ホテル「ソラスフォレスト」と季節の人々 ~44歳男性コックと25歳女性コックの不器用関係と不思議なスタッフと~

物書き赤べこ

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第2章 季節の変わり目は複雑な天気に

第109話 当日の朝→会場控室待機の空気

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 目覚ましが鳴るより先に、結は目を覚ましていた。

 正確には――
 ほとんど眠れていなかった。

 カーテンの隙間から差し込む朝の光が、
 やけに現実味を帯びて見える。

(……今日だ)

 洗面台で顔を洗う。
 水が冷たくて少しだけ頭が冴えた。

 鏡に映る自分は、
 思ったより普通の顔をしている。

(もっと取り乱してると思ってた)

 髪をまとめ、
 支給された白衣を確認し、
 包丁ケースを持つ。

 その重さだけが、
 「逃げられない」という実感を連れてくる。

 会場へ向かう車内は静かだった。

 外の景色が流れていくのを眺めながら、
 結は無意識に指先を動かしていた。

 包丁を持つときの癖。
 親指の位置を何度も確認する。

(課題食材は会場で発表)

 何度も聞いた説明文が、
 頭の中で繰り返される。

 会場に到着すると、
 すでにスタッフや参加者でざわついていた。

 テレビ関係者の姿もある。
 カメラが回っていないだけで、
 空気はもう“本番前”だった。

「……結」

 声をかけられて振り向くと、
 Bグループのメンバーが揃っていた。

 四人。
 あの、最悪な連携から始まったチーム。

 誰もが少しずつ疲れた顔をしていて、
 でも、不思議と逃げ腰ではなかった。

「寝た?」

 一人が軽く聞く。

「……あんまり」

「だよな」

 それだけで会話が終わる。

 慰めも励ましもない。

 それが今はちょうどよかった。

 控室に通される。

 広くはない部屋に、
 椅子が並び、
 壁際にペットボトルの水。

 誰かが椅子に座ると、
 連鎖するように全員が腰を下ろした。

「……静かだな」

「逆に怖い」

「始まったら地獄だろ」

 短い言葉だけが飛び交う。

 結は膝の上で手を組み、
 呼吸の回数を数えていた。

 一、二、三。

 ドアの向こうから、
 かすかにアナウンスの声が聞こえる。

 まだ自分たちの番ではない。

「しょ」

 一人が少しだけ声を落とす。

「正直さ、
 今日は“チーム”って言えないよな」

 結は顔を上げた。

 誰も否定しなかった。

「一皿ずつだし」

「順位出るし」

「……全員がライバルだ」

 言葉にすると、
 空気が一段重くなる。

 それでも――

「でもさ」

 別の一人が続ける。

「昨日まで一緒に作ってたのは、
 嘘じゃないだろ」

 結はその言葉に少しだけ救われた。

「……うん」

 短く頷く。

 すると不意に視線が集まる。

「結」

「はい」

「緊張してる?」

 少し迷ってから正直に答えた。

「……してます」

 笑いが起きるわけでもなく、
 誰かが安心したように息を吐いた。

「それでいい」

「緊張してない方が怖い」

「今日は、そういう日だ」

 控室の時計が、
 カチリと音を立てる。

 アナウンスがはっきりと聞こえた。

『――次、Bグループの皆さん準備をお願いします』

 一瞬、全員が黙った。

 誰かが立ち上がり、
 誰かが白衣の裾を整える。

 結もゆっくり立つ。

 心臓の音が、
 やけに大きい。

「……行こう」

 誰かが言う。

 ドアに手をかけた瞬間、
 結はほんの一瞬だけ思った。

(まだ何も作ってないのに)

(もうこんなに削られてる)

 それでも、
 足は止まらなかった。

 名前が呼ばれるまであと数秒。

 その時間が、
 やけに長く感じられた。

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