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205.どうせそんなことだと思われていた智謀
しおりを挟む「……なんなんだこれは!? どうなっている!? おい君、あの子は何をどうしたんだ!?」
ニア・リストンが縄を打たれ、連れて行かれる。
殺人容疑の捕縛でさえ動かない人数と機兵まで持ち出して、大掛かりな包囲網が張られる中、拍子抜けするほどあっさり逮捕されて連れて行かれる。
満足のいく説明を受けていないソーベル・レンズは狼狽え、なぜか落ち着いてその状況を見送るリノキスに問いかける。
「落ち着いてください。想定内というだけです。――それよりあなたは、お嬢様からの頼まれ事をこなしていただけませんか?」
「想定内!? 頼まれ事!? 今そんなことを言っている場合かね!? 君の主が逮捕されたんだぞ!?」
滑稽なほど感情を剥き出しに怒り、焦り、叱咤する。
そんな中年男性を見て、リノキスは心底「マーベリアにはまともな憲兵もいるんだな」としみじみ思った。
「わかりました。後ほど事情を説明しますので、今は荷の処理をお願いします」
「……ちゃんと話してくれるんだな?」
「ええ」
ソーベルに事情を話す。
これもまた、想定内のことである。
ソーベルには、出稼ぎの戦果の換金を頼んだ。
外国人ということで絶対に報酬が軽くなると踏んで、マーベリア人でかつ憲兵であるソーベルに託したのだ。
まあ、冒険家組合に事情を話して後は任せるだけ、という簡単なお仕事だが。
「――処理してきた。説明をしてくれ」
見張りとして付いているだけに別行動は取れない。リノキスも冒険家組合までは一緒に来た。
ソーベルの報告を聞き、なんだか組合内がばたばたし出したところで、二人は表に出る。
そこで、早速ソーベルは説明を求めた。
「子供たちの元に行きます。歩きながら話しましょう」
もう夜だ。
日中ほど雑音は多くないので、歩きながらでも充分話せるだろう。
「実は――」
そしてリノキスは、マーベリア王都が間近に迫った頃にニア・リストンと交わした会話を語り出す。
「――ねえリノキス。私はきっと、王都に戻ったら逮捕されるわ」
すっかり夕陽の欠片もなくなった暗い空の下、マーベリアの明かりが近づいてきた時、荷台に並んで座るニア・リストンはいきなりそんなことを言い出した。
「はい? 逮捕……?」
「ええ。憲兵に捕まると思う」
「……なぜ?」
「殺人と恐喝じゃないかしら。ほら、今朝の十八億のことよ」
「あ、ああ……そうですか。捕まっちゃうんですか」
「うん」
「……え? もしかしてピンチなんですか? このまま帰ると困ったことになるって話なんですか?」
「いいえ。逮捕されるから、そのまま黙って見送れって話」
「え? 嫌ですけど?」
「お嬢様に触れる者は皆殺しますけど?」といい笑顔で拳を固めるリノキスを、「まあ聞きなさい」とニア・リストンは話を進める。
「実は、ここからの流れなんだけど――」
そこでニア・リストンは、らしからぬ話をした。
「ソーベル様は、虫の存在を知っていましたか?」
「……ああ。新人じゃなければ憲兵は皆知っているよ。市民を虫の存在や情報から遠ざけるのも、我々の仕事の内なんだ」
「では、ある程度事情はわかっているのですね?」
「ある程度はね」
「なら話は早いです」
ニア・リストンは、こう言ったのだ。
「マーベリアの敵は虫ですが、虫の敵はマーベリアだけではない。お嬢様はそう言いました」
「……?」
意味がわからなかったのか、ソーベルは首を傾げた。――聞いた時はリノキスも似たような反応をした。
「ソーベル様も見ましたよね? 大量の蟻が全滅したあの光景を」
「あ、ああ。盗賊たちを連れて行く時に少しだけ。何があったかは知らんが……」
あれは、思い出すだけで震えが来るような光景だった。
バカでかい虫というのも怖気が走るが、それの死骸が一面に広がる光景は、生理的に直視するに堪えないものがあった。
話では聞いていたが、実際見ると印象は大違いだった。
そして、「あれは市民に知られてはならない、知られたら大混乱に陥る」と、マーベリアが秘密にしている理由にも思い至った。
他国への情報漏洩も怖いが、市民に与える影響も決して小さくはないと思った。
「虫の棲息区域は、大きく分けて四つ。砦から見て一番目……第一ブロックは蟻、第二ブロックが蛾、第三ブロックは混合で、第四ブロック以降はわからない。
おかしいと思いませんか? なぜ第一ブロックと第二ブロックは、そんな風にきっちり生息区域が分かれているのか。第三ブロックは色々混ざっているようなのに」
言われてみれば……と思ったところで、ソーベルははっとする。
「まさか、虫同士でも争ってた……?」
「そうです」
恐らく、第四ブロックから先には、蟻や蛾やその他の虫を追い出した何かがいる。
次に、第三ブロックの虫たちが、蟻と蛾だけを追い出す。
今度は蛾が蟻を追い出す。
そして、追い出された蟻が、砦の人間を、機兵を追い出そうとする。
――つまり奥から、それぞれの虫の天敵が存在するのではないか。だから虫の生息区域はこういう風にきっちり分かれているのではないか。
ニア・リストンは、そういう話をしたのだ。
「……ちょっと待て。その話が当たっているとすれば……」
第二ブロックの蛾は、第三ブロックにいる天敵を避けるために集まった。
そして蛾は、第一ブロックの蟻を追い出した。
だが勘違いしてはいけないのは、きっとそこまで差はないということだ。
蟻も蛾の脅威だし、蛾も第三ブロックとせめぎ合って縄張りを守ってきた。
マーベリア王国の敵は虫。
しかし虫の敵は、マーベリア王国以外に、ほかの虫も含まれる。
要するに、虫同士でも対立があったということだ。
三すくみだか四すくみだか知らないが、虫たちは虫たちで睨み合い、睨み合っているからこそ、棲息区域がきっちり分かれていた。
「今、蟻は激減している……それはつまり、蛾を睨んでいた存在がいなくなった……?」
だからこそ、問題がある。
「――機兵は宙を舞う蛾に苦戦するそうですね。おまけにマーベリアは飛行船技術が低いから、空中戦は得意ではない」
では。
では、まさか。
「蛾が、蟻の生息域を素通りし……マーベリア全土に広がる……?」
「そこまではわかりません。ただ、お嬢様はありうるかも、と」
「大変じゃないか!」
急に大声を上げたので、その辺を歩いていた者たちが何事かと振り返る。
しかしリノキスは平然としたものだった。
「大変ですよ。あなたや機士、王族ががんばって隠してきた虫の存在が、市民に知られる。
知られるだけならまだいい。
蛾がいなくなることで、第三ブロック、第四ブロックの虫まで流出してくるかもしれない。
数百年も決着が着かない機兵と虫の戦いは、もしかしたら、決着をつかないことで均衡を保っていたのかもしれません」
「ど……どうする? どうすればいい?」
あの巨大な蟻のような存在が、この王都になだれ込んでくるかもしれない。それはまさに地獄絵図だ。
ただの憲兵には想像も及ばないほどの大惨事が起ころうとしている――実感はないが、脅威と恐怖だけはしかと感じることができた。
「答えは出ているはずですよ」
動揺を隠せないソーベルに、リノキスはやはり平然と言った。
「いるじゃないですか。機兵なしで確実に虫を殺せる者が。それも瞬殺できる可愛い者が」
「……あ」
「――今逮捕されていますけどね」
まずい。
虫が来ることもまずいが、それ以上にまずい状況にあることに、ソーベルは気づいた。
元々マーベリア王国に良い感情のないニア・リストンを、ついさっき追い打ちのように逮捕している現状。
主を逮捕されて、しかしそれでも平然としているリノキス。
――そう、二人はもうわかっているのだ。
もし蛾を始めとした虫たちが出てくるようなら、マーベリアは彼女らに泣きついて、虫を追い払うしかないということ。
もし彼女らが要請に応じなければ、この国も、このマーベリア大陸も、虫に支配されて終わる可能性があるということ。それも高い確率でだ。
この状況は、まずい。
まずすぎる。
国の命運を握っている者に――
「ちなみに言っておきますが、私はマーベリアが大嫌いですよ。どれだけ頭を下げられても、あなた方のために戦うなんて御免です」
――嫌われていること。
「……なかなかすごい状況ですね」
「私もそう思うわ」
縄張り争いをしていた虫たちの一角を落とすことで、虫の行動範囲を広げて敵に……マーベリアにぶつける。
策士もかくやという策である。
「お嬢様らしからぬ智謀と言わざるを得ないんですが……まさかお嬢様、そこまで考えて蟻だけを狩ったのですか?」
「いえ全然。今思い返せばそうなるかなって思っただけ。あと私らしからぬって言葉は生涯忘れないから」
「いや、だって」
「はいはいわかったわかったそうそう。どうせ前の経験でもあったからふっと思い浮かんだだけよ。私がこんなこと考えて動くわけないじゃない」
「安心しました。私はそんなお嬢様が大好きです」
「あっそう。――まあ、考えすぎかもしれないけどね」
予想通りにはならないかもしれないし、と軽く笑うニア・リストンに、リノキスは「いやこれはたぶんそうなる」と変な確信を得る。
何せ、少し筋が通っている気がするのだ。
蛾を押さえていた蟻がいなくなった。
なら蛾はどうする?
ストッパーがいなくなれば、広がるに決まっているじゃないか。
そして、もし蛾がいなくなれば、蛾が天敵だった虫も出てくるだろう。
「……大丈夫なんですか? マーベリア、本当に滅びませんか?」
「ないわね。私がいるから。国が滅んでも私に得はないし」
実に頼もしいセリフである。
「それに、イルグ副隊長がよっぽど無能じゃなければ、今夜から明日いっぱいで、必ず私たちの周辺で動きがあるはずよ」
「と、言いますと?」
「蛾の次の行動予測より、今は蟻の壊滅を目指すと思うの。大きく数を減らしているからね。だったらどうするか? とりあえず王国に報告し、可能な限り戦力を投入して、確実にやり切る。
――私なら、機兵なしで蟻を狩れる私やリノキスに協力を頼んだ上で、蟻の殲滅作戦を実行する。
今が勝負所よ。長年の戦の一つが終わろうとしているのだから、ここで張り切らないでどうするって話よ」
と、そこでニア・リストンは肩を揺らして笑った。
「でね。もしその時、私が逮捕されていたらどうなるかしら、って話」
もしその時、ニア・リストンが逮捕されていたら。
「無罪放免をエサに協力要請を出すのか、それともこれまでの諸々を詫びた上で頭を下げて頼むのか。報酬を用意するのか。それとも――」
楽しそうに諳んじた。
「まあ、あなたや子供を人質に取るようなら、虫の犠牲になって現国王とリビセィルはお亡くなりになるでしょうね。シィルレーン様ならもう少しまともな国にしてくれそうじゃない?」
――マーベリア王国にとって大きな決断が迫ろうとしていた。
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