114 / 152
第2章 季節の変わり目は複雑な天気に
第112話 観客席
しおりを挟む
フライパンから目を離した一瞬。
結の視界の端に“完成に近い皿” が入った。
隣のブース。
すでに盛り付けに入っている。
白い皿の中央に艶のある肉。
周囲には計算された色味――
赤、緑、黄色。
ソースはすでに引かれ、
仕上げのハーブを散らすだけ。
(……早い)
思わず喉が鳴る。
さらに奥。
別のブースでは試食用のスプーンを手に
調整に入っている料理人がいた。
もう味を整える段階。
対して自分は。
肉はまだ休ませている途中。
付け合わせは下処理の途中。
ソースは――まだ鍋にすら入れていない。
(……遅い)
胸の奥がぎゅっと縮む。
(私、遅れてる)
(このままじゃ……)
観客席からざわめきが一段階上がった。
誰かの皿が“映える完成”を迎えたのだろう。
カメラが一斉に向く気配。
フラッシュ。
結の手が一瞬だけ止まった。
(変える?)
(今からでももう少し派手に――)
頭の中で安易な選択肢が浮かぶ。
焼き色を強くする。
ソースを甘く寄せる。
盛りを高くする。
“見た目で遅れを取り戻す”。
でも。
その瞬間――
結の視線がふと観客席の一角に吸い寄せられた。
見慣れた顔。
京子がいる。
両手で大きく丸を作り口を動かしている。
――「落ち着け」。
舞は、
腕を組んだまま小さく親指を立てていた。
快はなぜか無言でガッツポーズ。
木島支配人は胸の前で手を合わせ拝むような姿勢。
公も両手をあわせて拝んでいる
川谷は口を大きく動かしている。
――「食材を信じろ」。
……そして。
一番奥には奏がいた。
腕を組み表情は読めない。
でも――
一度だけ確かに頷いた。
それを見た瞬間、
結の胸の奥で、
何かが静かに定まった。
(……そうだ)
(私はこれを作りに来た)
(早さじゃない)
(派手さでもない)
包丁を持ち直す。
指先の震えが、
嘘みたいに消えていた。
結は肉に向き合う。
休ませた肩ロースにそっと触れる。
温度。
張り。
内部の水分。
(……いい感じ)
塩を打つ。
遅い。
でも、今しかないタイミング。
胡椒は最小限。
香りを立たせすぎない。
再び、
フライパンへ。
今度は、
さっきより少しだけ強い火。
仕上げの焼き。
ジュッ――
音が、深くなる。
その音を聞いた瞬間、
結は確信した。
(間に合う)
(遅れてるんじゃない)
(違う時間軸で進んでるだけ)
観客席のざわめきが一瞬遠くなる。
他人の皿はもう見ない。
自分の鍋。
自分の火。
自分の一皿。
結は迷わず次の工程へ進んだ。
方向は変えない。
たとえ――
最後の一人になっても。
それでもこの皿を完成させる。
そう心の中でだけ静かに宣言した。
結の視界の端に“完成に近い皿” が入った。
隣のブース。
すでに盛り付けに入っている。
白い皿の中央に艶のある肉。
周囲には計算された色味――
赤、緑、黄色。
ソースはすでに引かれ、
仕上げのハーブを散らすだけ。
(……早い)
思わず喉が鳴る。
さらに奥。
別のブースでは試食用のスプーンを手に
調整に入っている料理人がいた。
もう味を整える段階。
対して自分は。
肉はまだ休ませている途中。
付け合わせは下処理の途中。
ソースは――まだ鍋にすら入れていない。
(……遅い)
胸の奥がぎゅっと縮む。
(私、遅れてる)
(このままじゃ……)
観客席からざわめきが一段階上がった。
誰かの皿が“映える完成”を迎えたのだろう。
カメラが一斉に向く気配。
フラッシュ。
結の手が一瞬だけ止まった。
(変える?)
(今からでももう少し派手に――)
頭の中で安易な選択肢が浮かぶ。
焼き色を強くする。
ソースを甘く寄せる。
盛りを高くする。
“見た目で遅れを取り戻す”。
でも。
その瞬間――
結の視線がふと観客席の一角に吸い寄せられた。
見慣れた顔。
京子がいる。
両手で大きく丸を作り口を動かしている。
――「落ち着け」。
舞は、
腕を組んだまま小さく親指を立てていた。
快はなぜか無言でガッツポーズ。
木島支配人は胸の前で手を合わせ拝むような姿勢。
公も両手をあわせて拝んでいる
川谷は口を大きく動かしている。
――「食材を信じろ」。
……そして。
一番奥には奏がいた。
腕を組み表情は読めない。
でも――
一度だけ確かに頷いた。
それを見た瞬間、
結の胸の奥で、
何かが静かに定まった。
(……そうだ)
(私はこれを作りに来た)
(早さじゃない)
(派手さでもない)
包丁を持ち直す。
指先の震えが、
嘘みたいに消えていた。
結は肉に向き合う。
休ませた肩ロースにそっと触れる。
温度。
張り。
内部の水分。
(……いい感じ)
塩を打つ。
遅い。
でも、今しかないタイミング。
胡椒は最小限。
香りを立たせすぎない。
再び、
フライパンへ。
今度は、
さっきより少しだけ強い火。
仕上げの焼き。
ジュッ――
音が、深くなる。
その音を聞いた瞬間、
結は確信した。
(間に合う)
(遅れてるんじゃない)
(違う時間軸で進んでるだけ)
観客席のざわめきが一瞬遠くなる。
他人の皿はもう見ない。
自分の鍋。
自分の火。
自分の一皿。
結は迷わず次の工程へ進んだ。
方向は変えない。
たとえ――
最後の一人になっても。
それでもこの皿を完成させる。
そう心の中でだけ静かに宣言した。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話
桜井正宗
青春
――結婚しています!
それは二人だけの秘密。
高校二年の遙と遥は結婚した。
近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。
キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。
ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。
*結婚要素あり
*ヤンデレ要素あり
春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話
登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる