仄暗い部屋から

神崎真紅

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第二章

act 9 出産

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  季節が移り、陽射しが強く感じる頃、瞳の出産予定日が近付いて来た。
  賢司は、あれから瞳に薬を何度使っただろうか・・・・?
  拒否する瞳に、強引に注射を打つ。
  一度身体に薬が入ってしまえば、賢司の思う壺だった。
  拒絶する事等、すっかり忘れ、賢司の欲望を満たす、マリオネットになる瞳。
  それを承知の上で、賢司は妊娠中にも関わらず、瞳に薬を使い続けた。
  結果、瞳は妊娠中毒症に掛かってしまった。

  妊娠中毒症とは、血圧上昇、尿タンパク排出。赤ちゃんがお腹にいる事そのものが、中毒の原因になる。
  しかし、自覚症状がない。一歩間違えば、死に直結する危険な状態だった。
  瞳は緊急入院する事になった。
  血圧降下剤を処方され、先ずは血圧を下げる事が、重要らしかった。
  急激な血圧の上昇や、尿にタンパクが排出されたり、浮腫むくみが現れる。
  この症状を子緩しかんと言う。
  突然黒目がぐるんと上を向いて倒れ、そのまま意識不明に陥る。
  こうなったら、ほぼ母体は助からない。
  帝王切開で、赤ちゃんだけは救えるだろうが・・・・。

  覚醒剤を使えば、血圧は跳ね上がる。
  瞳は低血圧だったが、覚醒剤の作用で、血圧が200/160と言う高い数値になってしまう。
  これは一時的な状態で、薬が抜ければ、血圧は元に戻る。
  しかし、血管に水で溶かした覚醒剤を注射するのだから、無論身体に良い訳がない。
  覚醒剤を注射している人は、脳梗塞や心筋梗塞を起こす人が多い。
  血液が凝固して、それが血管に詰まってしまうのだろうか。
  どちらにしても、長くは生きられないだろう。
  それを判っていても、覚醒剤を断つ事は出来ない。
  それが麻薬と言うものだ。

  瞳が入院して、一週間過ぎたある日。
  突然始まった下腹部の痛み。
  それは、下痢の痛みに似ている。
  瞳のお腹に、分娩監視装置が取り付けられた。
  まだ早い時期だが、出産が始まってしまった。
  これは、瞳の身体がこれ以上の妊娠に耐えられなくなった為なのかも知れない。
  幸い9ヶ月に入っていたので、そのまま出産に踏み切った。

 「瞳、大丈夫か?」
 「ん・・・・、賢司、腰が痛いよ・・・・」
 「腰か?どうすればいいんだ?」
 「擦って・・・・、痛い、痛いよ・・・・」

  生まれて初めての、経験だ。
  瞳はただ陣痛に耐えるしか、なかった。
  子宮口が10㎝に開くまでは、力を抜いて痛みを逃すしかない。
  地獄の様な痛みに、瞳は汗だくになりながら、耐え続けた。
  寄せては返す波の様に、痛みは規則性を持って瞳を襲う。


  ・・・・何時間過ぎたのだろうか。
  陣痛の間隔が、短くなって殆ど痛みのない時間がなくなってゆく。
  その時、パチン、という音と共に、生ぬるい液体が、瞳の下半身から流れ出た。
  それを合図の様に、助産士が言った。

 「破水したわね、もういきんでもいいわよ」

  神様の声の様な、一言だった。

 「はい、息を思い切り吸ってー、止めて」

  瞳は、言われるままに深呼吸した。

 「はい、息を止めて力一杯いきんでー」

  うぅ~ん・・・・。
  心無しか、いきむと痛みが遠くなる。

 「赤ちゃんの頭が見えてきましたよ、はい、もう一度息を吸ってー、はい、止めて力一杯いきんでー」

  うぅ~・・・・。

 「はい、もう力を抜いていいわよ」

  その直後、するりと何かが瞳の下半身から抜け出した。

 「ふぇっふぇ~、ふぇ~」
 「おめでとうございます、女の子ですよ」

  女の子・・・・。
  あたしの赤ちゃん・・・・。

 「賢司・・・・」
 「瞳ぃ、女の子だよ、可愛いよ。ありがとうな、瞳」
 「賢司・・・・、あたしも、嬉しい・・・・」

  頭が熱い。
  熱があるみたい・・・・。
  それに眠い。
  疲れたよ・・・・。
  瞳はそのまま、分娩台の上で眠りに堕ちた・・・・。

 「宮原さん、大丈夫ですか?」
 「あ・・・・れ?あたし・・・・?」

  看護婦さんに声をかけられて、まだ分娩台の上にいる事に気付いた。

 「病室に戻りましょうね。隣のタンカに移れますか?」
 「あっ、はい」

  移ると言っても、まだ歩いてはいけないらしく、横になったまま転がる様にして、タンカに乗った。
  そのまま病室まで連れて行かれ、またベッドに転がる様にして移った。

 「宮原さん、出血の状態を診ますね」

  そう言って、瞳の下腹部をぎゅうぎゅうと押した。
  その度に、生暖かい血液が流れ出している。

 「出血が止まらない様なので、止血の点滴をしますね」

  看護婦が、黄色い液体の入ったパックを点滴のフックに下げた。

 「瞳!」

  賢司が病室で待っていた。その手には、大きな花束があった。

 「瞳、ご苦労様」
 「賢司、凄い花束。ありがとう。嬉しいよ・・・・あれ?」

  花束の中に、手紙が添えられていた。
  賢司からの、ラブレターだった。

 「賢司、これは?」
 「俺の気持ち」
 「読んでもいい?」
 「あぁ」

  封筒から、便箋を取り出す。

 『瞳、ご苦労様、そしてありがとう。俺に娘が出来た、俺達3人家族になったんだな。夢みたいだよ』

 「賢司、ありがとう。あたしも賢司の赤ちゃんが産めて、嬉しいよ」
 「俺達の娘はすこぶる美人だぜ」

  既に、親バカの片鱗を見せていた賢司だった。

 「賢司・・・・傍にいてくれるの?」
 「あぁ、瞳は疲れただろう?ゆっくり休め」
 「うん・・・・凄く眠い・・・・」

  出血が多かった為なのか、瞳は眠くて気が遠くなりそうだった。
  そんな瞳の様子を、笑って見ていた賢司が、静かに言った。

 「心配しなくても、俺は瞳の傍にいるから、今は眠れ」
 「うん、ありがと」

  そのまま瞳は睡魔に襲われた。
  賢司は、病室の中でそわそわと、落ち着きがない。
  産科は全て個室になっている。
  トイレと洗面所、それにソファが設置されていた。

  瞳が眠った後、賢司はトイレに入って、ひとり覚醒剤を打った。
  が、トイレから出られない。
  ヤバい、量が多かった。
  ふらつきながら、ソファ迄たどり着いたが、そのまま暫く動けなかった。

  そこへ、看護婦が点滴の交換に入って来た。
  不振に思うだろうか?

 「宮原さん、疲れました?」
 「ええ・・・・、バタバタしてましたから」

  辛うじて、それだけを言い、賢司はソファに横たわった。
  ・・・・静かな病室に、瞳の寝息だけが聞こえて来る。
  が、賢司は自分の心臓の鼓動しか、聞こえて来ない。

  少し、落ち着いて来たが、今度は手持ちぶさたでどうすりゃいいのか、判らない。
  止めとけばよかったな・・・・。
  瞳はぐっすり眠っているし、話し相手すらいない。
  完全に覚醒してしまっている、眠る事も出来ない。
  しかも、ここは産科の病室だ。
  瞳に何かする訳にもいかない。
  ましてや瞳の腕には、止血の点滴が刺さっている。
  医師の話しだと、瞳はかなり出血が多かったらしい。
  瞳とは、いつでもできる。今は、瞳の寝顔を見ているか・・・・。

  だが覚醒剤の入った状態の賢司だ。
  うろうろと病院内を歩いて回る。
  何もする事がないと、落ち着かなくなるのも、覚醒剤の作用だろうか?
  個人差もあるのだろう。

  ふと、賢司は新生児室の前で足を止めた。
  ここに、俺達の子供がいるのか・・・・。
  何となく不思議な気分だな。
  この俺が父親になったのか。
  そんな日が来るなんて、考えもしなかったな・・・・。
  賢司はひとり新生児室の硝子の前で、感慨に耽ふけっていた。

  そうだ!
  名前。
  名前を考えなくちゃな。

  いい事を思い付いたとばかりに、瞳の病室に戻って行った。
  相変わらず、瞳は熟睡している。
  出産ってのは、そんなに疲れるものなのか。
  瞳の顔色がいつもより白く、血の気がない。
  どれだけの出血があったのだろうか?
  瞳に起きる気配がないので、賢司は仕方なく病室を後にした。
  本屋に行って、赤ちゃんの名前を考える為の本を買おうと考えたのだ。
  病院の中にある、売店にも文庫本や、雑誌に混ざってその手の本が置いてあった。

 『姓名判断』
 『赤ちゃんの名付け方』

  この二冊の本を買い、瞳の病室に戻って行った。
  すやすやと眠る瞳のベッドの横に、椅子を持ってきては、早速買って来た本に目を通す。

 「女の子だしなぁ・・・・可愛い名前がいいよな」

  メモ帳に、候補の名前を書いていく。
  そんな作業に没頭していたら、いつの間にか、
  朝になっていた。

 「宮原さん、検温の時間ですよ」
 「ふわぁ~・・・・、もう朝?・・・・賢司、何してるの?」
 「子供の名前を考えてたんだよ、瞳は疲れたんだろうから、邪魔しない様にな」
 「へぇ、可愛い名前あった?」

  看護婦に体温計を渡しながら、わくわくしながら聞いた。

 「そうだな、幾つか候補はあるけどな。瞳の意見も聞かないとな」
 「あたしね、昔見たドラマの中でね、可愛い名前があってね。ルカって言うの」
 「宮原さん、少し熱が高いですね」
 「うん・・・・、ちょっと熱っぽいかな?だるいし」
 「後で医師の回診がありますからね」

  それから程なくして、朝食が運ばれて来た。

 「そうかぁ、昨日は陣痛のせいで何も食べられなかったんだっけ」

  出された朝食を、ペロリと平らげた。

 「何かまだ足りないなぁ・・・・」
 「じゃ、地下にレストランがあったから、食いに行くか?俺も朝飯まだだし」
 「うん、行く」

  こうしてふたりで歩いていると、何処にでもいる、普通の夫婦にしか見えない。
  それが本当の麻薬の恐さかも知れない。

  もしかしたら、隣近所の何の変哲もない人が、麻薬に侵されているかも知れないのだ。
  麻薬で幻覚を見たり、妄想に取り付かれる訳ではない。
  何日間も眠らないから、脳が悲鳴を上げるからだ。
  それ以外だと、混ざり物の質の悪い薬を使い続けて、頭がパンクしてしまう場合もある。

  テレビ等で報道されている、無差別通り魔事件などを惹き起こしている輩やからは、既に人としての尊厳すら、持ち合わせていない。
  もう、専門医に治療を受けても無駄な、廃人と化しているのだ。
  アメリカの有名人が、次々と、謎の死を遂げている。
  殆んどが、麻薬の過剰接種が死因だろう。
  死者に対する冥福の気持ちより、麻薬で死んだ事の方が大事なのだろうか?

  賢司とふたりで、瞳は地下のレストランに向かった。
  ・・・・心無しか、歩いていてもかなりふらつく。

 「瞳?お前真っ直ぐ歩いてねぇぞ?大丈夫か?」
 「うん・・・・ちょっとふらふらする」
 「顔が真っ青だぜ。蝋人形みたいに見えるわ」

  そう言って、賢司は笑った。

 「食べれば少しは違うんじゃない?そんなに笑わないでよ。蝋人形って何よ?」
 「俺は見たままを言っただけだぜ」

  賢司の腕に掴まりながら、瞳は辛うじて歩いている状態だった。
  それでも、こんな他愛ない会話で、笑い合っていられるのが、瞳には愉しかった。

 「今日から赤ちゃんに、おっぱいあげる練習するんだよ」
 「本当か?俺にも抱かせてくれるかな?」
 「さぁ?聞いてみれば?」
 「さっきの瞳が言った名前、可愛いかったな。ルカだっけ?」
 「うん、字はね、瑠花がいいな」
 「いいんじゃね?瞳が気に入った名前でよ」

  レストランの席に案内され、向かい合って座りながら、そんな話しをしていた。

 「あたし天ぷらうどんとオレンジジュース」

  メニューを見て、瞳はオーダーを決めた。

 「俺は生ビールとざるそば」

  ウエイトレスにそう告げると、メニューを下げて行った。
  瞳は不思議に思った。
  賢司は割と大食いなのに、今頼んだ量では、足りないだろうと。

 「賢司、あたしが寝てる間に何かやらなかった?」
 「何かって何をだよ?」

  生ビールを呑みながら、瞳に言い返した。
  明らかに、顔に出ている。もう、何年も賢司を見て来た。
  顔を見れば判るのだ。

 「賢司・・・・やったでしょ?」
 「は?何を?」

  賢司はばれているのは、判っているのだが、瞳に不謹慎だと怒られる様で、言えなかった。

 「ふぅ~ん、まぁいいや」

  天ぷらうどんが運ばれて来たので、そんな話しはもうどうでもよかった。
  賢司が瞳に隠れて、ひとりで薬を使う事など、珍しくもなかったから。

 「あぁ~美味しい。妊娠してる間ずっと悪阻つわりで、食べられなかったからなぁ」

  賢司が食べない事への、当て付けの様に、瞳は嬉々としてうどんを啜った。
  賢司は、生ビール一杯で、すっかり酔いが廻った模様。
  覚醒剤が入っている状態で、アルコール等呑んだらいつもより酔いが廻るのは早い。

  中には、覚醒剤を打ちながら、水代わりに酒を呑む人もいる。
  こんな人は大抵薬を打ちながら直ぐに食事も摂れるし、眠る事も出来る。
  正に怪人である。
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