ホテル「ソラスフォレスト」と季節の人々 ~44歳男性コックと25歳女性コックの不器用関係と不思議なスタッフと~

物書き赤べこ

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第2章 季節の変わり目は複雑な天気に

第110話 課題食材発表

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 ステージ袖は思ったよりも狭かった。

 照明の熱がじわりと肌に張りつく。
 会場からはざわめきが波のように押し寄せてきて、
 それが急に遠く感じられる瞬間があった。

 名前が呼ばれる。

 Bグループ四名、前へ。

 結は前へ一歩踏み出した。

 拍手が起きる。
 けれどそれは「歓迎」というより、
 観察される音だった。

 観客。
 審査員。
 カメラ。

 全員が、
 これから何を作るのかを見るために、ここにいる。

 司会者がマイクを持ち直す。

「それでは――
 第4次試験準決勝Bグループの課題食材を発表します」

 間。

 その一瞬、
 結の中で時間が少し伸びた。

(来る)

「――本日の課題食材は」

 会場が息を吸う。

「牛肉です」

 ざわっと音が広がった。

 予想していた者もいれば、
 明らかに肩を落とす者もいる。

 結は――
 何も感じなかった。

 正確には、
 感じる前に頭が静かになった。

(牛肉)

 単語だけが、
 水に落ちた石のように沈んでいく。

 重い。
 広い。

 司会者の説明が続く。

「部位は各自で選択可能。
 制限時間は九十分。
 調理法ジャンルは問いません」

 自由。

 その言葉が、
 逆に圧を増す。

 結は無意識に指を握った。

 横を見ると、
 Bグループのメンバーたちも表情を変えていない。

 ――いや。

 一人はわずかに笑っている。
 一人は顎に手を当てている。
 一人はもう目を伏せている。

(みんなもう考え始めてる)

 自分だけが、
 立ち遅れているような錯覚。

 だが不思議と焦りは来なかった。

 むしろ――

(牛肉か・・・)

 奏の料理が、
 頭をよぎりそうになって、
 結はそれを振り払った。

(違う)

(今日は私の料理)

 司会者が言う。

「それでは、
 各自調理ブースへ」

 スタッフの誘導が入り、
 参加者が動き始める。

 Bグループもそれぞれ別方向へ向かう。

 別れ際、一人がぽつりと言った。

「……生き残ろうな」

 結は、少しだけ笑って頷いた。

「はい」

 調理ブースに立つ。

 まな板。
 コンロ。
 オーブン。

 新品のように整えられた空間が、
 逆に現実味を奪う。

 牛肉が、
 トレーに並べられている。

 赤い。
 艶がある。

 結は、
 まだ包丁を取らなかった。

(まず何をする)

 頭の中に、
 これまでの料理が流れそうになる。

 シチュー。
 層のある皿。
 提供の工夫。

 ――でも。

(それをそのままやる場所じゃない)

 観客がいる。
 審査員がいる。

 でも、それ以上に――

(私は何を見せたい)

 牛肉に、
 そっと手を置く。

 冷たい。

 その感触で、
 少しだけ現実に戻る。

(豪華さじゃない)

(技巧でもない)

(……食べた人のどこに残す)

 答えは、
 まだ言葉にならない。

 でも。

 結は、
 最初に選ぶ部位を見た。

 そして――
 そのトレーを、
 静かに引き寄せた。

 包丁を取る。

 金属の重さが、
 ようやく手に馴染んだ。

(ここからだ)

 まだ料理名はない。
 完成形も曖昧。

 それでも。

 切る理由だけはもう決まっていた。
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