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5 ヴィオレットとソフィア
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私がベルグラン家の屋敷に迎え入れられ、そして髪色と瞳の色を魔法で変えられてから既に1週間が経過した。
私とは違いただ単に使用人として雇われた友達には、私の容姿の変化について散々問い詰められた。しかし、私がヴィオレットの影武者になるということは私と彼女、それから彼女の一部侍従以外には知らされていない内密の話なので、私は苦笑いをして誤魔化す他なかった。
「ふわぁ……」
今の作業は衣装室の整理。昨夜は遅くまでヴィオレットの出した“宿題”として礼法の勉強をしていたため、人目がないとつい欠伸が出てしまう。平民の出である私が貴族の影武者となるには、ある程度の教養を学ばなければならない。いずれは舞踏会なんかにも出席させるつもりなのだろうか。私にはなんの得もないのに、とぶつくさ呟きながら机に向かったものだ。
衣装室にはよそ行き用の一等豪華な衣服やアクセサリー類がしまわれている。ゆくゆくは私もこんなずるずるとした服を着させられるのだろうか。一人憂いながら整理を続けていると、ふと一着のドレスが目についた。
上品なワインレッドのドレスだ。袖が大きく広がったエレガントなシルエットが素敵だが、よく見るとその袖が破けてしまっている。明るい色の布地ではないので遠目から見てわかるほどではないが、それでも修繕に回しておかなければならないだろう。
皴にならないように気を付けながら他にも修繕が必要な箇所がないかを探していると、背後から声がかかった。
「ああ、そのドレス……」
「ソフィア様……!」
はっと振り返ると衣装室の入り口に立っている影が目に入り、慌てて頭を下げる。
ソフィア・ミリエル・ベルグラン。青みがかる腰までの銀髪、海底のような深い青い瞳。勝ち気そうなヴィオレットの雰囲気とは違い柔らかな雰囲気をまとう、ベルグラン家の次女……つまりはヴィオレットの妹だ。
彼女の視線は私の手元のドレスに注がれている。今からこのドレスを着ようと思っているのだろうか。おずおずと口を開いた。
「ご入用でしょうか?袖の部分がほつれていたので、このドレスは修繕に回しておきます」
「ううん、違うのよ。そのドレスはそういうデザインなの」
「へ?」
おかしそうにくすくすと笑いながら指摘され、思わず私は目をまん丸くして素っ頓狂な声を上げてしまう。それから、手元のドレスをじっと見つめ、裂けた袖口をもう一度確認する。
「貴方、最近来た子でしょう?間違いを咎めたりはしないから安心して。そのドレス、よく使用人に修繕に回されかけるの。お姉様のものだから、変にいじると……ね?」
「ヴィオレット様の……!?お、教えていただきありがとうございます!」
ネチネチと使用人をいびるヴィオレットの姿が脳裏をよぎり、心からソフィアに礼を告げる。危なかった。
ほっと胸を撫で下ろす私を他所に、にこにこと優しく笑いながらじっとこちらへと歩み寄ってくる。
「ふふ、いいの。それより、お姉様のお気に入りの使用人っていうのは貴方よね?ねえ、今度私とも……」
「アンリエッタっ!!」
ソフィアの柔らかな声とは違う鋭い声が間を引き裂く。反射的に私の体が硬直し、つかつかとせっかちに距離を詰めてくるヴィオレットに私もソフィアも狼狽えてしまう。ぐっと私の襟首を掴み頭を上げさせると、わざとらしい柔らかな笑みを見せつけてくる。
「頼みたい仕事があるの。ほら、来なさい。」
「あ、ヴィオレット様……」
「お姉様、あの……」
私の声も妹の声も聞かず、ずるずると引っ張っていく。申し訳なさにちらりとソフィアの方へと視線を向けると、緩やかな笑みを口元に湛えて、ワインレッドのドレスを片付け直す彼女の姿が見えた。ああ、後で謝らなければ。
ヴィオレットは何も言わずに彼女の自室へと私を押し込み、自分も中へと入ると後ろ手に戸を閉めて私を睨み付けた。ソフィアの柔和な雰囲気とは少しも似ていない鋭い目付きに思わず体が強張り、無意識に唇を噛んでいたことに気付いた。
「……あまりソフィアと関わらないで」
「え……」
「あの子、性悪よ」
何を言うのかと思えば、まるで幼児のような言い草だ。努めて困惑や呆れが顔に出てしまわないように表情を固めていると、ヴィオレットが小さく喉を鳴らして笑う。
「貴方だから言うのよ、私の大事な使用人だもの。ソフィアに食われたんじゃ堪ったものじゃないわ」
細く長く息を吐いて数拍の間を開けてから、なるべく毅然とした態度で向き直った。
「……私はヴィオレット様の部屋付きでも侍従でもなく、ベルグラン家の使用人ですので、証拠も裏付けもなしに呑むわけには……。申し訳ありません」
ふん、と鼻を鳴らしたヴィオレットの表情は、意地が悪く高慢な令嬢のそれというよりも駄々を捏ねる子供のようで、どこか幼げにも思えた。気まずい沈黙が流れて少しの後、ふらりと彼女が室内へと進み私へと背を向ける。
「忠告はしたから。わかったら自分の仕事に戻りなさい」
「……失礼いたします」
私はこちらを向かないヴィオレットに一礼してから部屋を去り、再び衣装室へと戻る。既にソフィアの姿はなく、得も言えぬ複雑な心境のままに整理を続けるのだった。
私とは違いただ単に使用人として雇われた友達には、私の容姿の変化について散々問い詰められた。しかし、私がヴィオレットの影武者になるということは私と彼女、それから彼女の一部侍従以外には知らされていない内密の話なので、私は苦笑いをして誤魔化す他なかった。
「ふわぁ……」
今の作業は衣装室の整理。昨夜は遅くまでヴィオレットの出した“宿題”として礼法の勉強をしていたため、人目がないとつい欠伸が出てしまう。平民の出である私が貴族の影武者となるには、ある程度の教養を学ばなければならない。いずれは舞踏会なんかにも出席させるつもりなのだろうか。私にはなんの得もないのに、とぶつくさ呟きながら机に向かったものだ。
衣装室にはよそ行き用の一等豪華な衣服やアクセサリー類がしまわれている。ゆくゆくは私もこんなずるずるとした服を着させられるのだろうか。一人憂いながら整理を続けていると、ふと一着のドレスが目についた。
上品なワインレッドのドレスだ。袖が大きく広がったエレガントなシルエットが素敵だが、よく見るとその袖が破けてしまっている。明るい色の布地ではないので遠目から見てわかるほどではないが、それでも修繕に回しておかなければならないだろう。
皴にならないように気を付けながら他にも修繕が必要な箇所がないかを探していると、背後から声がかかった。
「ああ、そのドレス……」
「ソフィア様……!」
はっと振り返ると衣装室の入り口に立っている影が目に入り、慌てて頭を下げる。
ソフィア・ミリエル・ベルグラン。青みがかる腰までの銀髪、海底のような深い青い瞳。勝ち気そうなヴィオレットの雰囲気とは違い柔らかな雰囲気をまとう、ベルグラン家の次女……つまりはヴィオレットの妹だ。
彼女の視線は私の手元のドレスに注がれている。今からこのドレスを着ようと思っているのだろうか。おずおずと口を開いた。
「ご入用でしょうか?袖の部分がほつれていたので、このドレスは修繕に回しておきます」
「ううん、違うのよ。そのドレスはそういうデザインなの」
「へ?」
おかしそうにくすくすと笑いながら指摘され、思わず私は目をまん丸くして素っ頓狂な声を上げてしまう。それから、手元のドレスをじっと見つめ、裂けた袖口をもう一度確認する。
「貴方、最近来た子でしょう?間違いを咎めたりはしないから安心して。そのドレス、よく使用人に修繕に回されかけるの。お姉様のものだから、変にいじると……ね?」
「ヴィオレット様の……!?お、教えていただきありがとうございます!」
ネチネチと使用人をいびるヴィオレットの姿が脳裏をよぎり、心からソフィアに礼を告げる。危なかった。
ほっと胸を撫で下ろす私を他所に、にこにこと優しく笑いながらじっとこちらへと歩み寄ってくる。
「ふふ、いいの。それより、お姉様のお気に入りの使用人っていうのは貴方よね?ねえ、今度私とも……」
「アンリエッタっ!!」
ソフィアの柔らかな声とは違う鋭い声が間を引き裂く。反射的に私の体が硬直し、つかつかとせっかちに距離を詰めてくるヴィオレットに私もソフィアも狼狽えてしまう。ぐっと私の襟首を掴み頭を上げさせると、わざとらしい柔らかな笑みを見せつけてくる。
「頼みたい仕事があるの。ほら、来なさい。」
「あ、ヴィオレット様……」
「お姉様、あの……」
私の声も妹の声も聞かず、ずるずると引っ張っていく。申し訳なさにちらりとソフィアの方へと視線を向けると、緩やかな笑みを口元に湛えて、ワインレッドのドレスを片付け直す彼女の姿が見えた。ああ、後で謝らなければ。
ヴィオレットは何も言わずに彼女の自室へと私を押し込み、自分も中へと入ると後ろ手に戸を閉めて私を睨み付けた。ソフィアの柔和な雰囲気とは少しも似ていない鋭い目付きに思わず体が強張り、無意識に唇を噛んでいたことに気付いた。
「……あまりソフィアと関わらないで」
「え……」
「あの子、性悪よ」
何を言うのかと思えば、まるで幼児のような言い草だ。努めて困惑や呆れが顔に出てしまわないように表情を固めていると、ヴィオレットが小さく喉を鳴らして笑う。
「貴方だから言うのよ、私の大事な使用人だもの。ソフィアに食われたんじゃ堪ったものじゃないわ」
細く長く息を吐いて数拍の間を開けてから、なるべく毅然とした態度で向き直った。
「……私はヴィオレット様の部屋付きでも侍従でもなく、ベルグラン家の使用人ですので、証拠も裏付けもなしに呑むわけには……。申し訳ありません」
ふん、と鼻を鳴らしたヴィオレットの表情は、意地が悪く高慢な令嬢のそれというよりも駄々を捏ねる子供のようで、どこか幼げにも思えた。気まずい沈黙が流れて少しの後、ふらりと彼女が室内へと進み私へと背を向ける。
「忠告はしたから。わかったら自分の仕事に戻りなさい」
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