転生したら悪役令嬢……の影武者になったんですが、もしかして私詰んでますか?

かやかや

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6 はじめてのかげむしゃ

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シレネー公国。芸術が非常に盛んであり、休日には街の至る所で絵画を売っていたり、路上で小さな楽団が演奏をしていたりと活気のある華やかな国だが、この年齢まで他国の片隅に住む平民だった私には縁もゆかりもない。……はずだったのに、私は今、公都パルナソスにある、近隣の国を含めて最も有名とも言える劇場、タミューラ劇場へと向かっていた。まるでコロッセオのような円形のドームは汚れのない真っ白な壁面で、遠目から見てもかなりの存在感を放っている。

劇場へと向かう馬車は、私がベルグランの屋敷に迎え入れられるときに乗っていた荷馬車のようなものではなく、あの施設へとヴィオレットが来る際に使っていた立派な黒の馬車だ。ただの荷馬車とはそもそも作りが違うらしく、揺れが少なく快適な乗り心地だった。

「アンリ、聞いているのか」
「エリソンドさん……」

ぼんやりと外を眺めていた私に鋭い声が向く。ジョゼ・エリソンド。ヴィオレットの護衛の一人だ。ダークブラウンの髪をオールバックにしており、目鼻立ちがはっきりとした顔立ちで年上のような印象を受けるが、その実私と2、3歳しか離れていないらしい。彼は眉間に皴を作りながら浅い溜息を吐いた。

「“さん”じゃない、”エリソンド”と呼べ。ヴィオレット様は護衛に敬称を付けて呼ばないだろう」
「そ、そうでした……。じゃあ、エリソンド」

向かいに座る彼から一度視線を外し、私の体を包む絢爛なドレスへと目を向ける。慣れない衣服や装飾品の重さと、初めてのことへの緊張とで頭がくらくらしてくる。
私は今日、影武者としての初めての仕事を仰せつかっている。
事の始まりは先週だった。



「あのう、ヴィオレット様……」

先日の通り仕事中に呼び出された私は、彼女の部屋で湯気の立つ紅茶を間に挟んで向き合った。何についての話だろう。今日の宿題のことだろうか。それともまた別の、立派な影武者になるための訓練についての話だろうか。ヴィオレットはこくりと一口紅茶を飲んでから、こちらをしげしげと眺めてくる。その視線は私の髪に、顔に、体にと移ろっていた。

「今度、社交会があるの」

沈黙を破って薄い唇が動く。まさかそれに出席しろと言うつもりじゃ、と思い顔色を変えると、私の考えを読んだのかヴィオレットはゆっくりとかぶりを振って先行した。

「まさか。そんな無謀なことは言わないわよ。貴方なんて出したら私の評判が落ちるだけじゃないの」
「……賢明なご判断だと思います」

ただ否定するだけで済むのに、この人はいつも一言多い。不服そうに肩と声のトーンを落として同意する。もう一度ティーカップに口を付けてから、ヴィオレットは歯切れ悪く続けた。

「……社交会と同じ日に、……シレネーで歌劇があって」
「歌劇……ですか?」
「ええ。同じ時間というわけではないのだけれど、間に合うかどうか……」

口をもごつかせるヴィオレットの姿はいつもより小さく見えるが、それはそれとして話が見えない。私の頭の上に疑問符が浮かんでいたのか、それを見てなんとも言えない微妙な表情をしてから一つ溜息を吐いた。遠回しで気弱な、彼女らしくない言い方を避けて言い換える。

「……私の代わりに、歌劇を観に行ってほしいの。毎回欠かさず行ってるのよ、私」

思わず私は目を丸くした。何を言っているのか、その意図が汲み取れず更に周囲へと疑問符を漂わせ、なんと聞くべきかと暫し逡巡してから口を開く。

「私が……ですか?私が代わりに社交会に出て、ヴィオレット様が観劇に行くというならば理解できますが、……」
「全然わかってないっ!」

私の言葉を遮りヴィオレットはガタッと立ち上がり身を乗り出してきた。いつもの彼女とは思えぬ剣幕で捲し立て始める。

「わかってないわね、全然駄目よ、それは素人の考え。勿論歌劇自体も観たいけど、これはもうただの娯楽じゃないの!毎回観に行っているファンなんて私以外にも多くいる。そして、熱烈なファン同士は既に顔を覚えている!私が一度行かないだけで他のファンに侮られるのよ、わかる?私だって小さな社交会なんかよりもエミール様を優先したい!あの麗しいお顔もお声も、私がどれだけ前からあの方の魅力に骨抜きにされているとお思い?まだ彼が注目を浴びていない頃から私はずっとエミール様を、それなのに新参に侮られるなんて耐え難いわ!そもそも新参は何も……」
「わ、わかりました。わかりましたから……」

慌てて宥める。ああ、アネキスの世界にも推し事はあるんだ……。切なげなヴィオレットの表情に、少しだけ親近感が湧いたのだった。



「アンリエッタ。今日の君の役目は確かに影武者だが、そう気を張ることはない。ただ済ました顔で歌劇を観るだけでいいんだ」

エリソンドはこちらを真っ直ぐに見据え、芯のある声でそう告げる。先週のことを想起していた私はその声にはっと意識を現在に戻し、こくこくと何度も頷く。きっと彼にはこちらの緊張も筒抜けなのだろう。もしくは、彼も緊張しているのだ。主人が選んだとは言え、孤児の使用人を影武者にするなど心許ないに決まっている。誠実で真面目な彼の性格を考えると、何となくその負担が伝わってくる。

「ええ。……わかっています。大丈夫」
「……。外見は何も心配することはない。立ち居振る舞いもすぐに見抜かれる程じゃないさ。ちゃんと綺麗なよそ行きの令嬢に見える」
「……ありがとう、エリソンド」

激励に応え小さく口角を上げ笑みを作ってみせる。彼はぴくりと眉を動かし、何かを言おうかと考えている様子で口をもごつかせた後、一つ咳払いをして口を噤んだ。
馬車の揺れが止まり、窓を見ればすぐ近くに劇場が迫っている。

「ヴィオレット様、お手をどうぞ」
「ええ」

先に降りたエリソンドの手を取り、続いて私も馬車を降りる。口から出かけた礼の言葉を呑み込み、当然だというツンとした澄まし顔を作ると、私たちは劇場へと向かうのだった。



劇場へと入った私たちは、貴族用の座席へと足を進める。平民用の座席とは違い、貴族にはそれぞれのスペースが設けられており、半ば天幕のような雰囲気だ。用意された柔らかな椅子へと腰掛け、エリソンドがサイドテーブルに飲み物などを用意していくのを横目で眺める。その中の薄い冊子を手に取りパラパラとページをめくると、今回の歌劇の情報が載っていた。

舞台の名前は『アミールズにて嗤え』。貴族同士の悲恋を描いたトラジェディーだ。
この世界の演劇は、演者は全員目を覆い隠すような仮面を付けている。美しい容姿の役を務める演者は美しい仮面を、醜かったり悪者の役を務める演者は醜い仮面を。表情が見えない分、歌で表現を補うことが大半であり、演劇といえば歌劇という認識になっている。
冊子に最も大きく載った役者の写真……エミール・ルカヴァリエ。ヴィオレットご執心の彼は、ネイビーに細い金の装飾で飾られた上品な仮面を着けている。美しい金の髪、筋の通った高い鼻、形のいい薄い唇。仮面を外したとしても相当の美形なのだろう。

「何か必要な物があればお言い付けください。迅速にご用意いたします」

準備を終えたエリソンドが恭しく頭を下げ、私の後方へと下がっていく。額面通りの意味は勿論、あまり顔を下げたままでいるなという注意も含まれているような気がして、冊子を卓上へと置いて舞台の方へと向き直る。
それから少しして、劇場内の明かりが落とされ薄暗闇が広がった。
司会の声が流れ、演目と主演の名前を読み上げ、スポットライトの当てられた舞台に主演……エミールが現れ、歌劇が幕を開けた。
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