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コピーキャット 1

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 2018年9月13日・木曜日、荒生岳で田村絵美の死体が発見されてから6日後……

 捜査用に借りたワゴン車を、笠松が宮城県警本部庁舎ビルの駐車場へ滑り込ますと、助手席の富岡は腕時計を一瞥した。

 午前8時を過ぎたばかりと確認し、ホッと安堵の溜息をつく。

 ここで9時から捜査会議が予定されているのだ。

 それも本庁捜査一課のお歴々が東京から出張って来て、荒生岳の事件に加え、それ以前に仙台市内で起きたもう一つの殺人事件も取り扱う合同捜査本部の立ち上げ初日である。

 一課から先乗りした富岡と笠松が遅刻したら只じゃ済まない。まして、その理由が富岡の寝坊ときた日にゃ、小学生の言い訳以下と罵られる事、間違いなし。

 ただでさえ俺、使えない奴って見られてるもんな。

 苦笑いする富岡に構わず、笠松はさっさと車を降り、足早に庁舎ビルへ向かう。

 置いて行かれた形の富岡も小走りになり、エントランスホールの自動ドアへ飛び込む前に、ふと七階建てのビルを見上げた。

 東日本大震災で被害を受けた建物は大幅な改修を受け、内部もⅠT犯罪に対応できる形でアップデート。天井の巨大なパラボラアンテナが快晴の青空へ向き、鈍く輝いている。

 捜査本部に割り当てられた大会議室は庁舎ビル三階にあり、小走りで笠松を追う富岡は、エレベーターの扉が締まる間際で滑り込みセーフ。仏頂面する後輩の隣に立った。

「全く……しっかりして下さいよ、富岡さん」

「悪いな、昨日は本庁データベースの古い記録にネットからアクセスしてて、殆ど徹夜になっちまったんだわ」

「だからって……慌てましたよ、ビジネスホテルの部屋をノックしても返事が無かった時は」

「すまん。ホント~にすまん」

 笠松は舌打ちし、富岡に背中を向けた。

 あ~、又、腹ン中で貧乏くじ引いたと思ってんだろな。

 先輩のプライドは傷つくものの、逆の立場なら自分もそう思うだろうから腹は立たない。

 一応、富岡は富岡なりに気を使っているつもりなのだ。

 今朝はずっと電子パイプを我慢している。

 一服したいのは山々だが、寝坊で顰蹙を買った上、匂いの籠るエレベーター内でパイプを使い、これ以上、後輩の神経を逆撫でするのはまずい。まず過ぎる。





 三階・大会議室前の廊下には「気仙沼市未成年絞殺事件 大崎市荒生岳山中殺人事件 特別合同捜査本部」との、長ったらしい張り紙が掲示されていた。

 管轄内のみならず近在からも多くの人員が動員されたようで、屯する人いきれを通り過ぎようとした時、背後から野太い声をかけてきた者がいる。

「富岡さん、笠松君、結局、合同捜査になったなや」

 耳なじみの東北弁に振り返ると、荒生岳の捜査で現場を仕切っていた大崎市警、鳴子署の泉刑事が、人懐っこい笑みを皺だらけの丸顔に浮かべている。

「あぁ、泉さん、その節は」

 富岡の隣で、笠松が深々と頭を下げた。

「又、お世話になります」

「いやいや、こちらこそ……だども何で二つの事件、一緒に調べるかね?」

 それについて富岡には理由の察しがついている。

 でも憶測の段階で口に出すのは憚られ、ただ「上には上の、思惑があるんでしょうね」と曖昧に答えただけである。





 予定通り午後9時ちょうどに合同捜査本部の最初の捜査会議が始まった。

 明るい部屋でも使える大出力のプロジェクターやスクリーンを備えた会議室に多数の長机、椅子が用意され、総勢三十名超の刑事達が顔を揃える。

 設えられた雛壇には警視庁・捜査一課長の雨宮幸三、宮城県警の吉村本部長、田澤理事官、本条監理官が並び、部下へ睨みを利かせていた。
 
 で、富岡はと言えば、その睨みが届かない最後列、左端の窓際にいる。

 気楽そうな席で気楽そうに座っていて、それが許されるのは富岡が全く期待されていない為か、何か特別な役割を期待されている故なのか、隣に座る笠松には相変わらず見当もつかない。





 プロジェクターで捜査資料が投影され、最初の報告者・宮城県警捜査一課の三神警部がレーザーポインター片手に話し始めた。

「気仙沼市八日町在住、無職・江口繁、18才の遺体が、同市南町2丁目雑居ビル3階のカラオケバー『玉城』店内で、発見されたのは8月27日、月曜日の午後4時過ぎです」

 スクリーンには南町裏通りの如何にも風俗街と思しき街並みと、その中でも一際薄汚い雑居ビルが映し出された。

 ビルの外にテナントの飲食店が看板を出しているが、どれもこれも色褪せ、ひび割れていたりして、老朽化した灰色の壁に相応しいうらぶれた風情を漂わせている。

「経営不振の為、『玉城』は一か月前に閉店しており、発見したのは店舗を管理する不動産業者でした」

 三上がプロジェクターを遠隔操作するスイッチを押し、画面は『玉城』店内の映像へ切り替わった。

 同時に「うっ」という呻きを誰かが漏らす。修羅場に慣れている強行犯担当の刑事達にとっても、荒れた店内に横たわる江口青年の亡骸は陰惨に過ぎた。

 その手首には手錠が掛けられている。両の掌は店内備品のアイスピックで貫かれ、カラオケ用だという木製ステージへ突き刺さった形で固定されている。

 あたかもホルマリンで殺した昆虫のピン止め標本の様であり、腐敗が進んだ江口の顔には未だ激しい苦悶の痕跡が読み取れた。

 更に異様なのは、首に掛かった合成繊維のロープと短い金属製のパイプである。

 パイプを梃子の支柱とし、絡めて回転させる事で強くロープを締め付けたようだが、被害者が死に至った後も手を緩めていない。

 食い込み過ぎたロープが皮膚と筋肉の一部を切断。首が半ば千切れ、頸椎の一部が露出している。

 三上は、敢えて淡々と説明を続けた。

「鑑定医の所見では、発見された時点で死後3日を経過。8月23日の夜間に殺されたと思われ、死因は縄で首を絞められた事による窒息との事です」

 スクリーン上の写真が入れ替わり、カラオケステージの周囲に落ちている色つきの錠剤がクローズアップされる。

「性行為の痕跡はありません。又、遺体の胃から幻覚剤PCPが検出されました。現場から錠剤も見つかっており、犯人は被害者の意識を薬で混濁させた上、時間を掛けて絞殺したようです」
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