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狭間の庭
赤い月 青い月
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そこは中庭のようだった。
小さな四角い庭…
周りをそびえ立った高い塀で囲まれ、遥か頭上には夜空が広がり、見たことのない星座が瞬く。
そして、星々の間で一際目立っていたのが、血に濡れて染まったような赤い月だった。
そして赤い月の隣には、風のない日の海と同じくらいに穏やかな、青い月が。
赤と青…
二つの月の光が、空中で重なり合って、中庭の真ん中の芝生を淡い紫色に染めている。
「大変です。老ゴーデル様。
シトレウスの森の三分の一が跡形もなく消滅しています」
くぐもった声が夜のしじまに響く。
声の先には―
百センチにも満たない小さな生き物が息を殺して立っていた。
土気色の皮膚をした巨大な頭部には、テニスボールほどもある目玉。
身長の半分しかない貧弱な体は、頭を支えきれず、顔の向きを変えるたびに体全体がぐらぐら揺れている。
ひょろりと長い手足を器用に広げてバランスをとりながら、醜悪なその生き物は月明かりの当たらない暗がりに向かって訴えていた。
「ご承知と思いますが、これは"夢見人"の減少に深く関係しているのでは…」
生き物が遠慮がちに意見を述べる。
「炭焼小屋の番人、ジルよ」
ややあって重々しい返事が返ってきた。
闇の中に木霊するその声は、疲れきった老人のようでもあり、小川のせせらぎのようでもあり、重厚なチェロの調べのようでもあった。
ジルと呼ばれた土気色の生き物が大きな目をさらに見開き、尖った耳をぴんと立てて次の言葉を待つ。
「世界の均衡が崩れかかっているのだ」
老人が告げた。
ブルブル震える、醜い生き物の首筋を、玉の汗が一滴、伝って落ちる。
「"夢見人"がまた一人、夢を見るのをやめたのだ。
こうなっては、この体も長くは持つまい」
ジルと呼ばれた生き物は信じられないという顔をした。
「そんなっ!老ゴーデル様にもしものことがあれば我々の命も…」
「それが現実なのだよ。ジル」
老人が、月の光の輪の中に歩み出た。
大柄な体躯。
恰幅のいい胴回りの臍の下まで髭が垂れている。
髭同様に真っ白い、絹のような髪が柔らかく夜風にたなびく。
長いローブは前で斜めに合わさって金の布製の帯で留めてあった。
頬や手に無数の皺が刻まれたその老人は、深い憂いを含んだ笑みを浮かべているように見える。
「シトレウスの森だけではないのだよ。山も海も川も、闇に侵略されつつある」
ゴーデルはジルの前に手をかざした。
袖口から覗いたその手は青白く光り、恐ろしいことに…
指先が透けて向こう側がうっすら見えている。
ジルの瞳にみるみる涙が浮かんだ。
「"ライファーン"はなにをしているのですか?彼らがいながらなんという…」
「"ライファーン"の魂は忠誠心で溢れている。
いついかなるときも、けして怠けることはない。
おそらく、あやつらにも阻止できぬ事態がおこっているのだ」
「いったいその事態とはなんなのですか?」
ジルは鉛筆のような人差し指で涙を拭った。
歪んだ表情からは想像もつかないが途方にくれているのだ。
「ジルよ。それは今にわかるだろう。
いずれにせよ、監視人を召集せねばなるまい」
「監視人を?私は反対です、老ゴーデル様。
どうもあの連中は信用なりません。
監視人の中に"黒き予言"の手の者が紛れ込んでいないと、どうして言えましょう」
「では、ほかによい考えが?」
「それは………」
ジルは口ごもった。
「賭けるしかあるまい。
監視人を呼んでもらえるかの?」
長い沈黙が続く。
「……老ゴーデル様がそうおっしゃるなら致し方ありません」
きっ、と顔を上げた反動で、
ジルが派手にひっくり返った。
ゴーデルが老人とは思えない素早い身のこなしで、起き上がるのに手を貸す。
「呼び出す監視人は、とりあえず"狐火"あたりがよいであろう」
うんざりした顔でゴーデルを見るジル。
「あやつは狡猾だが、そう悪い輩ではあるまい」
ゴーデルがにっこりした。
「…不本意ですが…
"狐火"を……召喚いたします」
ゴーデルが両手でぴったり耳を塞いだのを確かめると、ジルは小さな声でなにやら唱え始めた。
呪文の独唱が進むにつれ、二つの月の周りに黒雲が集まり始めた。
芝生に降り注いでいた月の光が徐々に薄れ、暗闇が完全に箱庭を飲みこもうとした、
そのとき―――
轟音とともに、稲妻が夜空を切り裂いて現れた。
まばゆい閃光が走る。
カーン…カーン…
鐘を打つような微かな音がし、それがしだいに大きくなって…どんどん大きくなって…
耳をつんざく金属音に変わる。
地響きがし、これ以上は…
鼓膜が限界…
もう耐えられないと思った瞬間、ジルがぱちんと指を鳴らした。
とたんに雷が止み、不思議な音もかき消える。
静寂が訪れた。
何事もおこらない。
「"狐火"が召還を拒否しているのかも知れ…」
ジルが言いかけたとき、
ぼんっ!と爆発音がして二人の間に勢いよく火柱が上がった。
熱風に額をなめられ、ジルが悲鳴を上げる。
オレンジの煙が立ち込め始めると、火はだんだんと小さくなって、やがて…消えた。
と、どこからかゴホゴホと咳き込む声が聞こえ、次いで、もうもうとした煙の中から…
腰の曲がった年寄りが転がり出てきた。
全身は煤まみれ、着ている服は寝間着にそっくり。
スリッパに裸足の足を突っ込み、ぶかぶかのナイトキャップが頭からずり落ちている。
「夕刊が台無しだ」
焦げ焦げの紙の切れ端を握りしめて、年寄りが悪態をつく。
「お休みのところ、ごきげんよう」
皮肉いっぱいに陽気な挨拶をするジル。
唇の端がめくれて笑っているように見える。
「まったくもって!」
年寄りは怒鳴った。
「もう少しまともな方法があったじゃろうが!
このウスノロめが!
下等でゲスな小鬼の分際で…召喚じゃと?
このワシを?偉そうに。
最近の若造は鏡廊下の使い方も知らんのか」
「急な用件だったもので。
それに鏡廊下は…ゴーデル様以外、
世界を跨って使用することを禁じられていますから」
ジルが歯を剥いて言う。
「年寄りを敬え、このど阿呆!
ただでさえ先の短い寿命がますます縮まるわ」
年寄りはナイトキャップを被り直した。
「呼び立てしてすまぬ。
監視人の長、狐火よ」
ゴーデルが優しくねぎらう。
「おお、おお、殿下。これはこれは。
この度はお招きいただき、誠にもってありがたき幸せ」
狐火と呼ばれた老人は、ころっと態度を変えたかと思うとうやうやしく頭を下げた。
「堅苦しい挨拶はこのくらいにして本題の説明に…」
ジルが言いかけた言葉をゴーデルが遮る。
「おぬしのことだ。
さっきのやり取りを抜かりなく見聞きしていたのであろう?」
ゴーデルの目に宿る、からかうような光。
「恐れながら殿下」
狐火は卑しい笑みを浮かべて答えた。
「情報収集はもっとも得意とするところでございまして……
それが監視人と呼ばれる由縁でありまするゆえ」
「なんと、こともあろうに狭間の庭を盗み見するなど言語道断ではないですか」
ジルは飛びかからんばかりだ。
「まあよい。我らのような高齢者とて、一つくらい楽しみを持たなくてはつまらぬ」
「もったいなきお言葉。さすが、どこぞの頭の足りんコワッパとは格が違いまする」
狐火が横目でジルを睨む。
「承知しているなら話は早い。
表の世界でなにが起きているのか知っておろう?」
「殿下が想像しておられる通りの出来事にございます。
知っての通り。この世は二つの世界で成り立っておりまする。
表の世界"リアラル"
裏の世界"イマジェニスタ"
どちらが欠けても存在できぬのは周知」
一気に話終えた狐火の顔からへつらうようなにやにや笑いが消えている。
「さよう。リアラルに住まう"夢見人"の見る夢や希望がイマジェニスタを作り上げている。そして…」
一呼吸おいてゴーデルが言葉を繋げた。
「それと同時に、イマジェニスタの存在もまた、
リアラルに暮らす人間に生きる希望を与えている」
束の間、緊張が走り、場に重々しく流れる空気。
「今までに夢見人の数が極端に減ったことはあるんですか?」
沈黙を破ってジルが質問した。
「戦争、災害、飢饉、疫病。
リアラルで不幸が起こると、夢見人の数は必ずといって良いほど減るんじゃ、コワッパ。人間とは儚いもんじゃな」
「しかし…ジルよ。希望というものは不思議なものだ。けして完全には閉ざされぬ」
「"プレアー"ですね?」
目を輝かせて叫ぶジル。
小馬鹿にした目つきでジルを一瞥してから、狐火が口を挟む。
「確かにプレアーの紡ぎ出す念は強力じゃよ。イマジェニスタに存在する湖や渓谷、聖霊や小人、魔法の半分はプレアーが生んだものと言ってよかろうて。
むろん、おまえのような異形もじゃな」
ジルは白眼を剥いて聞こえないふりをしている。
「しかし、希望の綱であるプレアーは圧倒的に数が少ない。
夢見人の中でも特に強い紡ぎ出す力を持つプレアーはほんのわずかしか生まれぬのだ」
ゴーデルが寂しげに首を振った。
「存じております。しかし、プレアーを守るためにライファーンがいるのじゃありませんか」
興奮して大きな声を出すジル。
「ワシとて、そこが納得いかんのじゃ」
狐火が力なく答える。
「一昨日は湿原のガブー族が村ごと消滅、昨日はハバンダズ湖の半分が干上がった。
そして狐火よ、あろうことか今日はシトレウスの森までが」
「殿下。最近、リアラルでは神隠しが頻繁しておりまするぞ。
消えたのはすべて幼いものたち。
これをどうお考えで?」
「子どもは想像力に溢れている。
リアラルにいる夢見人のほとんどが幼子と言っていいであろう」
それを聞いたジルが、驚いた拍子に思い切り真後ろにひっくり返った。
「小さな力でも数が集まれば痛手。イマジェニスタでの被害の数々はリアラルでの神隠しが影響しておるのでしょうぞ。
…しかし妙ですな」
やっとのことで自力で起き上がったジルが、いぶかしげに狐火を見つめる。
「失われたのは善なる夢見人ばかりじゃ」
と狐火。
ゴーデルが厳しい目をして重々しく頷く。
「黒き予言!」
やっと起き上がったばかりだというのに、ジルが恐怖の雄叫びを上げながら…今度は前のめりにつんのめった。
「今の段階で決めつけるのは早急というもの。
しかし詳しく調べてみる必要があるであろう。
黒き予言が実際に動き出すとしたら…それは年明けの魔導大会だと自分は考えておる。
門が開き狭間に人が集まる、まさにそのとき」
「なるほど。リアラルでもイマジェニスタでもないここなら、自由に魔法を行使できる。あり得ない話ではないのう…」
狐火が唸った。
「当日は厳重に結界を張り、賢者衆が総出で警備に当たり万全の体制で望む。
だがしかし、祭の騒ぎに乗じて"黒き預言"が動き出すには…もってこいの環境」
テニスの試合観戦をするギャラリーのように、ジルの視線がゴーデルと狐火の間を行ったり来たりしている。
「殿下。良い考えがございます」
「申してみよ」
狐火がゴーデルに深く頭を垂れて言った。
「ワシはプレアーを一人、見知っているのでございます」
小さな四角い庭…
周りをそびえ立った高い塀で囲まれ、遥か頭上には夜空が広がり、見たことのない星座が瞬く。
そして、星々の間で一際目立っていたのが、血に濡れて染まったような赤い月だった。
そして赤い月の隣には、風のない日の海と同じくらいに穏やかな、青い月が。
赤と青…
二つの月の光が、空中で重なり合って、中庭の真ん中の芝生を淡い紫色に染めている。
「大変です。老ゴーデル様。
シトレウスの森の三分の一が跡形もなく消滅しています」
くぐもった声が夜のしじまに響く。
声の先には―
百センチにも満たない小さな生き物が息を殺して立っていた。
土気色の皮膚をした巨大な頭部には、テニスボールほどもある目玉。
身長の半分しかない貧弱な体は、頭を支えきれず、顔の向きを変えるたびに体全体がぐらぐら揺れている。
ひょろりと長い手足を器用に広げてバランスをとりながら、醜悪なその生き物は月明かりの当たらない暗がりに向かって訴えていた。
「ご承知と思いますが、これは"夢見人"の減少に深く関係しているのでは…」
生き物が遠慮がちに意見を述べる。
「炭焼小屋の番人、ジルよ」
ややあって重々しい返事が返ってきた。
闇の中に木霊するその声は、疲れきった老人のようでもあり、小川のせせらぎのようでもあり、重厚なチェロの調べのようでもあった。
ジルと呼ばれた土気色の生き物が大きな目をさらに見開き、尖った耳をぴんと立てて次の言葉を待つ。
「世界の均衡が崩れかかっているのだ」
老人が告げた。
ブルブル震える、醜い生き物の首筋を、玉の汗が一滴、伝って落ちる。
「"夢見人"がまた一人、夢を見るのをやめたのだ。
こうなっては、この体も長くは持つまい」
ジルと呼ばれた生き物は信じられないという顔をした。
「そんなっ!老ゴーデル様にもしものことがあれば我々の命も…」
「それが現実なのだよ。ジル」
老人が、月の光の輪の中に歩み出た。
大柄な体躯。
恰幅のいい胴回りの臍の下まで髭が垂れている。
髭同様に真っ白い、絹のような髪が柔らかく夜風にたなびく。
長いローブは前で斜めに合わさって金の布製の帯で留めてあった。
頬や手に無数の皺が刻まれたその老人は、深い憂いを含んだ笑みを浮かべているように見える。
「シトレウスの森だけではないのだよ。山も海も川も、闇に侵略されつつある」
ゴーデルはジルの前に手をかざした。
袖口から覗いたその手は青白く光り、恐ろしいことに…
指先が透けて向こう側がうっすら見えている。
ジルの瞳にみるみる涙が浮かんだ。
「"ライファーン"はなにをしているのですか?彼らがいながらなんという…」
「"ライファーン"の魂は忠誠心で溢れている。
いついかなるときも、けして怠けることはない。
おそらく、あやつらにも阻止できぬ事態がおこっているのだ」
「いったいその事態とはなんなのですか?」
ジルは鉛筆のような人差し指で涙を拭った。
歪んだ表情からは想像もつかないが途方にくれているのだ。
「ジルよ。それは今にわかるだろう。
いずれにせよ、監視人を召集せねばなるまい」
「監視人を?私は反対です、老ゴーデル様。
どうもあの連中は信用なりません。
監視人の中に"黒き予言"の手の者が紛れ込んでいないと、どうして言えましょう」
「では、ほかによい考えが?」
「それは………」
ジルは口ごもった。
「賭けるしかあるまい。
監視人を呼んでもらえるかの?」
長い沈黙が続く。
「……老ゴーデル様がそうおっしゃるなら致し方ありません」
きっ、と顔を上げた反動で、
ジルが派手にひっくり返った。
ゴーデルが老人とは思えない素早い身のこなしで、起き上がるのに手を貸す。
「呼び出す監視人は、とりあえず"狐火"あたりがよいであろう」
うんざりした顔でゴーデルを見るジル。
「あやつは狡猾だが、そう悪い輩ではあるまい」
ゴーデルがにっこりした。
「…不本意ですが…
"狐火"を……召喚いたします」
ゴーデルが両手でぴったり耳を塞いだのを確かめると、ジルは小さな声でなにやら唱え始めた。
呪文の独唱が進むにつれ、二つの月の周りに黒雲が集まり始めた。
芝生に降り注いでいた月の光が徐々に薄れ、暗闇が完全に箱庭を飲みこもうとした、
そのとき―――
轟音とともに、稲妻が夜空を切り裂いて現れた。
まばゆい閃光が走る。
カーン…カーン…
鐘を打つような微かな音がし、それがしだいに大きくなって…どんどん大きくなって…
耳をつんざく金属音に変わる。
地響きがし、これ以上は…
鼓膜が限界…
もう耐えられないと思った瞬間、ジルがぱちんと指を鳴らした。
とたんに雷が止み、不思議な音もかき消える。
静寂が訪れた。
何事もおこらない。
「"狐火"が召還を拒否しているのかも知れ…」
ジルが言いかけたとき、
ぼんっ!と爆発音がして二人の間に勢いよく火柱が上がった。
熱風に額をなめられ、ジルが悲鳴を上げる。
オレンジの煙が立ち込め始めると、火はだんだんと小さくなって、やがて…消えた。
と、どこからかゴホゴホと咳き込む声が聞こえ、次いで、もうもうとした煙の中から…
腰の曲がった年寄りが転がり出てきた。
全身は煤まみれ、着ている服は寝間着にそっくり。
スリッパに裸足の足を突っ込み、ぶかぶかのナイトキャップが頭からずり落ちている。
「夕刊が台無しだ」
焦げ焦げの紙の切れ端を握りしめて、年寄りが悪態をつく。
「お休みのところ、ごきげんよう」
皮肉いっぱいに陽気な挨拶をするジル。
唇の端がめくれて笑っているように見える。
「まったくもって!」
年寄りは怒鳴った。
「もう少しまともな方法があったじゃろうが!
このウスノロめが!
下等でゲスな小鬼の分際で…召喚じゃと?
このワシを?偉そうに。
最近の若造は鏡廊下の使い方も知らんのか」
「急な用件だったもので。
それに鏡廊下は…ゴーデル様以外、
世界を跨って使用することを禁じられていますから」
ジルが歯を剥いて言う。
「年寄りを敬え、このど阿呆!
ただでさえ先の短い寿命がますます縮まるわ」
年寄りはナイトキャップを被り直した。
「呼び立てしてすまぬ。
監視人の長、狐火よ」
ゴーデルが優しくねぎらう。
「おお、おお、殿下。これはこれは。
この度はお招きいただき、誠にもってありがたき幸せ」
狐火と呼ばれた老人は、ころっと態度を変えたかと思うとうやうやしく頭を下げた。
「堅苦しい挨拶はこのくらいにして本題の説明に…」
ジルが言いかけた言葉をゴーデルが遮る。
「おぬしのことだ。
さっきのやり取りを抜かりなく見聞きしていたのであろう?」
ゴーデルの目に宿る、からかうような光。
「恐れながら殿下」
狐火は卑しい笑みを浮かべて答えた。
「情報収集はもっとも得意とするところでございまして……
それが監視人と呼ばれる由縁でありまするゆえ」
「なんと、こともあろうに狭間の庭を盗み見するなど言語道断ではないですか」
ジルは飛びかからんばかりだ。
「まあよい。我らのような高齢者とて、一つくらい楽しみを持たなくてはつまらぬ」
「もったいなきお言葉。さすが、どこぞの頭の足りんコワッパとは格が違いまする」
狐火が横目でジルを睨む。
「承知しているなら話は早い。
表の世界でなにが起きているのか知っておろう?」
「殿下が想像しておられる通りの出来事にございます。
知っての通り。この世は二つの世界で成り立っておりまする。
表の世界"リアラル"
裏の世界"イマジェニスタ"
どちらが欠けても存在できぬのは周知」
一気に話終えた狐火の顔からへつらうようなにやにや笑いが消えている。
「さよう。リアラルに住まう"夢見人"の見る夢や希望がイマジェニスタを作り上げている。そして…」
一呼吸おいてゴーデルが言葉を繋げた。
「それと同時に、イマジェニスタの存在もまた、
リアラルに暮らす人間に生きる希望を与えている」
束の間、緊張が走り、場に重々しく流れる空気。
「今までに夢見人の数が極端に減ったことはあるんですか?」
沈黙を破ってジルが質問した。
「戦争、災害、飢饉、疫病。
リアラルで不幸が起こると、夢見人の数は必ずといって良いほど減るんじゃ、コワッパ。人間とは儚いもんじゃな」
「しかし…ジルよ。希望というものは不思議なものだ。けして完全には閉ざされぬ」
「"プレアー"ですね?」
目を輝かせて叫ぶジル。
小馬鹿にした目つきでジルを一瞥してから、狐火が口を挟む。
「確かにプレアーの紡ぎ出す念は強力じゃよ。イマジェニスタに存在する湖や渓谷、聖霊や小人、魔法の半分はプレアーが生んだものと言ってよかろうて。
むろん、おまえのような異形もじゃな」
ジルは白眼を剥いて聞こえないふりをしている。
「しかし、希望の綱であるプレアーは圧倒的に数が少ない。
夢見人の中でも特に強い紡ぎ出す力を持つプレアーはほんのわずかしか生まれぬのだ」
ゴーデルが寂しげに首を振った。
「存じております。しかし、プレアーを守るためにライファーンがいるのじゃありませんか」
興奮して大きな声を出すジル。
「ワシとて、そこが納得いかんのじゃ」
狐火が力なく答える。
「一昨日は湿原のガブー族が村ごと消滅、昨日はハバンダズ湖の半分が干上がった。
そして狐火よ、あろうことか今日はシトレウスの森までが」
「殿下。最近、リアラルでは神隠しが頻繁しておりまするぞ。
消えたのはすべて幼いものたち。
これをどうお考えで?」
「子どもは想像力に溢れている。
リアラルにいる夢見人のほとんどが幼子と言っていいであろう」
それを聞いたジルが、驚いた拍子に思い切り真後ろにひっくり返った。
「小さな力でも数が集まれば痛手。イマジェニスタでの被害の数々はリアラルでの神隠しが影響しておるのでしょうぞ。
…しかし妙ですな」
やっとのことで自力で起き上がったジルが、いぶかしげに狐火を見つめる。
「失われたのは善なる夢見人ばかりじゃ」
と狐火。
ゴーデルが厳しい目をして重々しく頷く。
「黒き予言!」
やっと起き上がったばかりだというのに、ジルが恐怖の雄叫びを上げながら…今度は前のめりにつんのめった。
「今の段階で決めつけるのは早急というもの。
しかし詳しく調べてみる必要があるであろう。
黒き予言が実際に動き出すとしたら…それは年明けの魔導大会だと自分は考えておる。
門が開き狭間に人が集まる、まさにそのとき」
「なるほど。リアラルでもイマジェニスタでもないここなら、自由に魔法を行使できる。あり得ない話ではないのう…」
狐火が唸った。
「当日は厳重に結界を張り、賢者衆が総出で警備に当たり万全の体制で望む。
だがしかし、祭の騒ぎに乗じて"黒き預言"が動き出すには…もってこいの環境」
テニスの試合観戦をするギャラリーのように、ジルの視線がゴーデルと狐火の間を行ったり来たりしている。
「殿下。良い考えがございます」
「申してみよ」
狐火がゴーデルに深く頭を垂れて言った。
「ワシはプレアーを一人、見知っているのでございます」
応援ありがとうございます!
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