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第1章 宿り木ホテルと季節の人々
第72話 大晦日と振り返りと年越しそばと
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元旦の朝、ソラス・フォレストは雪に包まれていた。
夜明け前の空気は張りつめていて、息を吐くと白く曇る。
結はマフラーを巻き直しながら、ロビーに集まるスタッフの顔を見回した。
「例年どおり近くの神社まで初詣だな」
支配人・木島五郎が軽い調子で言うが、声はいつもより低い。
正月特有の静けさに、自然と皆の背筋も伸びていた。
奏は私服だった。
相変わらず地味な色合いで、パーカーにコートという簡素な格好だが、不思議と違和感はない。
結はその横に並ぶだけで、少し緊張する。
(昨日は……肩が触れただけ、だったのに)
それだけのはずなのに、距離感が変わってしまった気がして、どう立っていいのかわからない。
神社までは歩いて十五分ほど。
雪を踏みしめる音だけが道に響く。
「静かだなぁ」
京子が小声で言い、
快が頷く。
「元旦の朝って、こんな感じですよね」
参道に着くと、屋台がいくつか並び、湯気が立ちのぼっていた。
甘酒、焼き団子、たこ焼き。
その中に、見慣れた鍋が一つ。
「……あれ?」
結が目を留める。
大きな寸胴鍋の前に立っていたのは、奏だった。
「……?」
「奏さん?」
「甘酒、振る舞う」
短く言って、鍋の蓋を開ける。
ふわっと立ち上る、米の甘い香り。
米麹だけで仕込んだ、アルコールなしの甘酒だ。
「え、これ……奏さんが?」
「昨日の夜、仕込んだ」
年越しそばの片付けが終わったあと、誰にも言わずに仕込んでいた。
木島が目を丸くする。
「聞いてないんだけど!?」
「言ってないが神主さんに頼まれてた」
舞がくすっと笑う。
「でも、いいじゃん。正月っぽい」
奏は柄杓で甘酒をすくい、紙コップに注ぐ。
湯気の向こうで、その横顔が柔らかく見えた。
「……はい」
最初に渡されたのは、結だった。
「……ありがとうございます」
両手で受け取り、一口飲む。
優しい甘さ。
米の粒がほどけるようで、喉を通ると体の奥まで温まる。
「……おいしい」
結がそう言うと、奏はほんの一瞬だけ視線を逸らした。
「甘すぎないようにはした」
その言い方が、妙に照れくさい。
参拝を済ませ、全員で甘酒を飲みながら境内に立つ。
客も何人か合流し、自然と小さな輪ができていた。
「ここの甘酒、染みるわねぇ」
年配の宿泊客が笑顔で言う。
「ありがとうございます」
結が答えると、
奏は少し後ろで、黙ってその様子を見ていた。
結はふと気づく。
(……この人、こういうの好きなんだ)
目立たない形で、誰かを温めること。
帰り道、結と奏は自然と並んで歩いていた。
会話はない。
けれど、歩幅は揃っている。
神社の鳥居をくぐる直前、奏がぽつりと言った。
「……今年も、忙しくなるな」
「……はい」
「それでも」
一瞬、言葉を探すような間。
「……なんというか悪くない」
結の胸が、きゅっと締めつけられる。
「……はい」
それだけで十分だった。
ホテルに戻ると、朝の準備が始まる。
正月の朝食膳。
普段より少しだけ、丁寧な盛り付け。
結は厨房に立ちながら、思う。
特別な言葉も、派手な出来事もない。
でも、この元旦は、確かに“始まり”だった。
甘酒の湯気の向こう側で、
新しい一年が、静かに動き出していた。
第1章 完
夜明け前の空気は張りつめていて、息を吐くと白く曇る。
結はマフラーを巻き直しながら、ロビーに集まるスタッフの顔を見回した。
「例年どおり近くの神社まで初詣だな」
支配人・木島五郎が軽い調子で言うが、声はいつもより低い。
正月特有の静けさに、自然と皆の背筋も伸びていた。
奏は私服だった。
相変わらず地味な色合いで、パーカーにコートという簡素な格好だが、不思議と違和感はない。
結はその横に並ぶだけで、少し緊張する。
(昨日は……肩が触れただけ、だったのに)
それだけのはずなのに、距離感が変わってしまった気がして、どう立っていいのかわからない。
神社までは歩いて十五分ほど。
雪を踏みしめる音だけが道に響く。
「静かだなぁ」
京子が小声で言い、
快が頷く。
「元旦の朝って、こんな感じですよね」
参道に着くと、屋台がいくつか並び、湯気が立ちのぼっていた。
甘酒、焼き団子、たこ焼き。
その中に、見慣れた鍋が一つ。
「……あれ?」
結が目を留める。
大きな寸胴鍋の前に立っていたのは、奏だった。
「……?」
「奏さん?」
「甘酒、振る舞う」
短く言って、鍋の蓋を開ける。
ふわっと立ち上る、米の甘い香り。
米麹だけで仕込んだ、アルコールなしの甘酒だ。
「え、これ……奏さんが?」
「昨日の夜、仕込んだ」
年越しそばの片付けが終わったあと、誰にも言わずに仕込んでいた。
木島が目を丸くする。
「聞いてないんだけど!?」
「言ってないが神主さんに頼まれてた」
舞がくすっと笑う。
「でも、いいじゃん。正月っぽい」
奏は柄杓で甘酒をすくい、紙コップに注ぐ。
湯気の向こうで、その横顔が柔らかく見えた。
「……はい」
最初に渡されたのは、結だった。
「……ありがとうございます」
両手で受け取り、一口飲む。
優しい甘さ。
米の粒がほどけるようで、喉を通ると体の奥まで温まる。
「……おいしい」
結がそう言うと、奏はほんの一瞬だけ視線を逸らした。
「甘すぎないようにはした」
その言い方が、妙に照れくさい。
参拝を済ませ、全員で甘酒を飲みながら境内に立つ。
客も何人か合流し、自然と小さな輪ができていた。
「ここの甘酒、染みるわねぇ」
年配の宿泊客が笑顔で言う。
「ありがとうございます」
結が答えると、
奏は少し後ろで、黙ってその様子を見ていた。
結はふと気づく。
(……この人、こういうの好きなんだ)
目立たない形で、誰かを温めること。
帰り道、結と奏は自然と並んで歩いていた。
会話はない。
けれど、歩幅は揃っている。
神社の鳥居をくぐる直前、奏がぽつりと言った。
「……今年も、忙しくなるな」
「……はい」
「それでも」
一瞬、言葉を探すような間。
「……なんというか悪くない」
結の胸が、きゅっと締めつけられる。
「……はい」
それだけで十分だった。
ホテルに戻ると、朝の準備が始まる。
正月の朝食膳。
普段より少しだけ、丁寧な盛り付け。
結は厨房に立ちながら、思う。
特別な言葉も、派手な出来事もない。
でも、この元旦は、確かに“始まり”だった。
甘酒の湯気の向こう側で、
新しい一年が、静かに動き出していた。
第1章 完
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