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Zayin(ザイン)
第4話
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突然の声に、僕とミコは同時に、ん? と呟きながら、正面を向いた。
そこには、ひとりの若い女性が立っていた。長いストレートの黒髪で、頭の上に淡い白色のベレー帽をかぶり、同色のコートが柔らかにその女性の体の輪郭線を描いていた。ともすると、高校生くらいに見えなくもないが、纏う衣服の淡い輪郭と比較してシャープな印象に仕上げられたビビットな色の口紅が、成人女性であることを物語っていた。
僕は、それが誰であるか、即座に解らなかった。慌てて脳ミソをフル回転させて、記憶を辿ってみるが思い当たらない。かなりの美形だが…。
僕は、横目でミコに合図した。君は僕の無意識を知っているんだから、誰だか思い出せるだろ?
「無理だよ」ミコが心の声に応えた。「見たことがある顔なら思い出せるけど、初めて見る顔だよ。それか、会ったことがあるけど、印象が変わりすぎていて解らないか」
初めて見る顔? 僕の事を先輩と呼んだのだから、女性の勘違いでなければ、長らく会う事がなかった人なんだろう。
僕の表情から察したのだろう。女性は、一瞬だけ寂しそうな顔を見せてから、微笑んできた。
「え…っと…」
「有香ですよ」女性は、微笑みを崩さずに言った。それから少しだけ困った様に、眉毛の形を顰ませた。「忘れちゃったんですか…?」
僕は名前を聞いて、すぐにそれが誰であるかを理解した。そして、これは本気で驚いて、本当に? と声を上げてしまった。
つまり、僕が高校時代に付き合っていた彼女だったのだ。あれから何年経った? 彼女は僕の一個下だから…。然し、言われても釈然としないくらい綺麗になった。化粧の所為だろうか。そして、なんで彼女がこんな同人イベントに顔を出してるんだ?
僕の狼狽を見て、有香は、キシシ、と笑った。あ、これってミコと同じ笑い方だ。そっか、元々は有香の笑い方だったのか。
「変わってないね」有香が言った。「きっと、相変わらずの早口なんでしょ?」
図星だ…。僕は返答に困って、笑うしかなかった。
僕は有香に、どうして同人イベントなんかにいるのか、と訊いた。彼女は笑顔のまま頷くと、答えた。
「元々サークルで詩を書いてたの、覚えてる?」
僕は首肯した。高校時代、僕は何故か漫研と演劇部と文藝部と卓球部を掛け持ちしており、彼女は文藝部に所属して いた。で、部活動として詩を書いては、季刊発行の同人誌に掲載をしていた。付き合っていた当時、僕等の関係を詩にしていて、見せてくれたのを覚えている。バンドマンと付き合うと歌にされるから付き合うな、なんて言う人がいるけど、僕は詩の題材にされる事は嫌じゃなかった。
僕は、彼女の言葉で、この同人イベントでの位置づけがなんとなく理解できた。
「もしかして…」僕が言った。「歌詞を書いてる?」
有香は微笑みを湛えたまま、小さく首肯した。なるほど。彼女も、どこのサークルかは知らないが所属していて、ボカロ曲の歌詞なんかを書いているんだろう。
僕は彼女に、有香が作詞した曲を聴かせて欲しい、とお願いした。彼女は少し考える様にしてから、今度聴かせてあげるね、と答えた。
「あれ?」僕が言った。「今回はサークル参加じゃないの?」
有香は首肯した。
「前回は参加したんだけれど」彼女が言った。「今回は新作がないから、一般参加」そういう事ね。「でも、わたし、まさか先輩がボカロ曲作ってたなんて知らなかったです」
僕は笑った。
「そりゃそうだろうね。僕の揺蕩うサークル遍歴には、楽曲を扱う物はなかったものね」
そういえば、付き合っていた時はお互いに名前で呼び合っていた記憶がある。大学受験を切っ掛けに、つまりは僕が浪人した事が要因だが、別れてからは、彼女は僕の事を先輩、と呼ぶようになった。他人行儀だと思ったが、呼称の変更は適度に距離を示すのに適している。なんて便利な言語なんだろう、と思う反面、この国の人間の悲しき性でもあるな。
僕は、彼女に新作のCDと、名刺を渡した。
「気が向いたら、連絡してよ」
僕の言葉に、少しだけ有香は目を輝かせて、頷いた。
「先輩、今はお住まいは…?」僕は彼女の言葉に、今は東京、ここの近く、と答えてやった。「そうなんだ!」声を弾ませて彼女が言った。「わたしも、今は東京なんです」
「へえ」僕が言った。「じゃあ、会おうと思えば、気軽に会えるね」
僕の言葉に他意はなかったが、彼女は頬を染めながら、小さく黙って頷いた。
互いに連絡する事を約束してから、有香はその場を離れた。見渡すと、客足が会場に戻ってきていた。
「昔の彼女なんだ」ミコが話しかけてきた。僕は横目で彼女を見ると、そうだよ、と答えた。「ふ~ん」彼女が言った。
嫉妬かな、と思った。でも、いつになく真剣な表情だ。
「どうかした?」
僕が訊いた。ミコは小さくかぶりを振ってから、少しだけ考える様にして、それから僕と視線を合わせてきた。
「あの有香って人…」ミコが言った。「気を付けた方がいいかもよ」
ん? どういう事? ミコが言うって事は、それは僕の本心って事?
僕は敢えてそれには応えずに、流動客の呼び込みを開始した。
やがてミコのコスプレのままの先輩が戻ってきて、平常運転になった。
そこには、ひとりの若い女性が立っていた。長いストレートの黒髪で、頭の上に淡い白色のベレー帽をかぶり、同色のコートが柔らかにその女性の体の輪郭線を描いていた。ともすると、高校生くらいに見えなくもないが、纏う衣服の淡い輪郭と比較してシャープな印象に仕上げられたビビットな色の口紅が、成人女性であることを物語っていた。
僕は、それが誰であるか、即座に解らなかった。慌てて脳ミソをフル回転させて、記憶を辿ってみるが思い当たらない。かなりの美形だが…。
僕は、横目でミコに合図した。君は僕の無意識を知っているんだから、誰だか思い出せるだろ?
「無理だよ」ミコが心の声に応えた。「見たことがある顔なら思い出せるけど、初めて見る顔だよ。それか、会ったことがあるけど、印象が変わりすぎていて解らないか」
初めて見る顔? 僕の事を先輩と呼んだのだから、女性の勘違いでなければ、長らく会う事がなかった人なんだろう。
僕の表情から察したのだろう。女性は、一瞬だけ寂しそうな顔を見せてから、微笑んできた。
「え…っと…」
「有香ですよ」女性は、微笑みを崩さずに言った。それから少しだけ困った様に、眉毛の形を顰ませた。「忘れちゃったんですか…?」
僕は名前を聞いて、すぐにそれが誰であるかを理解した。そして、これは本気で驚いて、本当に? と声を上げてしまった。
つまり、僕が高校時代に付き合っていた彼女だったのだ。あれから何年経った? 彼女は僕の一個下だから…。然し、言われても釈然としないくらい綺麗になった。化粧の所為だろうか。そして、なんで彼女がこんな同人イベントに顔を出してるんだ?
僕の狼狽を見て、有香は、キシシ、と笑った。あ、これってミコと同じ笑い方だ。そっか、元々は有香の笑い方だったのか。
「変わってないね」有香が言った。「きっと、相変わらずの早口なんでしょ?」
図星だ…。僕は返答に困って、笑うしかなかった。
僕は有香に、どうして同人イベントなんかにいるのか、と訊いた。彼女は笑顔のまま頷くと、答えた。
「元々サークルで詩を書いてたの、覚えてる?」
僕は首肯した。高校時代、僕は何故か漫研と演劇部と文藝部と卓球部を掛け持ちしており、彼女は文藝部に所属して いた。で、部活動として詩を書いては、季刊発行の同人誌に掲載をしていた。付き合っていた当時、僕等の関係を詩にしていて、見せてくれたのを覚えている。バンドマンと付き合うと歌にされるから付き合うな、なんて言う人がいるけど、僕は詩の題材にされる事は嫌じゃなかった。
僕は、彼女の言葉で、この同人イベントでの位置づけがなんとなく理解できた。
「もしかして…」僕が言った。「歌詞を書いてる?」
有香は微笑みを湛えたまま、小さく首肯した。なるほど。彼女も、どこのサークルかは知らないが所属していて、ボカロ曲の歌詞なんかを書いているんだろう。
僕は彼女に、有香が作詞した曲を聴かせて欲しい、とお願いした。彼女は少し考える様にしてから、今度聴かせてあげるね、と答えた。
「あれ?」僕が言った。「今回はサークル参加じゃないの?」
有香は首肯した。
「前回は参加したんだけれど」彼女が言った。「今回は新作がないから、一般参加」そういう事ね。「でも、わたし、まさか先輩がボカロ曲作ってたなんて知らなかったです」
僕は笑った。
「そりゃそうだろうね。僕の揺蕩うサークル遍歴には、楽曲を扱う物はなかったものね」
そういえば、付き合っていた時はお互いに名前で呼び合っていた記憶がある。大学受験を切っ掛けに、つまりは僕が浪人した事が要因だが、別れてからは、彼女は僕の事を先輩、と呼ぶようになった。他人行儀だと思ったが、呼称の変更は適度に距離を示すのに適している。なんて便利な言語なんだろう、と思う反面、この国の人間の悲しき性でもあるな。
僕は、彼女に新作のCDと、名刺を渡した。
「気が向いたら、連絡してよ」
僕の言葉に、少しだけ有香は目を輝かせて、頷いた。
「先輩、今はお住まいは…?」僕は彼女の言葉に、今は東京、ここの近く、と答えてやった。「そうなんだ!」声を弾ませて彼女が言った。「わたしも、今は東京なんです」
「へえ」僕が言った。「じゃあ、会おうと思えば、気軽に会えるね」
僕の言葉に他意はなかったが、彼女は頬を染めながら、小さく黙って頷いた。
互いに連絡する事を約束してから、有香はその場を離れた。見渡すと、客足が会場に戻ってきていた。
「昔の彼女なんだ」ミコが話しかけてきた。僕は横目で彼女を見ると、そうだよ、と答えた。「ふ~ん」彼女が言った。
嫉妬かな、と思った。でも、いつになく真剣な表情だ。
「どうかした?」
僕が訊いた。ミコは小さくかぶりを振ってから、少しだけ考える様にして、それから僕と視線を合わせてきた。
「あの有香って人…」ミコが言った。「気を付けた方がいいかもよ」
ん? どういう事? ミコが言うって事は、それは僕の本心って事?
僕は敢えてそれには応えずに、流動客の呼び込みを開始した。
やがてミコのコスプレのままの先輩が戻ってきて、平常運転になった。
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