魔王の恩返し。

もるひね

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えんかうんと・ほわいと

第二話

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 自宅へ帰る頃、空はすっかり茜色。
 登校時とは異なる道を進んで敷地へ入る。疲れた体で傾斜40度の坂など上りたくない。ハウスの中へ自転車を置き、沈みかけの太陽へ目を向けると、牛久の大仏がちょこんと顔を出しているのがはっきり見えた。冬には富士山も重なって見える為、カメラマンが度々訪れることもある。

「綺麗だったな……」

 僕が呟いたのは、とうに見慣れたその景色についてではなく、あの転校生についてだ。名乗ってもいないのに何故名前を知っていたのだろう。問いただそうとするも、クラスメイトが周りを取り囲んでしまっていたので話す機会が無かった。昼休みこそはと意気込んだ僕だったが、むっとした顔の紅葉に食堂へ連行されて会うことが叶わなかった。地区大会前に現を抜かしてる暇は無い、というのが彼女の言い分。いやまぁ、その通りなんだけどね。

「ただいま」

 トラックが無いのだから父はまだ帰っていないだろう。無言の返答が返ってくる筈だったのだが、

「お帰りなさいませ、透様」
「……」

 清らかな声と、満面の笑みに出迎えられた。

「えっ。え? 清乃浦さん? なんで?」

 軽くパニック。
 クラスで話題の転校生が、謎多き風変わりな美少女が、何故僕の家の玄関で、僕を出迎えているんだ?

「巳姫、とお呼び下さい」
「いや、いや、どうして君がここに?」

 不法侵入か? いくら父には抜けたところがあろうとも鍵はかけた筈だぞ? 父と僕と紅葉くらいしか知らない鍵の隠し場所を、彼女は探し出したとでも言うのか?

「ここ、僕の家なんだけど?」
「存じております。ささ、お上がりになって下さい」
「いや、だから……」

 混乱と不信感でどうにかなりそうなのを理性でぐっと抑え込む。夢か幻か、狐や狸にからかわれているのか、この現実は真実なのか?
 頭を抱えている僕を、巳姫と名乗る転校生は……捨てられた仔犬のような瞳で見上げていた。くそっ、妖怪変化め、なんと卑怯な!

「私は……お待ちしておりました」

 ぽつり、と彼女が言葉を紡ぐ。

「一日千秋の思いで、この時を、お待ち申し上げておりました」
「え……」

 すぅっと、流れるような動作だった。気が付けば、僕の胸に顔を埋める彼女がいた。揺れる黒髪が腕をくすぐる。

「託された重さに震えておりました……あぁ、これは夢ではないのですね。本当に、私は……」

 求めるように、貪るかのように、その華奢な体を押し付けてくる。熱を帯びた体温と、柔らかな感触が、制服越しにこれでもかと伝わった。
 まずいまずい、健全男子にこれは不味い! というか状況が不明すぎる!

「おぉう、けぇったか透」

 背後から野太い声。それは間違いなく、

「父さん……!?」
「お帰りなさいませ、お父様」

 どう説明するかと思案する間もなく、清乃浦さんがそう言った。

「はっはぁ、お父様かぁ、照れんなぁ」

 照れている場合ではない。
 とにかく、名残惜しいものの清乃浦さんの体を押しやって距離を開ける。うぅっ、そんな潤んだ瞳を向けないでくれ、良心がずたずたに引き裂かれてしまいそう。

「あの、父さん。一体どういう?」
「巳姫ちゃんの自転車買って来たぞ。したっけ、これからは楽出来っかなぁ」

 息子の話を少しは聞け。

「まぁ、有難うございます、お父様」
「気にすんなって。今日は疲れただろうし、ゆっくりくつろぐがいいや。寿司がもうすぐ届ぐがらな」
「手厚いおもてなし……万感交々至り、心洗われる思いで御座います。このような幸福を受けるとは、私は幸せ者です」
「うんうん。だども、これからもっと幸せになって貰わんとな」

 僕を置いてきぼりに交わされる会話。どうやら僕の知らないところで色々と決まっているようだ。しかし、いつまでも蚊帳の外にいるわけにはいかない。

「だから、どういうことなのさ」
「おめぇ、巳姫ちゃんのこと忘れたってのか?」

 何のことだ。忘れたも何も、そもそも知らないのだけれど。

「まぁ、良いことばっかじゃ無かったからな。遠い親戚の清乃浦巳姫ちゃんだ。従妹だったか? また従妹だったか? まぁ、従妹だな」
「従妹……?」
「清乃浦で思い出さねぇか? 婿入りした俺の弟、お前の親と同じ苗字だろう」
「……」

 そうだ。
 僕は父さん、守谷智治の遺伝子を受け継いだ子供ではない。物心ついた頃に事故でいなくなった。その後色々あった筈だが覚えておらず、気が付けば遠く離れたこの地までやってきて守谷を名乗るようになった。

「しっかしまぁ、これで家は安泰だなぁ。こんな良い子が透の嫁になるんだからなぁ」
「え……?」
「許嫁かぁ。俺も欲しかったなぁ。淡い青春も送りたかったなぁ。畜生、なんで俺は農業高校、それも男子校なんぞに」
「待って、待って、どういうこと?」
「許嫁だって言ったろう。なぁ、巳姫ちゃん?」
「そんな、お父様ったら……」

 恥ずかしそうにうつむき、それでいて嬉しそうにはにかむ清乃浦さん。
 本当に待ってくれ、話はどこまで進んでるんだ!? というか悪い夢じゃないのか!?

「新婚旅行は何処がいっかなぁ。やっぱハワイかなぁ」
「だから、勝手に話を進めないでって」
「金ならどうにかこさえるって、心配すんな」
「だから! 本人の了承を得ずに許嫁だなんだって言われても困るの!」

 到底信じられない話だった。説明らしい説明を放棄して勝手な夢を馳せられても困る。

「透様……」
「──っ」

 掻き消えそうな声に、びくっと震えた。
 清乃浦さんを見れば、また、捨てられた仔犬……雨の中震えている仔犬のように、縮こまってしまっている。そこで僕はようやく、声を荒げてしまっていたことと、彼女の気持ちを蔑ろにしていたことに気付いた。

「ごめん……その、僕、全く覚えてなくて。ついでに、あまりの事態に取り乱して、御免ね」
「そのようなことはありません。突然押し掛けた私にも非はあります。誠に申し訳御座いませんでした」

 端正な顔をしおらしく歪め、清乃浦さんは深く頭を下げる。

「いや、そこまで謝らなくても……むしろ困るというか。ともかく、清乃浦さんは従妹なんだね? それなら──」
「いつまでもそこで話してないで、早くあがんな。これからずっと一緒なんだから、話は追々で良いだろうが」

 ご両親の元を離れて何故この家に来たの、という質問は打ち切られた。

「一緒……って」
「お嫁さんなんだから当然だろう?」
「どう当然なのさ!?」
「グアムよりハワイが当然か?」
「知らないよ!? そもそも、貧乏なこの家にそんな金あるわけが──」
「式盤を質にいれれば苦でもねぇ。電話してあっからもうすぐ……お、噂をすれば」

 砂利道を踏みしめる音と、五月蠅く鳴り響くエンジン音が聞こえてくる。父さんが呼んだという出張買取屋の車両が鳴らすものだった。

「御電話頂きました、早い・正確・高価買取、鑑定団の者です」
「いやぁどうも。早速見て欲しいんですが、蔵までご一緒願えますか」

 姿を現したスーツ姿の買取屋さんに、父さんは手もみしながら応対する。年齢は不明だが、相手は20代半ばくらいだろうか、中性的な顔をした人物だった。

「構いません。安倍晴明が愛用した純金の式盤……本物であれば間違いなく国宝級です。江戸時代に寺社へ売却され、それ以後の行方が不明でしたが、まさかこの地に流れ着くとは」
「京都、四国、諸々回って、上の傳右衛門まで来たんです。爺様が預かることになって、俺の代まで守ってきましたが、傳右衛門もおっ死んじまったしもういいかなと」
「そうでしたか。ともかく、見てみないことには始まりませんね」

 ふふんと微笑みながら歩を進める買取屋さん。
 父が言う金の式盤というものは、僕も見たことがある。薄暗い蔵の中で燦燦と輝く黄金の神秘。しかし、あれが本物だと意識したことは一度もない。こんな田舎の寂れた農家の家に眠っているわけがないだろう、金メッキされた模造品である筈だ。あの買取屋さん、可愛そうに。

「……」

 そうは思うものの、目まぐるしく移り変わる現実に半ば呆然としていた。
 転校生は許嫁。これから同居。美人なお嫁さん。ハワイへ新婚旅行。
 ぐるぐるぐるぐると回る、実感の無いピンクの思考。

「透様」
「ひゃいっ」

 ええい、心頭滅却!
 邪な邪念は消え去れ!

「涕泣の雨に打たれること幾夜。此処に同じ時を刻む事を恋い焦がれていました。賜った千載一遇の機会、御恩をお返しするだけでなく、契りを交わす事さえも可能だと思っていました」
「えっ?」

 契るって……契るって!?

「ですが、思い上がりでした。私は力など無い、無力なままの存在でした。透様を困らせてしまう、我儘なだけの存在でした」
「えっ……」
「透様がおっしゃられるのならば、私はいつでも出て参ります。こうして御目通りが叶ったのです。それだけで、私は幸せなのですから」
「……」

 柔和な微笑みを浮かべる清乃浦さんの目尻に、うっすらと涙が滲む。
 どうして、そこまで人を想うことが出来るのだろう。僕にはそんな価値もないし、誇れるものも無い。記憶さえ無い薄情者を、何故そこまで──愛することが出来るのだろうか。

「僕は……馬鹿だ!」

 自分の頬をぱちんとひっぱたき、喝を入れる。

「透様……?」
「清乃浦さんは僕の事を覚えてた。でも僕は忘れてた。人は完璧に記憶してるけど、完璧に思い出すことは出来ない。大切だった筈の記憶を、置き去りにしてしまったんだ」

 悲しいことが起こり過ぎたから。

「だから、今日を再出発の日にしよう。二度と忘れない。二人でこれから、もう一度始めよう」
「……」

 沈黙。
 あれ……もしかして、地雷踏んだ?

「透様……」
「は、はい」
「八百万の夜を越えて……貴方様に巡り合えて良かった。私は、私は、嬉しくて嬉しくて……」

 ぽろぽろと零れ落ちる滴。
 決壊したかのように止め処なく溢れる乙女の涙を前に、僕は狼狽するしかなかった。

「そ、そんな泣かないでよ……」
「違います、私は嬉しいのです。やはり透様は、大変お優しい方であられました。私がいて、貴方がいる。同じ刻を過ごせるというだけで、私は嬉しくて嬉しくて……」

 ぐすぐすと鼻を啜り、ぐしぐしと目尻を拭う。それでも微笑みを絶やさない彼女の必死な姿に、僕は、正直言うと惹かれていた。
 彼女の事は何も知らないが、一つだけ確信できる。こんなに思われているだなんて、僕こそ幸せ者だ──と。

「でもさ、清乃浦さん。許嫁だからって、僕と、その、け、結婚とか、本当に考えてるの? しきたりか何か知らないけど、僕より良い人は他にもいるんだし……」

 ましてやこんなド田舎の農家に嫁ぐなんて、今の時代では考えられない。
 落ち着いてきた頃にそう訊ねると、

「……」

 再び仔犬のように縮こまる清乃浦さん。
 不味い、また地雷を踏んでしまったのか!?

「巳姫」

 冷や汗をかく僕の耳に、よく通る声が響いた。

「巳姫、とお呼びください」
「え、あぁ、うん。巳姫さん、だね」
「巳姫」
「巳姫……さん」
「巳姫」
「……」

 口をとがらせ、頬を膨らませる清乃浦さん。初対面の、それも美少女を、従妹だとしても、呼び捨てにするのは抵抗がある!

「巳姫……」
「はい、透様」

 言うや否や、しめやかな香りが舞い踊った。清乃浦さん──巳姫が敢行した再びの抱き着き攻撃に、僕の心臓は膨張の限界まで迫る。

「私には、貴方様しかおりません。御恩をお返しするのも、貴方様の為だけに」
「え? へ? ご、ごおんって?」
「私を選んでくださるかどうか、それは貴方様の御心一つです。如何様にも従います。どうか、それまでは御傍に置いてくださいませ」
「わ、わかったから……傍にいるから。必ず思い出すから。時間はかかるだろうけど、絶対に」

 僕はそう言う他無かった。
 忘却した過去。途切れ途切れの悲しい断片。それを取り戻すことは望まないが、それでも、取り戻さなければならない。失ってしまった、本当に大切なものを手に出来る気がした。

「離れたりしないから」

 その後、巳姫は割り当てられた部屋──物置同然だった二階の一室を使用することとなった。片付けやら荷物運びやらは父さんが済ませていたらしく、すんなりと日常は進行していく。父と息子二人の空間に紛れ込んだ異質な存在。意識するなというのが無理な話だ。ましてや様付けで呼ばれるのは小恥ずかしく、訂正を求めたものの「無理です」と笑顔で返されたので口を噤むしかなかった。

「なんか、どっと疲れた……」

 二階の部屋──西側にある部屋が僕の部屋だ。呟きながらベッドへ倒れ込み、摩耗した精神を和らげようと瞼を閉じる。

 おかしい。
 明らかにおかしい。
 昨日は怪しい郵便が届いて、今日は従妹が突然押し掛けて来た。何か関係があるのではないか、と疑わざるを得ない。かといって単刀直入に聞くのも気が引ける。ここは時間を置いて、後々訊ねるべきか──その考えに至った時、カラカラと窓を開く音が聞こえた。

「……?」

 別の部屋から聞こえた。父さんが寝るのは一階だ、なら、間違いなく隣の部屋。別におかしくはない、エアコンという便利な神器はこの家に置かれてないのだから、窓を開け、網戸を閉じ、扇風機を回すのが道理。
 けれど、続くかすかな音が不安を募らせる。ガッという何かを踏みつける音と、タンッという何かが落ちる音。

「え?」

 まさか……まさか?
 いやいやそんなわけないだろう……まさかね? 体を起こして網戸越しの闇夜を覗くと、何処かへ走り去る制服姿の彼女が、一瞬だけ見えた。街灯など無く、月明りだけを頼りにして敷地を出て行った。

「え?」

 どういうことだ。

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