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86.ゆったりとした空の旅
しおりを挟む兄の懐古主義な飛行船に乗ったのが早朝。
約半日という旅程で、シルヴァー家が納める浮島へと到着するという。
ということは、到着はだいたい夕方頃だろうか。
まあ、特に急ぐ理由もないので、その辺はお任せである。無理のない速度で飛んでくれればそれでいい。
つい昨日の午前中まで続いていた、驚愕の三十七本撮りの影響だろうか。
朝も早くに飛行船に乗り込んですぐ、私は部屋にこもって間を空けた二度寝に入った。
身体はともかくとして、どうやら自分が自覚する以上に精神的に参っていたらしい。とにかくまだ休みたかったのだ。
時間に追われない休息の、なんと心地よいことか。
かけがえのない時間を噛み締めながらベッドでまどろみ、昼頃にようやく起き上がる。
――うむ、かなりすっきりした。
シルヴァー領でどんな過ごし方をするのかわからないので、今の内に休んでおいた方がいいと思う。
また仕事仕事で大変なことになるかもしれないし。
……それにしても本当に疲れたな。地獄のような帰省だった。
何せ三十七本撮りだ。
二週間で三十七本である。
なんの冗談だと思わずにはいられない。そんなのこなせるわけがないだろうが。……こなしたけど。
普通の子供だったら絶対に潰れているぞ。恐ろしい大人たちがいるものだ。特にベンデリオだ。あいつは許さない。
まだまだ募るくどい顔への恨みつらみに心を染めつつ部屋を出ると、甲板で木刀を振るい侍女と打ち合っている兄ニールの姿があった。
というか、リノキスもいた。見学しているようだ。
「――あ、お嬢様。ゆっくりできましたか?」
昼寝をするのでリノキスには外してもらっていたのだ。
「それなりに休めたわ。それより――なかなかいいわね」
私の視線は、吸い寄せられるように兄の方に向く。兄専属侍女リネットとかなり激しくやりあっている。
兄は、まだ八歳だよな。
八歳までここまで動けるのか。
これはなかなかの逸材だ。このままの調子で伸びてゆけば、もしかしたら私を越えるかもしれない。……いや、無理か。リストン家を継ぐ兄がいつまでも剣術にかまけていられるわけがない。
私を越えるなら、少なくとも三十年は鍛えないと。
武の極みに近道はない。
「この前の武闘大会に触発されたようです。お嬢様が撮影に出ている間も、よく訓練をしていたらしいですよ」
ああ、帰省中か。
兄は二、三回は仕事に付いてきたが、無理やり撮影に参加させる方向に持っていったら、ついて来なくなったんだよな。
――勉強になったな、兄よ。行ったら終わりなのだ。
彼の場合は、いずれ必ず、女を送る送らない、部屋に行く行かないで、大変な事件が起こることだろう。あの経験は決して無駄にならないはずだ。
行ったら終わりというケースもあるのだ。忘れるなよ、兄よ。
「そういえばお嬢様。お手紙を預かっていますよ」
「え? 手紙?」
なんだ。なんの手紙だ。
「送り主はシルヴァー家からですが、封はご主人様が切ってあります。
というのも、シルヴァー家からリストン家に、お嬢様の撮影の具申をする手紙が届いたそうです。
そのリストをご主人様がチェックした上で、お嬢様の意見を伺う形となるそうです」
そう言いながらリノキスが差し出した手紙は、確かにもう開封されてあった。その場で受け取り中を見ると、確かに番組のリストがあった。
要するに、シルヴァー領の放送局から仕事の話が来て、父親がそれをチェックしたと。簡単に言えばそれだけのことである。
「ご主人様は、お嬢様の昨日までの忙しさを理解していただけに、さすがにこれまで渡すのは控えていたそうです」
賢明な判断である。
三十七本撮りの最中に、更に仕事の話を持ち込まれていたら、たぶん暴れていた。そしてベンデリオは確実に殴り飛ばしていた。
リストに横線を引いてあるのが、父親が却下した番組ということだろう。私は消されていない残りの候補から選んでいいのかな。これがシルヴァー領でやる仕事になるわけか……ん?
「ねえリノキス、犬はそんなに人気があるの?」
興味があるものやないものの企画名称が並ぶ中、異質というか、気になるというか、とにかく引っかかるものがあった。
そう、犬である。
犬と追いかけっこする企画である。
昨日のバーベキューでも企画部のお偉いさんが言っていたが、そんなにあの犬企画は受けがいいのか。
私からすれば、勝って当然の結果が見えている勝負でしかないのだが。いかにも「ギリギリで勝ちました」的な調整をするので、意外と気も遣うし。
敗北を突きつける犬はともかく、飼い主に恥を掻かせるのはよくない。
何せ向こうが「うちの犬速いよ」と頼りを寄越して来た上での企画だ。簡単に勝ってしまったら立場がない。なんなら私が負けてもいいくらいだし。それで角が立たないなら。
まあそれでも、頭より身体を使う分だけ気楽ではあるが。
その犬企画が、シルヴァー家から来たリストにも乗っている。しかも二つも乗っている。名称こそ違うものの内容は同じだろう。
「どうでしょうね。リストン領での評判はいいみたいですけど、シルヴァー領でどうかまではさすがに」
まあ、それはそうか。
リノキスの行動範囲は私の行動範囲とほぼ一緒だしな。知りうることも似たり寄ったりだろう。
「――あれは面白いな」
と、いつの間に訓練を終えて額に汗し肩で息をしている兄が、こちらにやってくる。
「ニアより大きな犬なのにニアの方が速い、というのは不思議と面白い構図に見える。なあ、リネット?」
へとへとな兄とは違い、涼しげな顔のままのリネットは「そうですね」と同意する。
「ニアお嬢様が勝てば勝つほど、企画の人気は上がっていくのではないでしょうか。
先日の武闘大会でも兆候は見られましたが、挑戦や対戦という趣旨の番組は、元から人気があるのかもしれません」
――なるほど。
挑戦もの、対戦ものは人気があるかも、か。
リネットの意見は今後に生きるかもしれない。ヒルデトーラに会ったら伝えてみよう。
昼食を取ったり、軽く修行をしたり。
のんびり兄と話したり、リストン家の財政状況について相談したり。
ここ最近にはなかったゆったりとした時間が、変わりゆく景色と共に過ぎてゆく。
はるか遠くに赤く染まる一面の海と、豆粒のようにしか見えないかなたの浮島と。
猛スピードで空を走る飛行船の手すりから遠くを眺めていると、遠くに巨獣・富嶽エイが優雅に空を遊泳する姿が見えた。
長い尾の先でさえ、今私たちが乗っている小型の飛行船に当たればただでは済まないほどの大きさである。
まさに泳ぐ浮島とでも表すべき巨獣である。……前世の私が知っているのと同じ個体だろうか。近くで見たらわかるかな。
そんな空の旅は、シルヴァー領に到着して終わりを告げた。
夜になる直前に到着したシルヴァー領では、領主の使いというシルヴァー領の紋章が入った飛行船に案内され、領主が管理する港へと先導されるのだった。
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