魔王の恩返し。

もるひね

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えんかうんと・ほわいと

第一話

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 大きな箱より小さな箱に幸せは詰まっている、とどこかの童話だか民話だかで学んだ気がする。もしかしたら浦島太郎の玉手箱だったかもしれない。欲に目が眩んで大きな箱を開けた結果、あっという間におじいさんになってしまったという話。
 欲張りはいけませんという教訓。
 何故僕がそんなことを考えているかというと、たった今郵便で送られてきた得体の知れない桐の箱が原因だった。封筒になんとか納められるほどに薄く小さい箱。異様せしめているのは、赤茶色の御札がぐるりと張り付けられている点だ。

「何なんだこれ……」

 手にとってまじまじと観察する。
 軽い。
 臭い。
 奇妙。
 3Kであるこれはもしや、爆弾だったり細菌だったりが仕込まれてはいないだろうか。だが、公共機関の検査を通して届けられているので、多分問題はない。テロの増加により監視体制はえらく強化されているのだし、開けた途端にボンッという間抜けな最期は迎えない筈。
 僕は封筒に目をやり差出人を確認する。
 大鳥早苗。
 見たことも聞いたことも無い名前だ。いったい何処の誰だというのだ、何故僕宛にこんな怪しいものを送ってきたのだ。開けた途端、玉手箱よろしく白髪のおじいさんに早変わりしてしまわないだろうか。

「うぅむ……」

 開けるべきか。
 開けぬべきか。
 悶々としていたが、沸々と湧いてくる興味心に勝てず、封を切って開けた。ベリっと耳障りの良い音が響く。重さを感じない蓋をおそるおそる持ち上げると、

「勾玉……?」

 小さな桐の箱の中には、これまた小さな、翠色に輝く玉が納められていた。
 綺麗。
 美しい。
 見惚れるほどに。
 どくり。
 確かな鼓動を聞いたとき、僕の手は、それに吸い込まれていった。

『このように、全国各地で狂犬病に似た症状を呈する患者が増加しています。野犬と遭遇した際は、不用意に近づかないようにしましょう。
 続いて、激化の一途を辿るイラク紛争の続報です。無差別テロによる被害が相次ぐ中、国連は事態の解決を図り、米国軍の現地派遣を決定しました。昨日メキシコで発生した銃乱射事件による被害者は20名に登り──』

 ぷちっ。
 手にしたリモコンでテレビの電源を落とす。まったく、どうしてこうも朝から意気消沈してしまう暗いニュースばかりなのだろう。
 僕はリモコンを放り投げ、代わって携帯端末を操作し適当な楽曲を流す。それをテーブルに置いてから、四肢をだらりと畳に投げ出す。瞳を閉じ、奏でられる旋律に身を任せ、ただ、ぼんやりとしていた。
 朝は眠い。
 眠いものは眠い。
 脳が覚醒しきるまでは何も考えずぼんやりと過ごすに限る。
 いつまでもこの時が続けばいいな……そう思った矢先、

「ちょっと、いつまでそうしてんの」

 僕の儚い願いは砕け散った。

「また朝練遅れるわよ。早くしてよね、男子剣道部副部長の守谷透くん」

 のろのろと開けた視界には、障子に手を掛け、呆れ顔で居間を覗き込んでいる女子高生が映った。
 ぼんやりとした一時を楽しみたい僕は再び瞼を閉じ、

「後10分だけゆっくりさせてよ、お姉ちゃん」
「んなっ、誰がお姉ちゃんか。こんな時だけ甘えようたってそうはいかないわ。ほら、さっさと起きて、ぱっぱと着替えて、ちゃっちゃと行く」
「横暴な。朝ご飯抜きだなんて」
「いつも食べないでしょうが。いいから起きろ」
「嫌だ」
「お昼も抜きね。代わりに練習」
「分かった、分かりました、起きるから」

 脅迫に屈する形で嫌々ながらも身を起こす。制服に身を包んだ彼女は満足そうに鼻を鳴らすと、用は済んだとばかりに玄関へ向かった。

「いつも悪いなぁ、紅葉ちゃん」
「本当ですよ。おじさんは甘すぎます、もっと喝をいれるべきです」
「いやぁ、そういうの苦手でさぁ」
「きちんと教育しないと捻じ曲がりますよ? あたしがいるからどうにかなったようなものだし」
「頭が上がんねなぁ」

 紅葉と父の間で躱されるやりとりを聞きながら、残された僕はいつものように身支度し、靴を履いて、鞄を握る。それから玄関口に飾られている両親へいつものように挨拶し、扉を閉じ、自転車に跨る。いつもと同じ動作。繰り返されるルーチンワーク。機械的に染み着いたそれをこなした僕を、6月の風が包み込んだ。
 傾斜40度の短い坂を落ちるように下っていく。
 湿気を含みつつも清い風が全身に当たった。
 僕たちを涼ませる風だ。
 それからしばらく漕ぎ、周りを見渡せば田圃、田圃、田圃……のどかと言えば聞こえはいいが、現地に住むお年頃の高校生にとっては「何も無くてつまらない」としか言えない風景。それが僕たちの住む玉造市。数年前に都市化が計画されて少しばかり遊びの場が増えたものの、先祖代々の土地を受け継いだ農家が多い為に田圃の数はそれほど減ってはいない。
 何も無い田舎。
 決して嫌いではない。
 けれど、物足りない。
 心の隙間にぽっかりと開いた穴が、ここではない何処かを求めている気がした。

「今更言うのもなんだけどさ」

 併走する幼馴染み、根小屋紅葉はそう前置きしてから続ける。

「朝ご飯はしっかり食べるべきだと思うのよね。ダイエット中の女子高生じゃあるまいし」
「朝は弱いんだよ。起きてすぐに鰻を食べられる君じゃあるまいし」
「あのね、いくらあたしでも朝から鰻は無いわ。カツ丼ならいけるけど」
「重いなぁ。ダイエットとかは?」
「まさか、食事制限なんてするだけ無駄よ。よく食べて汗をかけばいいだけの事じゃない。あたしが証明」
「ふむ……」

 交通量がまるで無い前方に注意しつつ、ダイエットを必要としないらしい彼女に目をやる。
 世間一般ではこのような体型はモデル体型とでも言うのか、スカートから延びるむっちりした長いおみ足は、それでいてすらっとしている。そして綺麗にくびれた腰回り。完璧なプロポーションだ。
 とはいえ、幼少からの付き合いである紅葉は兄妹のようなものだし、特段意識することもない。しいて挙げるとすれば、いくら肉を喰らおうと成長しないまっ平な胸部だろうか。

「な、なによ、まじまじと見て」
「いやなに、落ち込む必要はないよ、一部の人にとってはむしろ高得点。けど開き直っちゃ駄目だ、羞恥心も重要な要素なんだから」
「変なとこ見て意味不明な事力説すんな!」

 鍛えられた足でぽかっと蹴られ、危うくバランスを崩しそうになる。自転車ごと田圃へ突っ込む生徒は少なからずおり、僕自身も笑い話に加わったものだが、笑われる側に加わるなんて冗談じゃない。
 どうにか立ち直した頃、彼女の姿は遙か前方にあった。背中越しにもぷりぷりと怒っている表情が伺える。まぁ、少し経てばけろりと元通りになるので放っておこう。触らぬ神に祟り無し。

 変わらない日常。
 変わらない平穏。
 でも、時間は確実に流れている。この時間も終わるときが来る。触れようとして壊してしまうくらいなら、せめて優しい思い出として残したい。
 ──誰が守る 誰が守る
 どくり。
 昨夜届けられた翠色の勾玉が脳裏をよぎる。ノイズは響かないが、ざわつきのようなものを感じた。
 ふわり。
 どこか懐かしい感触に触れる。
 由良由良止。
 切ない感情が降りてくる。
 一体、どういう事なのだ。昨日、僕の何かが、決定的に変わってしまった……そんな気がする。これまでの僕が置き去りにされてしまうような錯覚を覚えた。
 もう嫌だ。
 置いてかないで。
 幼い手を縋るように伸ばし、そして、

「面!」

 強い衝撃に襲われた。頭のてっぺんで炸裂した電撃は、足のつま先まで一瞬で駆け巡る。

「うぐぅ……」

 文字通り目も醒めるような一喝。眩み、座り込んでしまった視界には、剣道着と防具と、僕の脳天を打ち抜いた竹刀を握る剣道部員が映る。

「ちょ、ちょっと大丈夫?」

 その人物は面を脱ぎ、見慣れた顔を晒け出す。勿論、幼馴染みの紅葉の顔だ。

「まったく。突然どうしちゃったのよ? 我武者羅に打ち込んだ所で隙が生まれるだけだって、教わったじゃない」

 そうだ、今は剣道部の稽古中。だというのに、何故だか意識が飛んでしまっていた。ハイになっていたとも言う。内から湧き出る焦燥に駆られ、精細を欠いた僕の打撃は軽く払われ、代わりに一本を貰ったのだ。

「面目ない」
「面だけに?」
「……」
「きょ、今日の朝練はここまで。みんな、撤収!」

 紅葉が号令を発すると、道場で切りあっていた女子剣道部員たちが「はい!」と元気よく応答する。紅葉は類まれなる実力の持ち主で、部長と認められる程の実力とカリスマの持ち主なのだ。

「僕たちも稽古を終わりにしようか」

 変わって僕は男子剣道部副部長。面を脱いだ僕の号令に「う~す」とやる気が微塵もない応答が返ってくる。
 カリスマなんて無いし統率出来るだけの手腕も無く、しかし半端な実力が押されて副部長の座に就いた。押しつけられたとも言う。今現在は部長がお休みしているので部長代理だ。

「ほんとやる気無いわね、おたくの部員。まともなのあんただけじゃない?」

 臆面もなく紅葉は言う。僕は苦笑して返すしかなかった。

「そんなことはないよ。紅葉が強すぎて縮こまっちゃってるだけ」
「んなわけないっての。幽霊部員や女子目当てのヤワな男ばかりってだけよ。あたしの相手出来るのも透だけだし?」

 常在戦場の心を持つ女武士。男子部員を片っ端から切り捨てた100人斬り伝説は後輩を震え上がらせ、時に崇拝されている。変なところでは、僕と三日三晩斬り合っただとか、他校の不良を一人で全滅させただとか、根も葉もない噂が立ち昇っている。火の無い所に煙は立たず──実際、それらしきことをしでかしたのだから恐ろしい。

「それでさ、透。やっぱり、朝ご飯はしっかり食べるべきだと思うのよね」

 着替えを済ませて教室へ向かう途中、紅葉は朝の話をぶり返した。

「またその話?」
「集中力欠いて相手されちゃこっちが困るの。だ、だからさ。あたしが朝ご飯作りに行ってあげてもいいのよ?」
「えっ、いいよそんな」
「起こしに行くついでみたいなもんよ。あたしの慈悲深さに咽び泣くといいわ」
「一泡吹かされそうだ」
「どういう意味で?」

 紅葉が家庭科実習で、そしてバレンタインで起こした事件については触れないでおこう。既に青筋が浮かんでいるのだ、刺激すれば鉄拳が飛んでくる。

「とにかく大丈夫だよ。今日は偶然、たまたま、青天の霹靂」

 気持ちはありがたいのだが、僕はまだ死にたくない。そういうわけで丁重にお断りしたのだが、

「あっそう、そうなんだ、そこまで食べたくないのねこの馬鹿! 一泡吹かせてやるんだから!」
「いたたたたっ」

 真っ赤な顔をした紅葉にげしげしと足蹴にされる。

「天誅!」
「!?」

 トドメとばかりに膝の皿へキックが炸裂。

「うごご……」

 蹲る僕を傍目に、紅葉はずんずん足を鳴らし教室へ向かっていった。




「来た。見た。勝った。勝っちゃったもんね! 間違いなく!」
「何が」
「転校生が来るって話だよ! それもとびっきりの美少女が、俺たちのクラスに来るってさ!」
「この季節にか? ありえないだろ」
「何だよー、英司は俺の話信じないのかよー。立ち聞きしたし、ちらっと見えたんだよ、この目で確実に! 可愛かったなあ、一目惚れしちまったよ」

 教室に入ると同時にクラスメイトのやりとりが聞こえてくる。それを聞くともなしに聞きながら席に着き、ちらりと紅葉の様子を窺う……僕の視線に気付いたのか、ぷいっとそっぽを向かれた。今日一日は口を聞いてくれそうにない。
 僕の心にかかる暗雲など何処吹く風と、窓から見える空は澄み渡っていた。五月晴れ。初夏の日差しが肌を焼く。心頭滅却すれば火もまた涼し。
 膝の痛みや、昨晩送られてきた郵便物の事を吹き飛ばしてくれたらいいのに。見惚れるほどに美しい輝きを放つ勾玉。意識を吸い取られるような錯覚を覚える翠の彩り。まるでエメラルドのようであり、質屋に持っていけば相当な値が……つかないだろうな、怪しい勾玉になんて。
 両方とも父に見せたが、ただ頭をひねるだけだった。その後、貰えるもんは貰っとけという教え通りに僕が預かってはいるが……送り主である大鳥早苗なる人物も相変わらず不明で正直気味が悪い。僕はおろか父さえ知らない様子だったのだから尚更。
 
「なぁ透、親友のお前なら信じてくれるよな?」
「話10分の1に聞いておけよ」
「90%嘘じゃねーか!」
「おら席に着け、鐘の音が聴こえなかったのか」
「あんいけずぅー!」

 担任が顔を見せるとともに、クラスメイトたちは自分の席へ戻っていく。肩を落としすごすごと退散していく長嶋和樹は、まぁ、親友であることに間違いはない。
 ともかく、あれはどうするべきだろう。

「お、おぉ?」
「ほら言った通りだろ!」
「おでれぇただ……」
「素敵」
「髪長っ」

 物思いに耽っていると、皆がざわつくのを感じた。

「さて、嬉しいお知らせだ。こちら、今日からクラスの一員となる清乃浦巳姫くん。軽く自己紹介を」
「畏まりました。外つ国にて学んでおりましたが、用向きにより、こちらの学舎に参ることとなりました。清乃浦巳姫と申します。よろしくお願い致します」

 しのうら……その名に、どこか懐かしい響きを覚えた。
 どこでだっただろう? いつだった? そうだ、窒息する程に暑苦しく、潮風に包まれる中だったような。

「開いてる席に座ってくれ」
「はい」

 すん、としめやかな香りが風に運ばれてくる。汚濁が混じる霞ヶ浦のそれとは違う、澄んだ香り。

「ようやくお会い出来ました、透様」
「え?」

 顔を向けた先に、その人がいた。
 転校生。
 鋭さのある顎、通った鼻筋、吸い込まれるほど鮮やかな翠色の瞳──可愛い、というよりも美人、という表現がしっくりくる、現実離れした女の子だった。
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