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追跡者 1
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また貧乏くじをひいたな、と笠松透は思った。
宮城県警に借りたセダンで東北自動車道に乗り、古川インターチェンジから国道47号線へ入る。奥羽山脈の険しい稜線が見えてきた辺りでバイパスへ抜け、蛇行する急勾配の坂道をアクセルふかして登っていく。
笠松がハンドルを握っていたのはおよそ二時間余りだが、その間、車内ではカツカツと小さな音が響き続けた。
音の出所は助手席。同乗する先輩刑事・富岡隆が、こよなく愛する電子禁煙パイプの吸い口を小刻みに噛む音だ。
きちんと折り目がついた濃いグレイのスーツを愛用する富岡は、背は中くらいで頬骨が目立つ痩せぎすの39才。警視庁捜査一課の個性溢れる刑事達の中でも一際異色な存在と言えるだろう。
交番の巡査勤務から一課の刑事になった叩き上げだが、若い頃、職務中に瀕死の重傷を負った後遺症の為、体質は頑健とは言い難く、あまり現場にも出ない。
重要参考人の取り調べに同席して調書をとったり、現場から上がってきた情報を捜査本部の資料用に整理する等のデスクワークがもっぱらだ。
ついた徒名は「ザ・裏方」、或いは「桜田門で最も体の弱い男」。
捜査一課・特殊捜査班第四係、通称・トクヨンに在籍して十年近いキャリアを持ちながら、目立った手柄が一つも無い。生き馬の目を抜く競争社会たる一課には不似合いで、普通なら他のセクションへ転属となる筈なのに不思議と重宝されている。
今年の春、若干26才にして一課へ抜擢された笠松が富岡と組む羽目になった時、他の先輩から「ご愁傷様」とやんわり肩を叩かれた。貧乏くじをひいたと、最初に感じたのはその時だ。
実際、富岡と共に裏方へ回る機会が増えたが、その意味で今回は意外な成り行きと言える。
日頃、引っ込み思案の富岡が10日前の8月28日、宮城県気仙沼市内の飲食街で起きた殺人事件の詳細を聞くなり、現地へ行きたいと捜査一課長・雨宮幸三へ強く申し入れたのだ。
しかも、何故か雨宮はすんなり富岡の派遣を決め、笠松の同行も決まった。
早速、二人して宮城まで足を運び、気仙沼署に設けられた捜査本部に参加。今日も昼まで聞き込みに回り、署へ戻った所で飛び込んできたのが、荒生岳中腹に於ける女性殺害事件の一報である。
聞くや否や、又も富岡は飛びついた。
東北の限られたエリアで連続して凶悪事件が発生するのは極めて稀であり、ろくすっぽ本部長の許可も得ぬまま、中央署を出て荒生岳へ車を走らせる。
運転に自信が無いとの一言で、笠松に覆面パトカーの運転を丸ごと全部押付けて、だ。
現場が近づくにつれて緊張感が増したのか、禁煙パイプを噛む富岡の歯音は一層せわしくなった。
「富岡さん、それってやり過ぎると体に悪いんじゃないスか?」
募る苛立ちを噛み殺し、ささやかな皮肉を舌の端にのせて、笠松は笑顔で言う。
「いやいや、こいつはな、火を使わず副流煙を発しない。おまけにノンカロリーという理想的な嗜好品だぞ」
「それにしても朝から晩まで……禁煙は世界のトレンドっスよ」
「だから、コレ、禁煙の結果なんだよ。昔、大きな怪我をした後、好きな煙草を禁じられてストレス溜めまくりの俺に、その頃の主治医が勧めてくれたんだ」
「兎に角、控えて下さいよ。狭い車内だと二倍増しで気になる。歯音とか、漏れてくる甘ったるい匂いとか、もう……」
「意外と神経質だね、笠松君」
自分の事はさておき、富岡は電子パイプのアトマイザーと呼ばれる吸口がついた部分をバッテリー部から外して、淡いブラウン色のリキッドを11ミリリットル入りの透明なボトルから丁寧に注入した。
吸口は小さな歯型で変形しており、年期の程が伺える。
「こいつは仕事にも役立つんだぞ」
笠松の指が愛しげに吸い口を撫で、アトマイザーを付け直して、パイプ本体中央のスイッチを押した。途端に漏れ出す霧を大きく吸い、満足げに吐く。
「ハーブの匂いでリラックスできるし、心理的効果は他にもある。笠松君、ジーグムント・フロイトの本とか、読んだ?」
「精神分析の元祖でしょ。犯罪心理学なら、俺だって少し齧りましたけど」
「人間の性的成熟に関する五つの発達過程、その初めが口唇期って奴でな、タバコをやめられない人は出生時から二才までの間に欲求が十分満たされず、それを補う要素を成長してから求める傾向が現れるんじゃないか、と俺は思うんよ」
「……はあ?」
「こいつはその欲求を100パーセント満たし、且つ、くたびれた頭の回転を増すスペシャルアイテムって訳でね」
富岡が頭の代りに舌の回転速を上げる間、笠松は白けた顔でフロントガラスの向う側、薄曇りの空を見やった。
こういう所も癇に障る。
富岡はプロファイリングを含む犯罪心理学全般に詳しく、容疑者の取調べ中、調書の筆記を止めて取調官へ何やら耳打ちを始めたかと思えば、その直後、入れ知恵された捜査官が自白を引き出したケースが幾つもあるという噂だ。
富岡自身、もっともらしく仄めかした事もあるのだが、笠松はそんな光景を一度たりとも目にしていない。
何かと細かい性分の割りに、呑気でだらしない一面を併せ持ち、矛盾だらけの昼行燈振りを日々見せつけられる一方で、使えない先輩という幻滅だけが募る。
なぁ、何のつもりか知らねぇが、俺に迷惑かけんなよ。
笠松は心の奥で呟き、左右に広がるブナの林に沿って蛇行している車道に合わせ、大きくハンドルを切った。
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