仄暗い部屋から

神崎真紅

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第四章

act 12 痛み

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 病院に到着しても、賢司は車から降りては来なかった。
  そして瑠花に「ママについて行ってあげて。何か分かったらパパに教えて」
  それはそれで仕方ない事だと、瞳は瑠花と一緒に『救急入口』と赤く光るその場所に入った。


 「あの、先程電話で連絡した宮原と言います」
 「はい、えーと、それじゃあこの問診票を書いて下さい。保険証はお預かりします」
 「はい」


  総合病院ってこれが面倒くさい。
  問診票には、希望診療科に記しを付ける様書かれていた。
  瞳はそこでちょっと戸惑ったが、『泌尿器科』に丸印を付けた。
  後は既往症、アレルギーの有無、飲んでいる薬の有無、かかりつけの病院、云々は何処の病院でも同じだろう。

  目の前に『処置室』と書かれたドアが5つ、並んでいる。
  待合室には、思ったよりたくさんの人がいた。

  喉が渇く。
  当たり前だけれど、まだ多分相当キマっている状態の筈。


 「瑠花、何か飲む?ママ喉渇いちゃった」
 「うん、瑠花が買ってくる」


  瑠花は瑠花なりに瞳の心配をしてくれているのが分かる。
  だからこそ、早く処置して貰って帰りたかった。


 「宮原さん、4番に入って下さい」
 「はい、娘も一緒でいいですか?」
 「あぁ、ちょっとそこで待っててもらって下さい」


  瞳は瑠花をその場に残し、ひとりで診察室に入った。

  診察室の中は、入り口がただ小さく仕切られていただけで、中は広く色々な機材が置かれていた。
  瞳の診察に来た医師はまだ若く、おそらく研修医なのだろう瞳に症状を聞いてはちょっと年配の医師に指示を仰いでいた。

  そしてエコー検査。
  結石を疑ったのだろう、勿論それが妥当な検査なのは瞳も承知の事。
  そして何も映らないのだから、次に疑うのは、腎盂炎か、腎盂腎炎。
  検温、そして採血。
  瞳の左内肘にはまだ新しい注射痕がある。
  看護師の目をごまかす事は、まず不可能だという事くらい瞳にも分かる。


 「これは?」


  案の定聞かれた。
  咄嗟に「脱水症で点滴打ちました」と答えた。

  あながち嘘でもない。
  この夏、瞳は脱水症で2度、点滴を打っていたのだから。


  でもその病院に確認を取られたら、日にちがずれているのがばれてしまう。
  だから敢えてそこは精神病院だけをかかりつけ病院と言った。
  精神病院の主治医の医師なら、全部知っている。
  瞳が唯一信じていたドクターだった。


  が、しかし今検査を受けている医師の、なんと的外れな事。
  エコーで何も異常は見つからなかった。
  けれど採血の結果は悪かったのだろう、抗生剤の点滴投与が始まった。


 「大丈夫よ、これはピリン系じゃないから」


  整った顔立ちの、可愛らしいナースがそう瞳に声を掛けた。

  いや、さっきの問診票に薬のアレルギーにピリン系って書いたんだから、それ、当たり前でしょ。
  それでピリン系の点滴打たれたら、あたし死にますよ?
  内心苛々しながら、やっぱり自分で言うしかないのかと、がっかりしながらも傍らにいた研修医っぽい若い男の医師に向かって声を掛けた。


 「先生....尿道調べて貰えますか?何か入ってる様に感じるんです」


  こんな言葉、男の人に言うのに瞳がどれだけ恥ずかしかったか、でもそれ以上に痛みが勝っていたから言えた様なもの。


 「尿道に違和感があるんですか?それじゃあ点滴が終わってから調べましょう」


  ....やっぱりはっきり言おう!!


 「先生、主人が尿道に何か入れたんじゃないかと思うんです。前にも綿棒が入ってた時があったし」


  嘘じゃない。
  朝起きて座った時に、痛みで飛び上がった事もあった。
  それから賢司を問い詰めたら、綿棒を入れたと白状した。
  その時は賢司自らピンセットで何とか取ってくれたけれど、取り出す時物凄く痛かったっけ。


 「尿道に異物があるように感じるんですか?以前にもあった訳ですね?....ちょっとお待ちください」


  今度は泌尿器科専門の医師が来た。
  これもまた、若い男。
  そこから色々根掘り葉掘り聞かれたけれど、とにかくこの痛い原因を取り除いて貰いたい一心で話した。


  今度は検査方法がCT検査に変わった。
  結果は散々なものだった。
  泌尿器科の医師が言い難そうに言葉を放った。


 「どうやらその悪い予感は当たっちゃったみたい。膀胱に異物が入っちゃってるね。長い紐みたいな物が膀胱の中でぐるぐる巻きになってるよ」
 「えっ、膀胱に入っちゃってるんですか?」
 「うん、内視鏡で取れるといいんだけど。とにかくやってみよう」
 「それ、痛いですか?」
 「女性はそんなに痛くはないと思うよ。細いからちょっと違和感ぐらいかな」


  しかしそこからまた瞳に地獄の時間のお出ましだった。
  確かに街医者と違って、内視鏡はとても細いものだったが、やっぱり痛い。
  尿道は排泄器官であって、何かを入れるべき場所ではない。


  医師はモニターを見ながら、慎重に内視鏡を入れていく。
  傍に点滴の袋がぶら下げてあったが、多分生理的食塩水だろう、内視鏡の先から冷たいものが下半身に入って来るのを感じた。
  そうやって膀胱と尿道を広げて、痛みを減らしながら挟んで引っ張り出すのだ。


  痛みで身体がガタガタ震えた。


 「大丈夫?痛いよね~、頑張って。ゆっくり深呼吸してね」


  可愛らしい容姿のナースが声を掛けて慰めてくれる。
  そう、まるで出産のようにその痛みを深呼吸して逃す。

  ....もう、どれくらい時間が過ぎたのかも分からなくなっていた。
  何とか紐状の物は取り出して貰えた。


 「これ、何だろう?分かる?」
  見たこともない、細いビニール製の紐に瞳は「さぁ?何だろう?」と答えた。


  続いてもう一度CTを取る事になった。
  CT検査の人が「まだ何か入ってる可能性ありますよね。ひとつじゃないんじゃないかな」と言っているのが聞こえた。


  検査の結果を見た医師が、気の毒そうな表情を浮かべながら瞳に言った。


 「このまま入院、緊急手術だよ」
 「え?」
 「あのね、紐は内視鏡で取れたけど、棒状の固い物が膀胱に刺さっちゃってて、膀胱に穴が空いちゃってるの。このまま放っておいたら腹膜炎を起こして命の危険があるからね」


  は?何それ?
  入院?手術?膀胱に穴?
  瞳は理解不能だ。

  そりゃあ当たり前だ。
  普通の生活をしていたらまずありえない様な事が瞳の身体に起きたのだから。


 「家族は娘さんだけ?他に誰も来てない?」
 「いえ、主人が多分車の中で寝てると思いますけど」
 「じゃあ娘さんに呼んで来て貰うね。同意書が必要になるし、入院と手術の説明があるから」


  はぁ???
  あたし手術するの?
  なにその全然考えてなかったシナリオは?
  もうやだ。
  帰りたいよ~。

  と、瞳が泣いてみたところで状況に変わりはなく(当たり前の事だが!)賢司が来て医師から説明を受けて、同意書とやらにサインをして、細々とした準備するもの等をナースに言われていた。


  その間に瞳は別の病室に移動させられていた。
  どうやら手術前に入る準備室の様な部屋らしかった。
  他にも数人、先客がいた。



  全ての準備が終わって、漸く賢司と瑠花が病室に来たのは、既に真夜中の2時をとっくに過ぎていた。
  瞳の腕には点滴の針が刺さっていて、傍には点滴の袋が4つか5つ、ぶら下がっていた。


 「瞳、お前俺の事変態だって言ったんだって?看護婦とか医者とかに変な目で見られたよ」
 「だってしょうがないじゃない。他になんて言ったらいいのか思いつかなかったもん」
「何だかみんなの見る目がおかしいと思ったんだよな」

  でも原因を作ったのは賢司でしょう。
瞳はそう言いたかった、けどその言葉を呑み込んだ。

「ママ....」

 瑠花が不安そうにしている。
 こんな大事になるとはまさか夢にも思っていなかったのだから、混乱するのは当たり前だ。
 瞳だって、まだ自分の事とは到底受け入れられないでいるのに、瑠花が不安になるのは至極当然。
 と、思っていたら、瑠花の様子がおかしい。

「寒い....吐きそう....」

 みるみる内に瑠花の顔は青ざめて、立っているのも辛そうだ。
 突然、瑠花が吐いた。
 勿論賢司も瞳もびっくりしたけど、部屋の年配の看護師が慌てて飛んで来た。

「大丈夫?具合悪くなっちゃった?診察して貰う?」
「瑠花、顔真っ青だよ。どうしたの?」

 瑠花は聞こえない程の小さな声で「お腹空いた」とだけ言った。
 そりゃそうだ。
 病院でばたばたしているうちに、かれこれ6時間は過ぎている。
 その間、何も飲まず食わずじゃあ、気分も悪くなって当然。

 「じゃあ帰りに何か食べようね」

瑠花には滅法甘い賢司が、そう声をかけた。

 「私は大丈夫だから帰っていいよ。瑠花に何か食べさせてあげてよ」
「んじゃ明日必要なもの持ってくるから。この時間じゃ午後からになるけどな」
「分かったよ、瑠花ごめんね」
「ママ、バイバイ」

 ふたりの後ろ姿を見送った時、言い様のない淋しさに襲われて泣きそうになった。

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