ホテル「ソラスフォレスト」と季節の人々 ~44歳男性コックと25歳女性コックの不器用関係と不思議なスタッフと~

物書き赤べこ

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第2章 季節の変わり目は複雑な天気に

第87話 二次試験当日

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 夜明け前の厨房は、音がない。
 ソラス・フォレストの厨房で、結は火も包丁も使わず、ただ流しの前に立っていた。

 仕込みは終わっている。
 一次審査の料理――シチューを起点にした二次審査用メニューは、昨日の時点で完成していた。

 それでも、ここに立っていないと落ち着かなかった。

 背後で、カップを置く音がした。

「飲め」

 振り向かなくても分かる。奏だ。
 差し出されたコーヒーから、深煎りの香りが立つ。

「ありがとうございます」

 結は両手で受け取った。

「緊張してるか?」

 奏は聞いたがこちらを見ていなかった。
 棚を整理するふりをしている。

「……してます」

「そうか」

 それ以上何も言わない。
 励ましも結果の話もしない。

 ただ一言だけ。

「時間配分だけ忘れるな」

 結は小さく息を吐いた。

「はい」

 その一言で、胸の奥が静かになる。
 任されている。
 心配されていない。
 信じられている。

 それがどんな言葉より効いた。


 二次審査会場は想像以上に広かった。

 白い調理台が整然と並び全国から集まった料理人たちがそれぞれの場所に立っている。
 若手もいれば明らかに場慣れした年配の料理人もいる。

(……すごいな)

 一瞬だけ足が止まりそうになる。

 そのとき少し離れた場所で公の姿が目に入った。
 目が合いほんの一瞬だけ互いに会釈する。

(エントリーしてたんだ……)

 彼は前回大会二回戦敗退。
 悔しさを抱えたままここに立っている。

(私も同じだ)

 アナウンスが流れ最終説明が始まる。

「本日の二次審査では一次審査提出料理をベースにした
 新メニューを調理していただきます。
 評価対象は味、構成、そして提供の思想です」

 提供の思想。

 結の心臓が静かに強く打った。


 調理開始。

 周囲では大皿や高さのある盛り付けが次々と形になっていく。
 切り分けを前提にした料理、見栄え重視の構成。

 結は最初から違った。

 小さな型で焼いたシカゴピザ生地を等間隔に並べる。
 分厚すぎず、薄すぎない。歯が沈み、戻る弾力。

 固めに仕上げたシチューをスプーンで落とす。
 流れない。
 崩れない。
 肉と野菜の旨味がここに留まる硬さ。

 ボイルした人参、ブロッコリー、カリフラワー。
 色を考え味を重ね噛む順番を想定して配置する。

 その上に、ラザニアシート。
 シチューと野菜の水分を受け止める層。

 ホワイトソースを薄く。
 重くならないよう空気を含ませる。

 最後にチーズ。
 一段だけではない。
 下に見えないもう一層。

 オーブンへ。

 温度
 時間
 頭の中で何度もシミュレーションした通り。

 焼き上がりを確認しながら結はふと周囲を見る。

 視線を向けてくる審査員がいた。
 一瞬首をかしげる。

(……いい)

 それでいい。


 提供の時間。

 結は皿を並べながら深く息を吸った。

「切らずにそのままお召し上がりください」

 それだけ言った。

 説明はしない。
 語らない。

 審査員の一人が戸惑いながら一口取る。

 口に運ぶ。
 噛む。

 ――沈黙。

 二人目、三人目。

 咀嚼のリズムが、不思議と揃う。

「……迷いがないな」

 誰かが小さく言った。

「味の層が自然に口に入ってくる」

「完成してるのに押しつけがない」

 結の胸がじんわりと熱くなる。


 質疑応答。

「なぜ、このサイズにしたのでしょうか?」

 結は一拍置いて答えた。

「一次審査では味を評価していただけました。
 でも、料理は皿に出た瞬間から食べ終わるまでが全てだと思っています」

 言葉を選びながら続ける。

「どう食べるかを考えさせる料理は評価する人に負担をかけます。
 だから……考えなくても美味しい形にしました」

 審査員の一人がふっと笑った。

「なるほど」

 結果はその場では出ない。

 会場を出るとき背後から聞こえた独り言。

「……あれはホテルの料理だな」

 意味は分からない。
 でも、なぜか胸に残った。

 その夜、ホテルに一度戻った結。

「おつかれ」

 その声は奏だった。

「出し切れたのか?」

 奏の問いに結は即答した。

「はい」

「そうか、おつかれ」

 それだけ。

 でも、その言葉ですべてが報われた気がした。

 夜の厨房。

 結は簡単なスープを作った。
 味見をして小さくつぶやく。

「……美味しい」

 料理がまた好きだと思えた。

 それだけで今日は十分だった。

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