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えんかうんと・ほわいと
第五話
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「古事記、日本書紀はともかく……遠野物語、妖怪学講義、閑田耕筆かぁ」
籠に収められた本の束を見て、自然と溜息が零れる。読書は嫌いではないが、どうせならライトノベルのような夢を膨らませる内容のものが良い。
「どのような書物なのですか?」
少し後ろを追従する巳姫が聞いてきた。
「えぇと、分類で言えば民俗学に当て嵌まる本かな。妖怪の成り立ちや生態が記述されてる」
その程度の知識は僕自身にもある。
遠野物語は柳田邦夫による妖怪の説明書。妖怪は何故生まれたか。大抵の怪奇現象が解明される中、未だ謎に満ちた妖怪は何故存在しているのか。
それらは人間の恐怖心を温床にして生まれたものが多い。危害への恐怖、知覚不能への恐怖、不思議への恐怖が主だ。人間は本能的に安全を求める為、安全を脅かすものに恐怖を覚える。複数の人間が同じものに対して同じ恐怖を抱いた結果として、恐怖に命が吹き込まれ、妖怪となる。
「民俗学?」
「妖怪っていうのはね、人間と深く関わり合っている存在なんだ。人間が生み出したものもある。物理や常識を超えた超常存在だったり、根も葉もない迷信だったりする。そういう奴らがどのような背景で生まれて、人々からどう恐れられていたかが分かるんだ」
「左様で御座いますか。広い視野を育む書物なのですね」
「そうだね。巳姫が言った通り、知識があれば世界が違って見えるのかも」
人は知識が無ければ目の前のことを正確に認識できない。今まで石ころにしか見えなかったものが、知識を持てば古代の史跡だと認識できるようになる。つまり、今まで見えていなかったものが見えるようになるわけだ。
そういうわけで、かごめ先輩から半ば押し付けられる形で知識の本をお借りした。図書室の面目丸つぶれだが良いのだろうか……と思いつつ部室でぺらぺら捲っていると日は傾き、今は巳姫と二人で下校中。登校した際に見た彼女の自転車裁きはよろよろと危ないものだったが、今では慣れたものでスムーズだった。
巳姫や先輩には、僕には見えないものが視える。僕がいくら知識を蓄えようとも見えないものが視える。それが少しだけ羨ましい、と考えるのは僕の意思によるものだろうか。もしかしたら、憑りついているという兄の霊、その思念が僕の魂に介入してそのような意識を発生させているのではないか、という恐怖に似た感情が鎌首をもたげる。
僕はかぶりを振って、夕日に照らされる道を進んだ。青臭い現存在を思い煩ってるなんてどうかしてる。僕は僕だ。清乃浦透であり、守谷透だ。
「ねぇ、巳姫」
「はい」
「その……昨日から疑問だったんだけど、許嫁っていう話は本当なの?」
かねてよりの疑問。
疑いはあったが、別に良いではないかと流していた疑問。
惚れたわけでもない男のところに、家を継ぐだけのために嫁に来てくれる女性がこのご時世にいるだろうか。もし自分が子を持つ親だったとして、相手の家系を継ぐための、という結婚は絶対して欲しくない。好きになった男性と夢のある結婚をして欲しいと思う。そう思わない巳姫の親御さんの名前は知れず、電話番号も住所も知れず。ハッキリ言えば得体の知れない存在なのだ。
「それは……」
聞くべきではなかった。
それでも、聞かなければならなかった。
物事を正しく理解するには知識が、情報が必要だった。
「許嫁、というのは誇張した表現かもしれません。ただ私は、透様の御傍で恩返しがしたかっただけなのです」
「恩返しって……昨日も言ってたけど、どういうことなの?」
「それは、いずれお話します。ですからどうか、どうか、今は何も聞かないでいただけませんか」
「いやでも……巳姫を疑ってるわけじゃないよ、無理に言う必要もない」
この二日間で彼女が振る舞った僕への態度。その全てを偽りのものだと断定することは不可能だった。重ねて言えば、偽ってまで農家の息子へ取り入ったところでハイリターンを得られるわけでもない。
「家族だからさ。必要以上立ち入るべきじゃないとは分かってるけど、気になって」
「申し訳ありません……家族と仰っていただけながら、無礼を働く私をお許し下さいませ」
「謝ること無いって。誰だって言いたくないことはあるんだし」
勿論僕にも──疑い続けていれば良心の呵責でどうにかなりそうだった。疑いは心の贅沢。今あるがままに、感じるままに、時に身を委ねられたら。
「待つよ。いつか、話してくれる日を」
迷い道に誘われようとも。
いくつかの幸せで癒されるのなら。
帰宅してからは、とにかく書物を読み進めた。まずは最古の書物である古事記。現代語訳とここまで長時間にらめっこしたことはないだろう。巳姫が夕食の準備が完了したことを伝えに来てくれるまで、ひたすら文字の羅列に目を通していた。彼女は既に自分の本を読み終えていたらしい。僕には早さが足りない。これでも頑張ったのに。
とはいえ、視野が広くなった実感は無い。所詮は書物、古い時代の人間が書き上げたライトノベルのようなもの。日本版の聖書を読んだ所で幽霊だったり妖怪だったりが視えるようになるわけがない。
「勿論、完全な作り話ではありません。事実を基にして物語は作られているのですよ?」
「はぁ……」
巳姫に愚痴を零すと可愛らしくめっ、された。
ついでに父さんも会話に加わってくる。多くの本を借りて来て読み耽っていた僕の態度に関心を持ったようだ。幽霊だとか魂だとかの話は勿論、巳姫への疑いや怪しい先輩についての話も避けておく。
「古事記かぁ。そういや、葛城の屋敷跡が発掘調査されたでねぇか。そこは焼けちまってて、炭になった柱が残ってた。時代的にも一致してて、焼き滅ぼされたのは間違いないだろってな」
「現代農業かオールドタイマーしか読んでない父さんが何を言うのさ」
食後にネットで調べたところ、父さんが言ったことは事実だった。恐るべし地方の貧乏農家、夜中に放送されていたテレビかはたまたラジオかで得た情報をきっちり覚えてでもいたのだろう。
ついでに調べていった。物語は事実を基にして作られているのか。
黄泉の国に下った伊邪那美が伊邪那岐に対し、私の姿を見ないでくれと言ったのに、伊邪那岐が約束を破り見てしまうという話。それから、須佐之男命が八俣大蛇を退治する話。それらの話はギリシャ神話をはじめ他の民族でも古くから伝えられている物語に類似点がある。西洋と東洋、あるいは新大陸のように遠く離れた地であっても、人を食う怪物の話、竜や大蛇と戦う勇者の話などが伝えられている。
世界にある洪水神話と同じだ。創世記のノアの方舟、インド神話のプラーナのマツヤ、ギリシャ神話のデウカリオーンなど、調べれば埃のようにぽんぽん出てくる物語。そして、多くの科学者が実際に過去に起きた出来事であると認めている。最終氷期が終わった地球は温暖化に伴って地中海の水位が上がり、当時淡水湖だった黒海に流れ込み、一気に水位を上げる大洪水が発生したのだ。その洪水があまりにも激しかったため、世界各地に伝わり、様々な逸話を生み出した。
事実。
神様による国生みも、神産みも、天武天皇が稗田阿礼に語った純然たる事実であった可能性。元明天皇が太安万侶に命令し、60歳になった稗田阿礼から聞いて書物にした話が事実であった可能性。可能性。可能性は最早事実という結果を突き付ける言葉にしか思えなかった。
別れ際に罵倒を放った幼馴染が、夜中に我が家を訪れるという可能性も事実となる。
「紅葉? どうしたの、こんな時間に」
ごめん下さいという挨拶や、インターホンを鳴らす、という面倒臭い動作をせず玄関を開いた訪問者。皿洗いをしている巳姫や風呂に入っている父さんに代わって僕が顔を出すと、そこには不貞腐れた顔の幼馴染がいた。
「あんたが倒れたらしいから、顔を見に来ただけ。間抜け面。馬鹿面。ばーか」
「見舞いに来てくれたのは嬉しいよ。清々しい罵倒も清涼剤みたいだ」
「二度と来ないわよ、ばーか」
そう言って、手にした小袋を放り投げる。中には林檎や桃といった果物が入っていた。なんだかんだ優しいんだよな、と改めて思っていると、とたとたと近付いてくる足音が一つ。
「まぁ根小屋様。どうぞ、お上がり下さいませ」
エプロンを羽織った巳姫だった。無垢な笑顔を浮かべている彼女を見るなり、紅葉の顔が引き攣っていく。
「いや、あたしはもういいから」
「そう仰らずに。そうだ、冷たいお冷をお持ち致しますね」
とたとたという足音が今度は遠ざかっていく。健気な子だなぁ、としみじみ思いつつも紅葉に上がるよう頼み込む。好意は無下にするものではないし。紅葉は渋々という表情で靴を脱ぎ、居間へ上がった。それからぽつぽつと会話する。
「本当に、ここに住んでるんだ?」
「まぁ、うん」
「血の繋がらない従妹?」
「そうみたいだね」
「ふぅん……」
「うん」
「……」
「……」
場が持たない。
取り付く島があるだけマシだが、どうも、今日の紅葉は難しい。いや、難しいのは自分自身だろうか。色々な事を考えて、感じて、思い出して、悔やんで、疑って、信頼して……半日という時間だけで数日が経過したかのように疲れているのだ。
「約束」
「うん?」
「何でもない。それで、明日はちゃんと部活に来れるの?」
「勿論だよ。何処もおかしくなったりしてないし、平気平気」
力瘤をつくってみせるものの、ガチムチマッチョではない僕にまともな瘤がつくれるわけもない。とはいえ元気なことは伝わったのか、
「そっか、なら良し。あんたが抜けたら部の存続が危ぶまれるからね」
「そこまで危険な状況ではない筈だけど」
「そういう事なの。あたしの相手できるのはあんたくらいなんだから、いなくなったら承知しないから」
無邪気な笑顔でそう言った。
それを見るのはいつぶりだろうか。太陽のように眩しいその笑顔を、随分と見ていなかった気がする。僕と共にあった普通の日常が戻って来たのだ、と思わずにいられなかった。
「根小屋様、お待たせ致しました。お父様から許可を頂いたので、こちらの西瓜もどうぞ」
麦茶が並々注がれたコップと、食べやすくカットされたみずみずしい西瓜を盆に載せた巳姫が姿を現す。何か引っかかるものがあったのか、紅葉は疑いの眼差しを僕に向けた。
「お父様って……透?」
「あれだよ、ほら、僕たちは血が繋がらなくても一つ屋根の下で暮らす家族だし、そう呼ぶのは何もおかしくないでしょ」
「まあいいけど。それと清乃浦さん、あたしのことを様づけする必要ないから。なんだか背筋に悪寒が奔るのよね」
「それは、申し訳ありません……つい」
「紅葉でいいわよ。あたしも巳姫ちゃんって呼ぶから、それでいいでしょ?」
何がどう良いのだろう。
「はい、感謝感激の至りであります、紅葉様」
「結局、様は外せないのね」
「あぅ、申し訳ありません……」
「別に謝ることじゃないわよ」
それから二人はぽつぽつと語り合った。差し障りの無い優しい会話。どんな番組が好きだとかどんな歌がお気に入りだとか、どんな勉強が嫌いだとか。どこ生まれだとかどこ育ちだとか、そういった話題は当然あったが、申し訳ありません、とだけ言うと落ち込んだ顔で押し黙るので紅葉とて踏み込めなかった。
そういうわけで、紅葉が帰宅するまでの間はおしとやかなガールズトークが展開した。言葉遣いから分かるように、巳姫は世間に少々疎い箱入り娘だ。女子高校生の間で流行している物事などまるで知らない様子であり、紅葉が話す内容をきょとんとした微笑みを浮かべつつ流し聞いていた。これには紅葉も苦笑い。まぁ、多少なりとも打ち解けられたのだから良いだろう。
「それでは、お休みなさいませ」
「うん。お休み」
そうして、無事に一日が終わる。
長い、あまりにも長い一日だった気がする。
何故だろうかとベッドに横たわりながら僕は考え、真っ先に思いついたのがジャネの法則。17歳である僕にとって1年の長さは人生の17分の1を占めるのだ。そして、ひとみ先生が話したことが脳裏をよぎる。情報や感情の起伏が多い程長く感じるのではないか、という自論。
結局は他我問題であり、考えるだけ無駄だ。色々あって肉体と精神は疲れているし、目もしょぼしょぼしている。
「そうだ」
早く寝ようと思ったが、その前に確認しておきたいことがあった。翠色の勾玉。あれが僕の元へ届いてから僕の日常は一変した。直後に家を訪れた巳姫と何か関係があるのだろうか。
「巳姫、ちょっといい?」
僕は桐の箱入り封筒を手に、巳姫の部屋のドアをノックする。なんだか夜這いのようで気が引けるが、いやいや正当な理由があるのだから邪なことを考えるな。
「……」
しかし、待てども待てども返事が無い。まさか寝てる? なら明日、日を改めて聞いてみよう。
「まさか……」
昨日の今日でまさかね。しかし、もしそうだとすればにっくき蚊の侵入を許すことになる。御免なさい御免なさいと繰り返しつつ、乙女の花園へ繋がるドアを音を立てぬようゆっくり開いた。途端、甘く芳醇な香りに包まれる。これが女の子が使う部屋の香りなのか、つい数日前までは物置だったのに。
どきどきしつつベッドへ目を向けると、そこには誰もいなかった。
おろおろしつつ窓へ目を向けると、網戸がきっちり閉められていた。
そういうわけで、僕は深夜徘徊に向かった従妹を保護しにいくことにした。未知の狂犬病。病魔。順わぬもの。かごめ先輩が語ったそれら魔の手から守りたかった。そうだ。僕は、これ以上失いたくなかった。
籠に収められた本の束を見て、自然と溜息が零れる。読書は嫌いではないが、どうせならライトノベルのような夢を膨らませる内容のものが良い。
「どのような書物なのですか?」
少し後ろを追従する巳姫が聞いてきた。
「えぇと、分類で言えば民俗学に当て嵌まる本かな。妖怪の成り立ちや生態が記述されてる」
その程度の知識は僕自身にもある。
遠野物語は柳田邦夫による妖怪の説明書。妖怪は何故生まれたか。大抵の怪奇現象が解明される中、未だ謎に満ちた妖怪は何故存在しているのか。
それらは人間の恐怖心を温床にして生まれたものが多い。危害への恐怖、知覚不能への恐怖、不思議への恐怖が主だ。人間は本能的に安全を求める為、安全を脅かすものに恐怖を覚える。複数の人間が同じものに対して同じ恐怖を抱いた結果として、恐怖に命が吹き込まれ、妖怪となる。
「民俗学?」
「妖怪っていうのはね、人間と深く関わり合っている存在なんだ。人間が生み出したものもある。物理や常識を超えた超常存在だったり、根も葉もない迷信だったりする。そういう奴らがどのような背景で生まれて、人々からどう恐れられていたかが分かるんだ」
「左様で御座いますか。広い視野を育む書物なのですね」
「そうだね。巳姫が言った通り、知識があれば世界が違って見えるのかも」
人は知識が無ければ目の前のことを正確に認識できない。今まで石ころにしか見えなかったものが、知識を持てば古代の史跡だと認識できるようになる。つまり、今まで見えていなかったものが見えるようになるわけだ。
そういうわけで、かごめ先輩から半ば押し付けられる形で知識の本をお借りした。図書室の面目丸つぶれだが良いのだろうか……と思いつつ部室でぺらぺら捲っていると日は傾き、今は巳姫と二人で下校中。登校した際に見た彼女の自転車裁きはよろよろと危ないものだったが、今では慣れたものでスムーズだった。
巳姫や先輩には、僕には見えないものが視える。僕がいくら知識を蓄えようとも見えないものが視える。それが少しだけ羨ましい、と考えるのは僕の意思によるものだろうか。もしかしたら、憑りついているという兄の霊、その思念が僕の魂に介入してそのような意識を発生させているのではないか、という恐怖に似た感情が鎌首をもたげる。
僕はかぶりを振って、夕日に照らされる道を進んだ。青臭い現存在を思い煩ってるなんてどうかしてる。僕は僕だ。清乃浦透であり、守谷透だ。
「ねぇ、巳姫」
「はい」
「その……昨日から疑問だったんだけど、許嫁っていう話は本当なの?」
かねてよりの疑問。
疑いはあったが、別に良いではないかと流していた疑問。
惚れたわけでもない男のところに、家を継ぐだけのために嫁に来てくれる女性がこのご時世にいるだろうか。もし自分が子を持つ親だったとして、相手の家系を継ぐための、という結婚は絶対して欲しくない。好きになった男性と夢のある結婚をして欲しいと思う。そう思わない巳姫の親御さんの名前は知れず、電話番号も住所も知れず。ハッキリ言えば得体の知れない存在なのだ。
「それは……」
聞くべきではなかった。
それでも、聞かなければならなかった。
物事を正しく理解するには知識が、情報が必要だった。
「許嫁、というのは誇張した表現かもしれません。ただ私は、透様の御傍で恩返しがしたかっただけなのです」
「恩返しって……昨日も言ってたけど、どういうことなの?」
「それは、いずれお話します。ですからどうか、どうか、今は何も聞かないでいただけませんか」
「いやでも……巳姫を疑ってるわけじゃないよ、無理に言う必要もない」
この二日間で彼女が振る舞った僕への態度。その全てを偽りのものだと断定することは不可能だった。重ねて言えば、偽ってまで農家の息子へ取り入ったところでハイリターンを得られるわけでもない。
「家族だからさ。必要以上立ち入るべきじゃないとは分かってるけど、気になって」
「申し訳ありません……家族と仰っていただけながら、無礼を働く私をお許し下さいませ」
「謝ること無いって。誰だって言いたくないことはあるんだし」
勿論僕にも──疑い続けていれば良心の呵責でどうにかなりそうだった。疑いは心の贅沢。今あるがままに、感じるままに、時に身を委ねられたら。
「待つよ。いつか、話してくれる日を」
迷い道に誘われようとも。
いくつかの幸せで癒されるのなら。
帰宅してからは、とにかく書物を読み進めた。まずは最古の書物である古事記。現代語訳とここまで長時間にらめっこしたことはないだろう。巳姫が夕食の準備が完了したことを伝えに来てくれるまで、ひたすら文字の羅列に目を通していた。彼女は既に自分の本を読み終えていたらしい。僕には早さが足りない。これでも頑張ったのに。
とはいえ、視野が広くなった実感は無い。所詮は書物、古い時代の人間が書き上げたライトノベルのようなもの。日本版の聖書を読んだ所で幽霊だったり妖怪だったりが視えるようになるわけがない。
「勿論、完全な作り話ではありません。事実を基にして物語は作られているのですよ?」
「はぁ……」
巳姫に愚痴を零すと可愛らしくめっ、された。
ついでに父さんも会話に加わってくる。多くの本を借りて来て読み耽っていた僕の態度に関心を持ったようだ。幽霊だとか魂だとかの話は勿論、巳姫への疑いや怪しい先輩についての話も避けておく。
「古事記かぁ。そういや、葛城の屋敷跡が発掘調査されたでねぇか。そこは焼けちまってて、炭になった柱が残ってた。時代的にも一致してて、焼き滅ぼされたのは間違いないだろってな」
「現代農業かオールドタイマーしか読んでない父さんが何を言うのさ」
食後にネットで調べたところ、父さんが言ったことは事実だった。恐るべし地方の貧乏農家、夜中に放送されていたテレビかはたまたラジオかで得た情報をきっちり覚えてでもいたのだろう。
ついでに調べていった。物語は事実を基にして作られているのか。
黄泉の国に下った伊邪那美が伊邪那岐に対し、私の姿を見ないでくれと言ったのに、伊邪那岐が約束を破り見てしまうという話。それから、須佐之男命が八俣大蛇を退治する話。それらの話はギリシャ神話をはじめ他の民族でも古くから伝えられている物語に類似点がある。西洋と東洋、あるいは新大陸のように遠く離れた地であっても、人を食う怪物の話、竜や大蛇と戦う勇者の話などが伝えられている。
世界にある洪水神話と同じだ。創世記のノアの方舟、インド神話のプラーナのマツヤ、ギリシャ神話のデウカリオーンなど、調べれば埃のようにぽんぽん出てくる物語。そして、多くの科学者が実際に過去に起きた出来事であると認めている。最終氷期が終わった地球は温暖化に伴って地中海の水位が上がり、当時淡水湖だった黒海に流れ込み、一気に水位を上げる大洪水が発生したのだ。その洪水があまりにも激しかったため、世界各地に伝わり、様々な逸話を生み出した。
事実。
神様による国生みも、神産みも、天武天皇が稗田阿礼に語った純然たる事実であった可能性。元明天皇が太安万侶に命令し、60歳になった稗田阿礼から聞いて書物にした話が事実であった可能性。可能性。可能性は最早事実という結果を突き付ける言葉にしか思えなかった。
別れ際に罵倒を放った幼馴染が、夜中に我が家を訪れるという可能性も事実となる。
「紅葉? どうしたの、こんな時間に」
ごめん下さいという挨拶や、インターホンを鳴らす、という面倒臭い動作をせず玄関を開いた訪問者。皿洗いをしている巳姫や風呂に入っている父さんに代わって僕が顔を出すと、そこには不貞腐れた顔の幼馴染がいた。
「あんたが倒れたらしいから、顔を見に来ただけ。間抜け面。馬鹿面。ばーか」
「見舞いに来てくれたのは嬉しいよ。清々しい罵倒も清涼剤みたいだ」
「二度と来ないわよ、ばーか」
そう言って、手にした小袋を放り投げる。中には林檎や桃といった果物が入っていた。なんだかんだ優しいんだよな、と改めて思っていると、とたとたと近付いてくる足音が一つ。
「まぁ根小屋様。どうぞ、お上がり下さいませ」
エプロンを羽織った巳姫だった。無垢な笑顔を浮かべている彼女を見るなり、紅葉の顔が引き攣っていく。
「いや、あたしはもういいから」
「そう仰らずに。そうだ、冷たいお冷をお持ち致しますね」
とたとたという足音が今度は遠ざかっていく。健気な子だなぁ、としみじみ思いつつも紅葉に上がるよう頼み込む。好意は無下にするものではないし。紅葉は渋々という表情で靴を脱ぎ、居間へ上がった。それからぽつぽつと会話する。
「本当に、ここに住んでるんだ?」
「まぁ、うん」
「血の繋がらない従妹?」
「そうみたいだね」
「ふぅん……」
「うん」
「……」
「……」
場が持たない。
取り付く島があるだけマシだが、どうも、今日の紅葉は難しい。いや、難しいのは自分自身だろうか。色々な事を考えて、感じて、思い出して、悔やんで、疑って、信頼して……半日という時間だけで数日が経過したかのように疲れているのだ。
「約束」
「うん?」
「何でもない。それで、明日はちゃんと部活に来れるの?」
「勿論だよ。何処もおかしくなったりしてないし、平気平気」
力瘤をつくってみせるものの、ガチムチマッチョではない僕にまともな瘤がつくれるわけもない。とはいえ元気なことは伝わったのか、
「そっか、なら良し。あんたが抜けたら部の存続が危ぶまれるからね」
「そこまで危険な状況ではない筈だけど」
「そういう事なの。あたしの相手できるのはあんたくらいなんだから、いなくなったら承知しないから」
無邪気な笑顔でそう言った。
それを見るのはいつぶりだろうか。太陽のように眩しいその笑顔を、随分と見ていなかった気がする。僕と共にあった普通の日常が戻って来たのだ、と思わずにいられなかった。
「根小屋様、お待たせ致しました。お父様から許可を頂いたので、こちらの西瓜もどうぞ」
麦茶が並々注がれたコップと、食べやすくカットされたみずみずしい西瓜を盆に載せた巳姫が姿を現す。何か引っかかるものがあったのか、紅葉は疑いの眼差しを僕に向けた。
「お父様って……透?」
「あれだよ、ほら、僕たちは血が繋がらなくても一つ屋根の下で暮らす家族だし、そう呼ぶのは何もおかしくないでしょ」
「まあいいけど。それと清乃浦さん、あたしのことを様づけする必要ないから。なんだか背筋に悪寒が奔るのよね」
「それは、申し訳ありません……つい」
「紅葉でいいわよ。あたしも巳姫ちゃんって呼ぶから、それでいいでしょ?」
何がどう良いのだろう。
「はい、感謝感激の至りであります、紅葉様」
「結局、様は外せないのね」
「あぅ、申し訳ありません……」
「別に謝ることじゃないわよ」
それから二人はぽつぽつと語り合った。差し障りの無い優しい会話。どんな番組が好きだとかどんな歌がお気に入りだとか、どんな勉強が嫌いだとか。どこ生まれだとかどこ育ちだとか、そういった話題は当然あったが、申し訳ありません、とだけ言うと落ち込んだ顔で押し黙るので紅葉とて踏み込めなかった。
そういうわけで、紅葉が帰宅するまでの間はおしとやかなガールズトークが展開した。言葉遣いから分かるように、巳姫は世間に少々疎い箱入り娘だ。女子高校生の間で流行している物事などまるで知らない様子であり、紅葉が話す内容をきょとんとした微笑みを浮かべつつ流し聞いていた。これには紅葉も苦笑い。まぁ、多少なりとも打ち解けられたのだから良いだろう。
「それでは、お休みなさいませ」
「うん。お休み」
そうして、無事に一日が終わる。
長い、あまりにも長い一日だった気がする。
何故だろうかとベッドに横たわりながら僕は考え、真っ先に思いついたのがジャネの法則。17歳である僕にとって1年の長さは人生の17分の1を占めるのだ。そして、ひとみ先生が話したことが脳裏をよぎる。情報や感情の起伏が多い程長く感じるのではないか、という自論。
結局は他我問題であり、考えるだけ無駄だ。色々あって肉体と精神は疲れているし、目もしょぼしょぼしている。
「そうだ」
早く寝ようと思ったが、その前に確認しておきたいことがあった。翠色の勾玉。あれが僕の元へ届いてから僕の日常は一変した。直後に家を訪れた巳姫と何か関係があるのだろうか。
「巳姫、ちょっといい?」
僕は桐の箱入り封筒を手に、巳姫の部屋のドアをノックする。なんだか夜這いのようで気が引けるが、いやいや正当な理由があるのだから邪なことを考えるな。
「……」
しかし、待てども待てども返事が無い。まさか寝てる? なら明日、日を改めて聞いてみよう。
「まさか……」
昨日の今日でまさかね。しかし、もしそうだとすればにっくき蚊の侵入を許すことになる。御免なさい御免なさいと繰り返しつつ、乙女の花園へ繋がるドアを音を立てぬようゆっくり開いた。途端、甘く芳醇な香りに包まれる。これが女の子が使う部屋の香りなのか、つい数日前までは物置だったのに。
どきどきしつつベッドへ目を向けると、そこには誰もいなかった。
おろおろしつつ窓へ目を向けると、網戸がきっちり閉められていた。
そういうわけで、僕は深夜徘徊に向かった従妹を保護しにいくことにした。未知の狂犬病。病魔。順わぬもの。かごめ先輩が語ったそれら魔の手から守りたかった。そうだ。僕は、これ以上失いたくなかった。
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