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第1章 宿り木ホテルと季節の人々
第47話 新入社員と生意気とチャーハンと
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ソラス・フォレストの予約台帳は、ここ最近、異様な速度で埋まっていた。
「……あれ?」
フロントの三条京子が、画面を二度見する。
「来月、もう平日ほぼ満室じゃない?」
「事実ですね」
江藤快が淡々と頷く。
「口コミと再訪率が異常です。御影ルカ再来館の記事が、まだ効いてますね」
「国家絡みもあったしねぇ」
支配人・木島五郎は、どこか誇らしげだ。
「よし。これはもう、人を増やそう」
「……ついに?」
結が聞く。
「ついに、だ」
支配人は大きく頷いた。
「新入社員を一人、入れる」
厨房の奥で、奏が包丁を止めた。
「……誰を?」
「即戦力だそうだ」
「三十歳、元ビストロ勤務」
「自信だけは、山ほどあるらしい」
「最後の情報いらないな……」
結の胸に、嫌な予感がよぎった。
その男は、昼前に現れた。
背は高く、髪はきっちり整えられ、
エプロンの付け方だけはやたら様になっている。
「はじめまして」
軽く会釈。
「榊原 公(さかきばら こう)です」
「……結です。よろしくお願いします」
「調理担当?」
榊原は、結を上から下まで一瞥した。
「まあ……若いけど、頑張ってください」
(……なにその目線)
結は、口元を引きつらせる。
京子の心の声が、盛大に漏れた。
「(うわ、生意気そう……絶対めんどくさいタイプ……)」
「京子さん、出てますよ」
榊原は、厨房を見回す。
「へぇ……思ったより、こぢんまりしてますね」
「有名店って聞いてたんですけど」
その瞬間、空気が一段、冷えた。
だが、奏は何も言わない。
ただ、包丁を再び動かす。
「ま、」
榊原は続けた。
「腕でカバーってやつですか」
結のこめかみが、ぴくっと動いた。
昼の営業を終え、
スタッフが集まるまかないの時間。
「じゃ」
榊原が手を挙げる。
「今日のまかない、俺が作りますよ」
「……あ、そう?」
支配人が言う。
「じゃあ、お願いしようか」
奏は、何も言わない。
結も、黙って様子を見る。
フライパンに油。
強めの火。
卵、白飯、ネギ、ハム。
手つきは、悪くない。
(……悪くはない、けど)
結は、微妙な違和感を覚える。
火加減が、一定。
香りが、立たない。
塩、胡椒、最後に醤油を鍋肌へ――
だが、焦がしきれない。
「はい、完成」
大皿に盛られたチャーハンは、
見た目だけなら、十分それらしかった。
「どうぞ」
榊原は、どこか自信満々だ。
「ビストロ時代、賄いは俺の担当だったんで」
一口。
……。
「……」
結は、箸を止めた。
京子は、にっこり笑って一言。
「……うん」
「“普通”ね」
「悪くはない」
快が補足する。
「ですが、印象にも残りません」
支配人は、曖昧に頷く。
「腹は満たされるな」
奏は、最後に口を開いた。
「……チャーハンだな」
それ以上でも、以下でもない。
榊原は、少しだけ眉をひそめた。
「……厳しいっすね」
「でも、まかないですし」
「こんなもんで十分じゃないですか?」
(……その“十分”が……)
結は、胸の奥で何かが引っかかった。
だが。
味の評価とは裏腹に、
榊原の態度は、まったく変わらなかった。
「え、この作業、俺じゃなくていいですよね?」
「新人さんにやらせたほうが、教育になるし」
「火加減? まあ感覚っすよ感覚」
「細かいこと言いすぎじゃないですか?」
結は、何度も言葉を飲み込んだ。
京子は、ついに耐えきれず心の声を漏らす。
「(ねえこの人、チャーハンの味より態度が焦げてない?)」
「京子さん……」
ぬくは、なぜか榊原に近づかない。
(……ぬく、正直だな)
夜。
厨房の片付けをしながら、結は奏に言った。
「……あの人」
「どうなんでしょう」
「どう思う」
「……料理は」
「そんなに悪くはないです」
「態度は」
「……」
結は、正直に言った。
「料理より、問題だと思います」
奏は、少しだけ口角を上げた。
「……だろうな」
「……注意、しないんですか」
「する」
奏は、鍋を拭きながら言う。
「ただし、今じゃない」
「え?」
「料理人には」
「二種類の“痛み”がある」
結は、耳を澄ます。
「一つは、言葉で刺さる痛み」
「もう一つは――」
奏は、フライパンを置いた。
「自分の料理で、突きつけられる痛みだ」
結は、はっとした。
「……チャーハン」
「ああ」
「……次、もっと難しいまかない、ですか?」
奏は、静かに言った。
「次は」
「“誤魔化せない料理”を、作らせる」
結の胸が、少し高鳴った。
「……それで、気づかなかったら?」
「そのときは」
奏は、迷いなく言った。
「ここには、居場所がない」
冷たい言葉。
だが、不思議と残酷には聞こえなかった。
ぬくが、奏の足元に来て座る。
厨房の灯りが、静かに落ちる。
ソラス・フォレストは、
人が増え、客が増え、
少しずつ、次の段階に入っていた。
――その変化に、
ついて来られるかどうか。
微妙なチャーハンは、
その試金石にすぎなかった。
第48話「誤魔化しがきかないと指導係と親子丼と」につづく
「……あれ?」
フロントの三条京子が、画面を二度見する。
「来月、もう平日ほぼ満室じゃない?」
「事実ですね」
江藤快が淡々と頷く。
「口コミと再訪率が異常です。御影ルカ再来館の記事が、まだ効いてますね」
「国家絡みもあったしねぇ」
支配人・木島五郎は、どこか誇らしげだ。
「よし。これはもう、人を増やそう」
「……ついに?」
結が聞く。
「ついに、だ」
支配人は大きく頷いた。
「新入社員を一人、入れる」
厨房の奥で、奏が包丁を止めた。
「……誰を?」
「即戦力だそうだ」
「三十歳、元ビストロ勤務」
「自信だけは、山ほどあるらしい」
「最後の情報いらないな……」
結の胸に、嫌な予感がよぎった。
その男は、昼前に現れた。
背は高く、髪はきっちり整えられ、
エプロンの付け方だけはやたら様になっている。
「はじめまして」
軽く会釈。
「榊原 公(さかきばら こう)です」
「……結です。よろしくお願いします」
「調理担当?」
榊原は、結を上から下まで一瞥した。
「まあ……若いけど、頑張ってください」
(……なにその目線)
結は、口元を引きつらせる。
京子の心の声が、盛大に漏れた。
「(うわ、生意気そう……絶対めんどくさいタイプ……)」
「京子さん、出てますよ」
榊原は、厨房を見回す。
「へぇ……思ったより、こぢんまりしてますね」
「有名店って聞いてたんですけど」
その瞬間、空気が一段、冷えた。
だが、奏は何も言わない。
ただ、包丁を再び動かす。
「ま、」
榊原は続けた。
「腕でカバーってやつですか」
結のこめかみが、ぴくっと動いた。
昼の営業を終え、
スタッフが集まるまかないの時間。
「じゃ」
榊原が手を挙げる。
「今日のまかない、俺が作りますよ」
「……あ、そう?」
支配人が言う。
「じゃあ、お願いしようか」
奏は、何も言わない。
結も、黙って様子を見る。
フライパンに油。
強めの火。
卵、白飯、ネギ、ハム。
手つきは、悪くない。
(……悪くはない、けど)
結は、微妙な違和感を覚える。
火加減が、一定。
香りが、立たない。
塩、胡椒、最後に醤油を鍋肌へ――
だが、焦がしきれない。
「はい、完成」
大皿に盛られたチャーハンは、
見た目だけなら、十分それらしかった。
「どうぞ」
榊原は、どこか自信満々だ。
「ビストロ時代、賄いは俺の担当だったんで」
一口。
……。
「……」
結は、箸を止めた。
京子は、にっこり笑って一言。
「……うん」
「“普通”ね」
「悪くはない」
快が補足する。
「ですが、印象にも残りません」
支配人は、曖昧に頷く。
「腹は満たされるな」
奏は、最後に口を開いた。
「……チャーハンだな」
それ以上でも、以下でもない。
榊原は、少しだけ眉をひそめた。
「……厳しいっすね」
「でも、まかないですし」
「こんなもんで十分じゃないですか?」
(……その“十分”が……)
結は、胸の奥で何かが引っかかった。
だが。
味の評価とは裏腹に、
榊原の態度は、まったく変わらなかった。
「え、この作業、俺じゃなくていいですよね?」
「新人さんにやらせたほうが、教育になるし」
「火加減? まあ感覚っすよ感覚」
「細かいこと言いすぎじゃないですか?」
結は、何度も言葉を飲み込んだ。
京子は、ついに耐えきれず心の声を漏らす。
「(ねえこの人、チャーハンの味より態度が焦げてない?)」
「京子さん……」
ぬくは、なぜか榊原に近づかない。
(……ぬく、正直だな)
夜。
厨房の片付けをしながら、結は奏に言った。
「……あの人」
「どうなんでしょう」
「どう思う」
「……料理は」
「そんなに悪くはないです」
「態度は」
「……」
結は、正直に言った。
「料理より、問題だと思います」
奏は、少しだけ口角を上げた。
「……だろうな」
「……注意、しないんですか」
「する」
奏は、鍋を拭きながら言う。
「ただし、今じゃない」
「え?」
「料理人には」
「二種類の“痛み”がある」
結は、耳を澄ます。
「一つは、言葉で刺さる痛み」
「もう一つは――」
奏は、フライパンを置いた。
「自分の料理で、突きつけられる痛みだ」
結は、はっとした。
「……チャーハン」
「ああ」
「……次、もっと難しいまかない、ですか?」
奏は、静かに言った。
「次は」
「“誤魔化せない料理”を、作らせる」
結の胸が、少し高鳴った。
「……それで、気づかなかったら?」
「そのときは」
奏は、迷いなく言った。
「ここには、居場所がない」
冷たい言葉。
だが、不思議と残酷には聞こえなかった。
ぬくが、奏の足元に来て座る。
厨房の灯りが、静かに落ちる。
ソラス・フォレストは、
人が増え、客が増え、
少しずつ、次の段階に入っていた。
――その変化に、
ついて来られるかどうか。
微妙なチャーハンは、
その試金石にすぎなかった。
第48話「誤魔化しがきかないと指導係と親子丼と」につづく
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