緋の残像 伝説の殺人鬼が恋人の心の奥で蘇る

ちみあくた

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SHOW TIME 2

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 更に麓の方角へ走る。相変わらず左右はぶなの林に挟まれており、変化が無い分、どれほど距離を稼いだか感覚がつかめない。

 もう随分、走った気がするけど……

 携帯電話を取出し、まだ繋がらないのを確かめて肩を落とした絵美の前方、蛇行した道の先に光が動く。

 曲がり角の向う側から自動車が接近しているようだ。

 絵美は歓喜で飛び上り、へたった膝に力を込めるが、その真横、鬱蒼とした左側の林から素早く何かが飛び出してきた。

 赤いレインコートが閃く。

 叫びかけた絵美の口を手袋付きの片手が塞ぐ。

 後から追うのではなく、逃げる絵美に気付かれない程度の距離を離し、並走していたのだろう。いつでも捕まえられるのに敢えて弄っていたのだ。

 もがく間もなく、頭部に衝撃を感じた。何か重く固い物で強打され、意識が遠のく間に彼女は林の奥へ引きずり込まれた。

 霞んでいく視界を、通過するヘッドライトの光が横切る。

 虚空へ指を伸ばすのが精一杯の絵美と、林の奥へ彼女を引きずる襲撃者の事など、車のドライバーが気付く筈も無い。





 絵美が意識を取戻した時、正面に赤い服のサイコパスが座し、こちらの様子をじっと伺っていた。

 今度は、仮面の中の瞳が仄かに見える。

 上空の夕日はすっかり山の端へ落ちているのに、絵美の周囲は眩しい程の明るさだった。取り囲む木々の枝に高出力タイプのペンライトが多数固定されており、その全てがこちら側を向いて、細い光の筋を集中させている。

 まるで舞台のスポットライトのようだ。さぞ手間が掛かるだろうに、誰かが先回りして準備でもしておいたのだろうか?

 体を起こそうとし、絵美は頭部の痛みに呻いた。

 手を触れると、ドロリと嫌な感触がある。先程殴られた傷からまだ血が流れ続けており、体の下に黒い泥濘ができているのを感じた。
 
「……あなたは誰?」

 顔を上げた絵美が声を振り絞ると、答えの代りに掠れた笑い声がする。

「何故、あたしにこんな事するの? お金が欲しいなら、好きなだけあげる」

 襲撃者の右手が振り上げられ、ビニールコートの裾が下がって、握りしめた大きな金槌が見えた。先程、絵美の頭部を殴打した凶器も、これだったのだろう。

 仮面の中の目が細くなり、無言のまま立ち上がって、絵美の方へと一歩踏み出す。

「いやっ、来ないで!」

 逃げる暇など無かった。

 勢い良く振り下ろされた金槌は、今度は絵美の頭部ではなく右膝の上へ落ち、骨を砕く音が響く。鋭い衝撃が頭の芯に駆け上る。
 
 耐えられる限度を遥かに超えた痛みに対し、絵美は悲鳴すら上げられず、その場でのたうち回った。

 膝下の感覚が失われている。

 もう何処へも逃げられないと悟り、絶望の最中、本能的に絵美は樹木の間を這った。這って、ほんの少しでも痛みを与えた者から遠ざかろうとする。

 その背へ金槌が落ちた。

 更にもう一撃。今度は左の膝だ。

 外科医の処置を思わす精緻な一打で腰から下が麻痺、絵美は這う事もできなくなった。呻きながら涙と血、怒りと哀しみの滲む瞳を真っ赤なてるてる坊主の黒い眼孔へ向ける。

「どうして……あなたは何故、こんな酷い事……」

「理由など、問うべき命題では有りません」

 そいつはセダンの車中で命がけの鬼ごっこを絵美へ仕掛けて以来、初めて意味のある言葉を発した。

「私達は答を探しているのです」

「答え……何の?」

「我々は何処から来たのか?」

 近くで聞いても違和感のある声だ。

 その響きからして、硬質素材の仮面内部にボイスチェンジャーか何か仕込まれているらしいが、激痛と恐怖に戦く絵美の脳裏にはこの時、奇妙な違和感が広がっていた。

 誰かに見られている。

 ペンライトが放つ光条と同じだけ、いや、それより遥かに多くの眼差しが、己の肉体へ突き刺さる気がした。

「我々は何者か?」

 赤い襲撃者は虚空へ声を張り上げ、ぶなの林が反響する。その妙に勿体ぶった台詞回しと、大袈裟で芝居がかった身のこなしのせいだろうか。

 現実感が薄れていく。何処か、遠くから拍手と喝采が聞こえる。

「我々は何処へ行くのか?」

 痛みと恐怖すら曖昧にぼやけ、絵美自身も女優で、グロテスクな寸劇の生贄を演じている気がした。

「ねぇ、君、考えた事はありませんか?」

 赤い仮面が絵美へ肉薄する。同時に確信した。やはり、確かにギャラリーは存在しているのだろう。

 仮面左側の上部、もがく絵美とシンクロして動く突起があり、良く見るとそれは内臓したビデオカメラの一部で、仮面を装着する者の視線を追うよう出来ているらしい。

「極めて根源的でありながら、捉え難き混沌に満ち、命を賭すに値する命題。是非、協力して下さい」

 目の前の奴が犯行を心から楽しんでいる、と声音で判った。

 ああ、何もかもお芝居であれば良い。それなら幾らでも絵になる悲鳴をあげてやるのに。
 絵美は心の底から、そう願う。

 しかし、振り上げられる襲撃者の金槌は、今度も外科医の処置に似た正確さで、彼女の鼻腔の上へ振り下ろされ……
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