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夢で逢いましょう 1
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一晩の間、激しく降り続いた雨が止み、今日の仙台は晴れだ。
かつて大きな城があった緑豊かな学園都市を、盛り返した残暑の強い陽射しが照らし、並木を風が揺らしている。
大勢の若者が行き交うそこは宮城県仙台市内に四つ設けられている国立・陸奥大学のキャンパスの一つだった。
徹底した研究第一主義を標榜する陸奥大は、長い伝統を誇る農学部、医学部などの理系学部を中心に、法学部、文学部といった人文系も充実、日本中から学生を集めている。
特に多い関東出身者は蝦夷征伐の故事になぞらえ「征夷大将軍」なるふざけた徒名で一括りにされているが、知名度の割に受験のハードルはやや低目のイメージがある事も、広く若者を惹きつける所以であろう。
活気溢れる構内の中で、特にこの川浦キャンパスには図書館や大型植物園、多目的ホール等、地域密着型の文化施設が多く、基本的に往来も自由なので市民に親しまれている。
構内を南北に貫く散歩道・仲善並木など、付近の会社勤めと思しき背広姿や散歩する初老の夫婦の姿が平素から見受けられるのだが、この日は特に学外の人間が多いようだ。
それもその筈。キャンパス北東部にある川浦・尾木ホールにて本日9月8日、午後一時三十分から医学部・精神神経医学教室の准教授・来栖晶子による公開講座が行われる事になっていた。
来栖はまだ38才になったばかりで、陸奥大の講師陣の中でも若手だ。しかし海外への豊富な留学経験に加え、医療の現場で臨床に携わった場数も多い。
国内のドメスティック・バイオレンスに関わるPTSD症例を扱ったレポートや、コンサルテーション・リエゾン(予防精神医学の一分野)に対する独自の考察が米国精神医学会で紹介され、高い評価を受けている。
生理学、薬学に比べ、心理学方面での研究実績がやや見劣りする陸奥大が鳴り物入りで外部から招聘した期待の星と言って良い。
その上、170センチを超えるスラリとした長身でクールな物腰が似合う美貌の持ち主。コメンテーターとしてテレビのワイドショー、クイズ番組に出演した経験を持ち、シニカルなユーモアを交えた語り口で一般受けも良い。
この日の公開講座にせよ、優秀な学生を集める為の戦略的広報の一端だ。
受講者との質疑応答を盛り込む「熱血教室」と銘打ち、インターネットの事前登録さえ行えば入場資格の制限も無い。
会場となる尾木ホールは早々にフルハウス。
エントランス・ロビーなど老若男女、様々な人種でごった返し、中には少々個性的すぎる奴も混じっている。
例えば調子っ外れな口笛を吹き、彼方此方へ携帯のカメラを向けて、フラッシュを瞬かせる度に顰蹙を買う三十絡みの男が一人、悪目立ちしているようだ。
体つきは中肉中背、肩まで伸ばした茶髪をビーズ付きのバンダナでまとめ、すり切れが目立つタイトなブルージーンズの上にデニムのジャケットを羽織っていて、背中の部分へ「LOVE & PEACE」と真っ赤な糸で刺繍が入っている。
まさに1970年代のヒッピースタイルそのもので、時代錯誤も甚だしい。
他の場なら浮きまくりだろうが、そこそこ奇抜な連中もいる大学の空気に溶け込み、口笛で吹いていた童謡の一節をふと言葉に変えて口ずさむ。
それでも曇って泣いてたら、そなたの首をチョンと切るぞ。
微かな冷笑が男の唇に浮かんだ。長髪で隠れた顔立ちは意外に整っており、ルーズ・ファッションと不釣り合いな切れ長の瞳に、およそ感情の伺えない冷たい光が宿っている。
楽しげな足取りで入場扉を一くぐり。
どんなコネを使ったやら、チケット入手が難しい演壇間近の指定席へ座り、20世紀のヒッピー気取りは開演の時を待つ。
午後一時半ぴったりに来栖晶子はステージへ立ち、満場の拍手を受けて恭しく一礼した。
テレビ出演時と同じチャコールグレーを基調としたシックなスーツで、眩いスポットライトの中央へ進む。
陸奥大学創立百周年を記念して建設されたこの多目的会場は桟敷席、二階、三階、四階に設けた座席数が1200を超え、海外アーティストのコンサートにも使われている。
音響効果も抜群でプロジェクターの資料映像が投影できる大型スクリーンの傍ら、豪奢なマホガニーの演壇に立つ晶子が開口一番に放った声は、観客席の隅々まで高らかに響いた。
「まず一つ、御来場の皆さんにお尋ねしたい事があります。あなた方は、御自身の記憶を信じていますか?」
唐突な問いに場内はざわめく。
「皆さんの、この世にたった一つしかない人格は、遺伝情報を主とする先天的要素と、経験を蓄積する事によって得られる後天的な要素の組み合わせで構成される。この点については何処からも異論は出ませんよね?」
晶子は場内を見回した。
勿論、異議の挙手など見当たらない。
「経験の蓄積とは、即ち記憶です。しかし、それが皆さんの人格形成において、どのような具体的作用を及ぼしているのか?
昨日、あなたに起きた事が今日のあなたにどう関わっているか、特定するのは意外と難しい。何故なら忘却……忘れ去る事こそ人の必然だから、です」
ふと晶子は首を傾げてみせる。
「いや、私個人の必然かな? 忘れっぽい性質でして……認知症検査に昨日の晩、何を食べたか訊ねる項目があるんですが、正直言ってパスできそうに無い。大体、研究室常備のカップ麺か、ゼミ生が買うコンビニ弁当か、宅配ピザの三択なんですけど、ね」
場内から笑いが漏れた。
うん、掴みはOK。
晶子は目の前の壇上にあるタッチパネルを操作し、大型スクリーンへ厳めしい男性のモノクロ写真を映し出す。
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