仄暗い部屋から

神崎真紅

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第二章

act 11 再会

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 帰ると決めたら、ヤクザとその女が帰って来る前に、此処から逃げ出さなければならないだろう。

  もう、一刻の猶予もない。ふたりは、身の回りの物を片付け始めた。
 持って来たバックに入らない物は、段ボールに詰め込んで、真知子の娘が来るのを待った。

  ジリジリと時間だけが過ぎてゆく....。
  このままヤクザが先に帰って来てしまったら、また何かしらの言い訳を理由に、此処に閉じ込めておくだろう。
  どっちが先に辿り着くか、これは大きな賭けだろう。

  帰りたい。
  賢司と過ごしたあの懐かしいマンションへ....。
  が、ここで瞳の希望は打ち砕かれた。

  ヤクザとその女が帰って来てしまった。
  もう、きちんと話し合うしか、帰る道はない。

 「....そうかい、だがな俺は危険を承知で姐さんは帰せない。何か遭った時に、中野の兄弟分に合わせる顔がなくなっちまう」
 「それじゃああたしは関係ないですね。あたしだけでも帰ります」
 「あんたがそう言うんなら、止めやしねぇ。好きにしてくれ」

  ほ....。
  これで帰れる。
  そこへ真知子の娘が3人で来た。
  やはり、不安だったのだろう。
  真知子の顔を見るなり涙ぐんでいた。

 「藤谷さん、私も娘達と一緒に帰ります」

  藤谷と言うのが、中野の兄弟分の名前だったのか。
  瞳には関係ない人物なので、名前すら聞いてなかった。

 「そうかい、あんたも帰るかい。一つ約束してくれねぇか?俺の名前は一切誰にも言わない」
 「はい、判りました」
 「例え同じ組織でもよ、組が違う奴が出しゃばったんじゃあ、筋が通らねぇ」
 「判りました、私達藤谷さんの事は一切誰にも言わないと、約束します」
 「それじゃあよ、この女に気持ちだけ置いてってやってくれ。俺は兄弟分に頼まれたから動いただけだからな」
 「判りました」

  真知子の娘の車に、荷物を積み込む。
  が、とても全部の荷物は積めなかった。

  ミネラルウォーターだけでもまだ6ダースも残っていた。
  それに布団が二組。
  チョコレートやポテトチップス等のお菓子の類い。
  薬を抜くと、甘い物が欲しくなる。
  その為に、買い出しに連れていかれた時に、買いだめしていた。
  瞳はチョコレートが大好きだ。
  これは置いて行くには、惜しい。
  反対に、ミネラルウォーターはもう要らない。
  帰れば家に幾らでもあるものだ。

  やっと解放されるんだ。
  帰ればきっと賢司の居場所も判る筈。

  逢いたいよ....。
  賢司に逢いたい。
  賢司、待っててね。
  絶対に逢いに行くから。

  真知子の娘の車に乗り、広い道路に出た。
  そこは....。
  瞳達が監禁されていた場所は、瞳の家から、40分位の場所だった。
  そんなに近くに居たとは、思いもよらずにいた。

  藤谷は、巧妙な手口で、瞳達を乗せてから、都内を回って戻って来たのだ。
  元々瞳は、酷い方向音痴だった。
  だから、今まで自分達が何処に居たのか、判らなくても不思議ではなかった。
  ミニバンタイプの車だったが、大人が5人乗った上に、布団が二組、その他にふたり分の衣類等が積まれている。

  すし詰め状態だったが、瞳はそれでも嬉しかった。
  やっと帰れるんだわ。
  瑠花を胸に抱いて、瞳は言った。

 「瑠花、おうちに帰ろうね。そしたら、パパに逢いに行こうね」
 「パパ....?」

  無論、瑠花に判る筈はないのだが、ただ話したかった。
  賢司に逢いたい。
  賢司だって、きっとそう思ってる筈だもの。
  窓越しに、見馴れた景色が瞳の目に映った。

  もうすぐマンションが見えて来る。
  車は、瞳のマンションのエントランスの前に停まった。

 「これは....宮原様、お帰りなさいませ。ご伝言を預かっておりますが」
 「それよりちょっと手を貸して。荷物が多いの」
 「は、畏まりました」

  管理人の手を借りて、瞳は持ち帰った荷物を部屋に運んだ。
  部屋の中は、あの夜、出て行った時のままだ。
  懐かしさと相まって、賢司がいない寂しさが、ぽっかりと空いた穴の様に、瞳の胸を締め付ける。

  あっ!
  そうだ。
  管理人さんが、伝言があるって言ってた。

  瑠花を抱いて、エントランスに降りて行く。

 「宮原様、ご伝言を預かっております。新宿署の刑事さんからですが、宮原様は今、新宿署に留置されているそうです。それから、弁護士の梅田様から連絡を戴きたいとの事です」

  そう言って、新宿署からの封書と、弁護士の梅田さんの携帯番号の書かれたメモを渡された。

 「ありがとう。これで賢司に逢いに行けるわ」

  とは言うものの、瞳は尋常じゃない程の、方向音痴だ。
  果たして無事に新宿署に辿り着くだろうか?
  車には、一応ナビが付いている。

 「何とかなるわよね」

  ただ....。
  会いたかったのだ。
  突然引き裂かれた様に、捕まってしまった賢司。

  元気にしてるの?
  瑠花にも会いたいだろうに....。
  あんなに可愛がっていたんだからね。

  よし!
  明日逢いに行こう。
  そうよね。
  着替え持って行ってあげなくちゃね。

 「瑠花、お買い物に行こうね」

  この前のは、あんまり品物が良くなかったし。
  賢司は安物は着ない。
  瞳は瑠花を助手席のチャイルドシートに乗せて、ショッピングセンターに向かった。
  此処なら全て揃うし、賢司の好みに合わせて選べる。

  でも留置所では、余計な飾りの付いている物は駄目。
  無難な綿のスエットを三着選んだ。

  まだ寒い季節だし、下着も暖かい厚手の物を選んだ。
  これを持って、明日は新宿署に行くからね。

  その夜。
  瞳は数日振りで、自分のベッドで眠った。
  瑠花を抱いて....。
  ただ、賢司が居ない事を除けば、何も変わらない夜だった。

  翌朝。
  何時もより早く目が覚めた。

  着て行く服を選びながらも、そわそわと落ち着かない。
  瑠花とふたり、簡単な朝食を済ませると、賢司に差し入れする衣類の入った大きな袋を車のトランクに積む。
  それから瑠花を助手席のチャイルドシートに乗せて、カーナビをセットした。

  行き先は、新宿署。

  ナビの案内に沿って、瞳は車を走らせた。
  高速道路の案内が出た。
  首都高新宿線に向かうように、ガイダンスが流れる。
  中野長者橋出口で降りる指示。

  ガイダンスに従って、新宿の街に出た。
  此処から先は、本当にナビだけが頼りだ。
  が、しかし瞳の方向音痴は恐るべし。

  ポ------ン!
 『ルートを外れました。ルートを再検索します』

  何度も繰り返し、ガイダンスが流れる。

 「もう!賢司が居れば絶対に迷い子になったりしないのに」

  瞳は自分の方向音痴を呪った。
  けれど、今は自力で新宿署に辿り着かなくちゃならない。
  今日面会に行く事は、昨日の内に新宿署に連絡しておいた。

  1日一組しか、面会出来ない。
  誰か、他の人が面会に行かないとは、言い切れない。
  賢司は付き合いのある人物が、かなり多いからだ。

  事前に、瞳が面会に来ると判っていれば、他の人の面会は断れるからだ。
  きっと賢司は待ってる。
  賢司だって、あたしと同じ気持ちの筈だもの。

  ポ-----ン!
 『目的地周辺です』

  あっ!
  あれだ。あの角の建物が新宿署だ。

  真新しいその建物は、入り口に、警棒を持った警官が立っていて、物々しい雰囲気を醸かもし出していた。

  建物の前に駐車スペースがある。
  車を停めて、瑠花をベビーカーに乗せ、賢司への差し入れの袋を持って、中に入っていった。

  入って直ぐに、受付がある。
  自分の名前を書いて、面会用のカードを貰う。
  そこからエレベーターで、三階に向かう。
  三階には、差し入れ等の受付と、面会の受付をする。
  どうやら、この階に留置所があるらしい。
  瞳が差し入れる物を差し出すと、警官らしき人物が、一つ一つ調べている。

 「パンツ三枚、シャツ三枚、股引き三枚、靴下三足、丸首上下三着ね。この紙に書いて」

  ぶっきらぼうにそう言って、用紙を瞳に差し出す。
  瞳が書き始めると、警官が言った。

 「面会用の用紙はこれね」

  全部書き終わると、待合室で待つ様に言われた。

 「宮原さん、3番の面会室に入って」
 「はい」

  ドキドキしながら、重い扉を開けた。
  アクリルの、透明な板が中央にはめ込まれていて、真ん中には丸く穴が互い違いに空けてある。
  此処から余計な物を入れられない様になっている。
  ベビーカーごと部屋に入って、椅子に座った。
  瞳にとって、初めて入る面会室。
  少しの間を置いて、賢司が部屋の向こう側から入って来た。

 「瞳....」
 「賢司....、元気だった?逢いたかったよ....」
 「俺も....、逢いたかった。瞳と瑠花に」

  賢司の目が潤んでいる。
  瞳はその大きな目から、幾つもの大粒の涙が零れていた。
  そして、上ずった声で賢司が言った。

 「瞳、頼みがある。保釈金保証協会という所がある。そこに行って、保釈金の貸付けの申し込みをして来て欲しいんだ」
 「ほしゃく....きん?」
 「そうだよ、保釈金さえ払えば裁判迄の間は家に帰れるんだ」
 「帰って来られるの?」
 「そうだよ。今同じ部屋に入っている人が教えてくれたんだよ。....お前と瑠花が居なくなったって聞いたらな」
 「あたし…真知子さんと一緒に居たんだよ」
 「中野の奥さんか?」
 「うん、藤谷ってヤクザ屋さんに連れて行かれたの」

  藤谷か。
  中野の兄弟分の奴だったな。
  あんまりいい噂は聞いた事はなかったが。
  中野が真知子さんを逃がす為に頼んだんだろう。
  中野はシャブだけの容疑だからな。
  直ぐにガサが入ってもおかしくない。
  真知子の身体からシャブの反応が出ちまったら、真知子も捕まるだろうからな。

 「瞳、ちゃんと聞いてくれ。俺は最初交通で捕まった」
 「交通?」
 「あぁ、無車検と、偽造ナンバー」

  何でそんな車に乗って、新宿なんか行ったの?
  いつもは絶対に外出しないくせに。
  運命とは、時に残酷な試練を与えるものだ。

 「それで?あたしは何をすればいいの?」
 「詳しい事は、手紙に書いた。先ずは、弁護士の梅田先生に連絡を取ってくれ。私選で雇ったから」

  私選?
  瞳には理解しようとしても、未だにさっばり判らない事だらけだった。

 「私選って何?」
 「瞳いいか、よく聞けよ。弁護士には国選と私選がある。犯罪者にも国が金を出して弁護士を就けてくれる、これが国選弁護士だ。他に自分の金で弁護士を就ける事も出来る。これが私選弁護士だ。国選と私選じゃ天と地程の差があるんだ」

  瞳は、黙って賢司の話しを聞いた。

 「保釈で出るには、国選じゃ無理だ、だから俺は私選を雇った。お前の傍に帰る為にな」
 「賢司....帰って来てくれるの?」
 「それには瞳、お前の協力が必要なんだよ」
 「判ったよ、賢司が帰って来てくれるのなら、あたし何でもするよ」

  泣きたい衝動を、必死で抑えながら瞳は頷いた。

 「瑠花、元気だったか?パパが悪かったな」

  こうして、アクリル板の向こうとこっちで話していると、つくづく情けなくなって来るな。
  賢司は少し俯いて、鼻を啜った。

 「そろそろ時間です」

  監視官の声が響いた。

 「じゃあな、手紙書くからな。気を付けて帰れよ」

  格子の填はまった、重い鉄の扉の向こう側に賢司は出て行った。
  その後ろ姿を見送って、瞳も重い鉄の扉を開けて出て行った。
  待合室には、数組の面会者が、順番を待っていた。

  一体何人此処に留置されているのだろう?
  新宿署と言えば、歌舞伎町も管轄内だ。
  その、真新しい建物は、まだ出来たばかりらしかった。

  言い知れぬ寂しさが、瞳を襲う。
  それでも、辛うじて気を保ちながら、瑠花を車に乗せ、帰路についた。

 「あ、あれ?首都高の入り口って、何処だろ?」

  やっぱり瞳の方向音痴は、健在だった。
  いつの間にか、首都高を反対方向に走っていたらしい。

 「え~、何で埼玉なんか走ってんの?」

  ナビをつけて位置を確認してみた。
  どうやら外環に入ってしまったらしい。

 「え…と、どうやって戻ればいいのかな?」

  新宿線に戻ればいいのだが、肝心の本線が見当たらない。

 「賢司....あたし頑張れるかなぁ....。家に帰れるのかなぁ?」

  不安で胸が痛い。
  でも、挫くじける訳にはいかないんだ。
  賢司の運命はあたしに架かってるんだから。

  待っててね、賢司。
  あたしが絶対に保釈の手続きを取るからね。
  ハンドルを握る手に、力が籠こもる。 
  漸ようやく見馴れた景色が見えて来た。

 「あの交差点を曲がれば、マンションが見えるよ、瑠花」

  瑠花に声を掛けると、すやすやと寝息を立てていた。
  疲れたのだろう。
  思えば、瞳の運転で遠出をしたのは瑠花にとっては初めての事だった。
  いつも運転は賢司がしている。

  瞳はお世辞にも運転が上手とは云えなかった。
  なので、賢司は極力瞳に運転はさせなかったのだが。
  賢司が居ない今、瞳が運転せざるを得なかった。
  マンションは、郊外の閑静な住宅街にあって、買い物に出掛けるにも車が必要な環境にあった。

 「住むのには静かだし、バルコニーからの景色も綺麗だし、それはいいんだけどね」

  ベビーカーに瑠花を乗せて、買って来た荷物をベビーカーのカゴに詰め込んで、エントランスに向かう。

 「宮原様、お帰りなさいませ」

  管理人が愛想良く声を掛けてくる。

 「管理人さん、この荷物を送っておいて下さい」
 「は、畏まりました」

  余計な事は、一切聞かない。
  瞳はこの管理人が好きだった。

  おそらく50歳は過ぎているだろう、この管理人は、瞳が初めて賢司にこのマンションに連れて来られた時からそこにいた。
  高級マンションの管理人を務めているだけあってか、住人のプライバシーには一切触れようとしない。

  賢司はそこが気に入って、このマンションを買ったらしい。
  他人に干渉される事を嫌う、賢司らしい選択だと思う
 しかも賢司には、誰にも知られていない裏の顔がある。
  尤もっとも今回の逮捕は、その裏の顔のせいであるが所以ゆえんなのだが。
  ただ、今は賢司は売人はやってはいない。
  今回の逮捕は、とばっちりを喰った様な物だった。
  中野に誘われなければ、新宿には行かなかっただろう。
  中野もいつもなら、真知子と一緒に行っていたのだから。

  魔がさした、としか言い様がない事だったが、売人稼業をやっていれば、何れ訪れる結果だった事くらいは判っていた筈だ。
  ましてや売人をやりながら、自分でも薬を喰っていたのでは捕まらない方が珍しい位だ。
  中野の判決は早かった。
  実刑は免れなかった。
  常習性と、中野が未だ現役のヤクザだった事が裁判を左右した。

 『判決、懲役2年10ヶ月』

  中野は今、福島の刑務所にいるという。
  反対に賢司は、前刑から13年の月日が流れていた。
  初犯扱いになるのだ。

  しかも、家族を持ち、仕事もしていた。
  ましてや賢司はヤクザではなかった。

  裁判で、瞳が情状証人に立った。
  瞳は、涙ながらに切々と、賢司のいない生活は考えられないと語った。
  裁判官の心象は如何なものだっただろう。
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