃を、港に向かう時とおなじ様に持っていた。
 暫く歩いたところで、例の子ガラスがやってきた。背中にウミがいるので、いつものように僕の肩やリュックに落ち着くことができず、周りを飛び回っていたが、やがて、僕らを先導するかのように山頂に向かって飛び始めた。まさか、僕の意志が通じたとは思わない。けれど、以前、巨石に連れて行ってくれた時と、同じ状況だ。僕は、早足にカラスを追いかけた。
 
 やがて、山頂に到着した。
 巨石は、前回来た時と同様に、まるで小宇宙然として輝いていた。そして、空は…まさに、満点の星で埋め尽くされていた。
 僕は、巨石のトンネルの入り口のところまでくると、地面に腰を下ろした。それから、ウミを、鳥居の方が良く見えるように僕の胸部を背もたれにして、座らせてやった。僕は、ウミがまだ生きているか不安だったけれど…ゆっくりと息をしているのが解った。
「ウミ、着いたよ。見える?」
 ウミは、ふう、と、大きく息を吐いた。
「なんだか…暖かい…ね…ここ…は…。ユウくん…の体温…? それとも…。ここは…人形…山…?」
「そうだよ。人形山の山頂。そこに鳥居があるの…解るかな?」
「とりい…。そうなんだ…なんとなく…わかる…よ」
「鳥居の向こうに、星空が…広がってるんだ。突き抜けるような星空が…」
「ほしぞら…」ウミの薄っすらと開いた目から、涙が零れるのが見えた。「わたし…ここから…なら…ほしに…なれるのかな…。鳥居の…巫女…だもん…ね…」
 それから、暫く、ウミは肩を震わせて、泣いた。
「ごめん、ウミ…ごめん。もう、無理してしゃべらなくていいよ。自分の時間を、大切にしてくれ…。僕なんかの為に使っちゃだめなんだ」
「ユウ…くん…。わたし…ユウくん…が…そばにいてくれて…今…家族や…友達の事…思い…だせてる…よ…。ありが…とう」
 ああ、ダメだ、ダメだ、ウミが死んじゃう。ウミが…死んでしまう…。
「ウミ…死なないで…」僕は、ウミを抱きしめた。「死んじゃダメだ…。そうだ、しりとりだ。しりとりをしよう。ウミ、考えて。僕からね。じゃあ、ウミの『み』。『み』だよ」
「み…。み…。みらい…かな…」
「『い』ね、ええと…いかのさしみ…また『み』だ」
「ユウくん…いじわ…る…。じゃあ…みかん…」
「ウミ…お願いだ、終わらせないで…。もっと続けなきゃ…」
「…『ん』で…はじまる…ことば…あるんだった…よね…」
 ああ、そうだった。いくつかあるんだ…。ええと…。
「ええと、なんだっけ…なんだったっけ…」ぽろぽろと涙が落ちるのが、自分で解った。「なんで思い出せないんだろう。こんな時に…なんで思い出せないんだろう…情けないなあ…ウミが待ってるのに…」
「いつまでも…つづく…なんて…たいへん…だね…」ウミが言った。「ユウくん…の…なみだ…あたたかい…なあ…」
 ウミはそれから、大きく深呼吸をすると…それきり、動かなくなった…。
 僕は、何度も、ウミ、ウミ、と呼びかけた。頬を何回か叩いてみたり、首筋で脈をとったりしてみた。けれど、無駄だった…。
 鳥居に切り取られた星空は、空しくなるくらい、綺麗だった…。

 暫くそうしていたが、やがて、ウミの温もりは失われた。僕には、まだ仕事があった。
 僕は、ウミを鳥居のそばの土の上に寝かせると、リュックから折り畳み式のスコップを取り出した。それから、鳥居の真下の土を掘り始めた。黙々と、掘った。ウミを…埋葬するんだ。この、最も空に近く、もう、誰にも邪魔されない、この人形山の山頂に…。
 かなり掘り進めた時だ。スコップでかき出す土の中に…光る石のような物が見た。僕は、背筋が凍った。まさか…まさか、燐光石がまだ残っていたのか? いやもしかすると、ただ掘っていなかっただけで、人形山のどこでも、土を掘り返せば、燐光石がまだまだ出てくるのかもしれない。でも、もう浄化の巫女は…ウミはいない…。
 僕は、半ば絶望的な心境で、その光る欠片を手にとった。それは…。それは、骨だった。骨だが…動物の骨じゃない。まさか…人の…骨…?
「悪霊め!」
 僕は、一人、叫んだ。
 それから、ウミの躰を、掘った穴に収めた。その躰は、ぼんやりと発光を続けており、ともすると、まだ生命を宿しているかのようでもあった。
 暫く、横たわるウミを眺めていたが、それでもいつまでもグズグズはしていられない。僕は、ウミの上から土を被せた。
 そして、全ての土を戻し、平になった地面の上に、うつ伏せになって寝ころんだ。ウミは今、僕の真下にいる…。なんだか…その土は、少し暖かいような気がした…。

「起きなさい。おい、起きなさい」
 どうやら、そのまま眠ってしまっていたらしい。気が付くと…あたりは、朝だった。ここは…人形山の山頂…だ。
 僕は、慌てて上体を起こした。そして、声がした方を振り返った。
 そこには…大仰な防護服に身を纏った、二人の大人が立っていた。自衛隊員か…?
「ここは立ち入り禁止の筈では? なぜ、人がいるんだ…?」
 僕は呟くように、二人に向かって言った。が、二人はその言葉を無視した。
「君は、この岩が何かを知っているのか?」
 一人が訊いて来た。僕は、かぶりを振った。
「よく…知りません」
「それでは、あの娘は? どうした?」
 言われて、僕は鳥居の下を指差した。
「あそこに…埋めました」
 言うと、二人は何度か頷いた。
「そうか…。君は、もう山を降りなさい。長居すべき場所じゃない…」

 その日…学校は、普段通りだった。浄化が終わったとか、何か危機が去ったとか、そういう話は一切なかった。でも、それは仕方がなかった。そんな事、皆、本当の意味では知らないのだ。ウミが死んだ、という事は、担任の教師から告げられたが、誰もそれ以上は触れようとしなかった。
 アメリは、学校を休んでいた。野辺に理由を訊いたところ、どうやら昨日、あの後、神主は首を吊って自殺を図ったのだそうだ。たまたま発見が早かったから命は助かったが、意識状態は良くないらしい。でも…その気持ちは、とてもよく解る気がした。この島のしきたりに縛られ、古杜の家系に縛られ、人を見殺しにしなければならなかった。僕はずっと、浄化は僕とウミだけで行っている物だと考えていたが、実際は神主を始めとした、多くの人が、その試練に耐え、やり遂げたのだ。
 けれど、恐らく、もう一ヵ月もすると、誰も噴火の事や、浄化の事なんか、気にしなくなるだろう。ウミの存在だって、殆どの人々の記憶から消え去っていく。そして、次の噴火の時には、もしかすると、また同じ苦しみが繰り返されるのかもしれない。人は、嫌な事を忘れられるから、生きていける。でも、忘れたから、奪われる命だってある。

 僕には、これからまだ、為さなければならない大きな仕事がある。この、永遠の鎖を断ち切るために…。
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