初恋は雷雨に誘われた

水守真子

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めちゃくちゃに

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 熱いシャワーで温まり、濡れて冷え切っていた足先がほっとしている。
 シャワーを浴びた後、晶は素直にリビングに顔を出した。
 バッグもスマホも取り上げられたからしょうがないと自分に言い聞かせながら。
 落ちかけたメイクを直すポーチもないから、化粧はしていないようなものだ。
 うんと小さな時から遊んでいたから、それを嫌だとか思う気持ちはない。

 耕平が濡れた洋服を受け取り、雨に濡れた服をハンガーにかけてくれる。
 勧められたソファに腰かけ、その後ろ姿に随分と大きくなったなとしみじみと思った。
 耕平の服は当然大きく、ズボンはウエスト部分を持っていないと確実に床に落ちた。
 それを指摘され「転んだから困る」と淡々と言われて、ソファに座り動けずにいる。
 両手を使えないものだから、洋服を干す作業を任せる羽目になってしまった。

「タオルで水気を取ったんで、一時間もしたら乾くでしょう」
「ありがとう」

 シャワーを浴びる前、思い悩んで『やっぱり帰ろうと思う』と耕平に伝えはした。
 紙袋の中身を睨んでいた耕平は、自分の方に顔を向けてにっこりと微笑して口を開き言った。

『しょうがない。脱がしましょうか』

 その笑顔に、本気を感じてしまったので諦めたのだ。
 濡れたまま帰せば深山本家の誰かから小言を言われるのだろう。それなら仕方ないと受け入れた。
 晶をお姫様と尊ぶだけに、深山は煩い。
 結婚をして村を捨てるような態度を取れば、きっと地の果てまで追いかけられるだろうという確信さえあった。

「あの、雨宿りすることになって、お邪魔しちゃってごめんね」
「潤が悪いんですよ、潤が」

 晶は微苦笑する。
 耕平には自由に力を発揮して、村なんて過去にして、伸び伸びと生きて欲しいという気持ちがある。
 休日の午後、いきなりの来客、しかも『深山晶』だなんて嫌に違いない。
 それでも、こちらの謝罪など耕平には届かないようだ。
 確かに、潤が悪いといえば悪いので、そこを否定する気はない。

 遠慮がちに、掃除が行き届いた部屋を見渡した。
 物が少ないというわけでは無いが、乱雑に積まれているわけでもなく整理がされていて清潔感がある。
 部屋が少し暑いのは、耕平が暖房の設定温度を上げてくれているからだろう。
 今もお茶を用意してくれている。
 早くに親元を離れて、何でもできる人になったのだろうと考えたら少し胸が痛んだ。

「今日の予定は」
「ないです」

 愛想の欠片もない返事に目を落とすと、ローテーブルの上に置かれている、自分が届けた紙袋が目に入った。
 口は開いたままだ。中身は避妊具と、催淫剤と言っていた気がする。
 潤は耕平にそれを届けろと言ったのだ。使う相手がいると考えるのが自然に思えた。

「でも、誰かが来るから、その紙袋が……」
「……」

 テーブルで温かいお茶を入れてくれていた耕平が、すごい目で睨んできた。
 その迫力に口を噤んでしまう。

「誰かというか、来たのは晶さんですけど」

 耕平の口調は冷たい。ポットからマグカップに注がれるお茶の音さえも怖い。

「いや、その、それを使う相手が今日来るから、潤は早く届けるように言ったのかと思って」
「そんな発想になるなんて、晶さんスケベですね」

 晶が唖然としていると、耕平がマグカップを手渡ししてくれた。
 所作に苛立ちはないが眉間に皺は寄ったままだ。

「ありがとう」
「ジンジャーティです。温まりますよ」
「ハーブティ好きなの?」
「珈琲ばっかりだと眠りの質も落ちるので」

 耕平がハーブティを飲みながら仕事をするなんて想像もしていなかった。
 ハイパフォーマーは生活から整えるのだなと感心し、話題が変わったことにほっとした。
 もう十数年、あの出来事から没交渉なのだから、知らない耕平の方が多くて当然だ。
 けれどそれを寂しく感じる。
 小さな時に過ごした時間の長さのせいだろうか。こういう切なさは、いつになったら慣れるのだろう。

「俺は晶さんが俺と使いたくて来たって解釈してますよ」

 耕平はにっこり笑んで言ったので、晶の頬はみるみる赤くなる。
 そう思われても仕方ないシチュエーションかもしれない。
 避妊具を持ってきて、シャワーまで貸してもらっているのだ。
 晶は動揺で溢さないようにテーブルの上にマグカップを置く。

「違うよ。中身を知らなかったの。絶対にそんなことはない」
「きっぱり否定されると傷つくなぁ」

 目を細めた耕平が、ひとり分空けてソファの隣に座ってきた。
 重さで彼の方に晶の身体が傾く。
 笑顔で傷つくなんて言われても困ってしまう。
 黙った晶の顔を、耕平は興味深げに覗き込んできた。

「あの社務所でのこと、俺は忘れたことが無いのに、晶さんは無かったことにしていますもんね」

 ずっと避けてきた核心を突かれて、晶の頬がぴくりと痙攣する。
 社長の娘、村のお姫様、そう言われる自分は冷静に生きることを求められている。
 だから滅多に感情を出すことはない。それなのに、耕平の肩を叩いてしまう。
 あの日の翌日、最初に謝ったのは耕平だ。
 彼の人生に響くと思って、思い出に蓋をした。思い出さないように彼と接触も少なくした。
 静かな間を遮ったのはお互いのスマホの音だった。
 耕平は涼しい顔でスマホを手に取ると、晶に画面を見せる。

「大雨暴風警報です」

 雷が光り、同時に雷鳴が轟いた。大きな雨粒が降りつける音が部屋にまで聞こえてくる。
 二人の視線がベランダに向かい、窓に降りつける雨粒をしばらく凝視した。
 あの日と同じだと思った。
 呼吸が浅く短くなりかけるのを、懸命に深く長くしようとするがうまくいかない。

「……帰る」

 ぽつりと呟く自分の肩が震えたのがわかった。
 その弱々しい口調に耕平が片眉を上げた。

「車を呼びましょう」
「いい。自分で帰れる」

 語尾に被せるように言ってしまった。感情的な自分が恥ずかしく感じる。
 スマホがまた警報を知らせる音を鳴らした。雷光と轟が同時に起こり、稲光に部屋が照らされる。
 間隔の短さに驚くと、耕平が「そっか」と言いながらソファを立ち、レースのカーテンを引いた。

「そうかぁ……。ちゃんと晶さんも覚えていたんですね、あの日のこと。あんまりにも普通だから、俺は山に化かされたのかと、思う時がありました」

 それから距離を取るように、耕平はカウンターテーブルの椅子に浅く腰を掛ける。

「あれは本当だったんですね」

 良かった、と嬉しそうな耕平を見て、晶の胸が締め付けられる。
 雨の音が大きいのに、自分の鼓動の音しか聞こえない気がした。

「……覚えているけど、耕平が思い出したくないと思ってた」
「何でそうなるんですか」

 耕平は食い気味に声を荒げた後、何かを決意したように唇を引き結ぶ。
 その表情の色気に晶は居心地が悪くなった。

「なら、キスしていいですか」
「……どうしてそうなるの」
「ちゃんと、思い出したいからです」

 笑えない冗談はやめてと言いたかったのに晶の唇は動かないまま薄く開く。
 どんな男性に抱かれても何も感じない自分が、キスをしたらどうなるのか。
 もしただ嫌悪感だけが残ったら、あの素晴らしい思い出も無くなってしまう。
 それに耕平は男じゃない。彼は出世を約束された『弟』だ。

「無言は肯定でいいですか。そんな目で見つめられたら、俺は自分を止められません」

 耕平は近づいてくるとソファの横に腰かけ顔を傾けた。
 なんて端整な顔だろうと思っている間に唇は塞がれる。
 唇が触れ合い擦れる感触に、あの思い出の悦びが唐突に体中を貫いた。
 触れられるだけで火照って疼く。
 心の中にだけにあったセックスをできるのかもしれない。晶は静かに尋ねた。

「私と、セックスしたいの?」
「ストレートですね」

 耕平は唇を僅かに離して笑った。
 濡れた唇に息が掛かって、それだけで気持ちが良い。

「したいです。めちゃくちゃ、したいです」

 自分は嫌われていたわけではないのだ。安堵しただけでなく、泣きそうになった。
 謝られた日からずっと、自分は彼を貶めたとさえ思っていた。
 また角度を変えて唇は塞がれ、割って入ってきた舌に口腔を蹂躙される。
 生温かさにゾクゾクとして、久しぶりの興奮に酔っていくのがわかった。

「俺は晶さんに彼氏がいても抱きますよ」

 耕平に彼女がいるかもしれないという不安を先回りされた。
 冗談でも怖いことを言う。唇を重ねながら昔の彼を思い出そうとしたが輪郭がぼやけた。
 彼氏有無の情報元は潤だろう。
 あの弟は勘が鋭く、彼氏ができたことを誰よりも早く察知する。
 それから小言をくれるのだ。『また、流されてる』と。

「……私は、耕平に彼女がいたらしない」

 口角を皮肉気に上げた耕平の冷たい眼差しが晶を射抜いた。
 晶が目を伏せると、耕平は大きな溜息を吐いて自分のスウェットのパンツを座ったまま脱いだ。
 上のシャツも脱ぎ捨てて、その鍛えられた身体を晒す。

「なら、めちゃくちゃセックスするってことですね」

 晶が唖然としていると下着一枚の姿になった耕平は、手元のリモコンで部屋の電気を落とした。
 そして、優しく晶を抱き締める。

「あの雨の日以上に、しましょう。忘れることなんてできないくらい、しましょう」

 心臓が鼓動を早めた。視界の隅に、持ってきた紙袋が目に入る。
 催淫剤なんていらない。触れられただけで、震えるくらいに欲しいのだから。
 熱い吐息を吐いて耕平の背中に腕を回すと、さらに強く抱きしめられた。
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