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夢で逢いましょう 5
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来栖晶子の公開講義が半ばを過ぎても、川浦・尾木ホールの二階席に響く高槻守人のイビキはまだ止まっていない。
イベント自体は絶好調だ。
質疑応答を巧みにこなす晶子の話術に聴衆は魅了されていたが、その分、イビキは顰蹙を買う。おまけに時々、守人の口から寝言まで漏れている。
「……我々は何処へ行くのか?」
その声へ、何時の間にか隣の席に移動した正雄が聞き耳を立てていた。呆れ気味にニヤニヤ笑い、守人の耳元へ囁く。
「行くっつうたら、そ~ら、合コンやろ?」
さして大きな声ではないが、耳たぶへ直接当たる正雄の息がくすぐったくて、守人は目を覚ました。
指先で耳の穴を掻き、一瞬、ポカンと正雄を見つめる。
熟睡していた割にその顔色は悪かった。額に脂汗が滲み、心なしか目も血走っているようだ。
「なんちゅう顔しとんねん、お前。真っ青やで。幽霊か悪魔にでもとりつかれた感じ」
「あぁ、悪い夢、みてた」
「夢?」
「目が覚めたら、はっきり思い出せなくなるんだけど……サスペンス調でさ。犯罪に巻き込まれると言うか、自分が犯人になっちゃうと言うか」
「それ、ホラー映画の見すぎちゃうの?」
「最近、SFしか見てない」
「なんにせよ、講義中にようやるわ」
「……だよね。自分でもそう思う。来栖教授の話には興味があったのに、僕、何やってんだろ」
自己嫌悪に陥りかけた守人の耳元へ又、正雄が囁いた。
「ん~、お前、暗い。暗すぎる。もっと明るい方向へ目を向けんといかんなぁ」
「……明るい方?」
「ホレ、例えばアッチ」
「あっち?」
怪訝そうな守人の顔を正雄は両手で挟み、一つ通路を挟んだ先、先程まで自分が座っていた辺りへ向ける。
そこにはショートヘアで大きな瞳が印象的な女性がいた。
小柄な割に手足は長い均整の取れた体つきで、守人の好みにジャストミート。ちょっとアヒルっぽい上向きの唇に柔らかな微笑を浮かべている。
守人とまともに視線がぶつかっても、彼女は目をそらさない。笑顔のまま、明るい眼差しをこちらへ投げてくる。
え、何で? あの子と会った事ないよね、確か。
過去19年の人生がそっくりそのまま彼女いない歴に等しい守人は、笑顔に笑顔を返す事ができず、深く俯いてしまった。
どうして良いか、わからない。
意味不明な『赤いてるてる坊主』の悪夢の最中、アンモラルで陰惨な快楽の世界を何度か垣間見ているけれど夢は所詮、夢だ。
現実の世界じゃ根性無しのチェリーボーイでしかない。
その弱気過ぎる姿に正雄は苦笑し、
「どや、今が盛りのリケジョやで。文科系にして根っからオタク、且つ草食カテゴリーのお前にゃ眩しいんちゃう?」
と挑発する。
「何なんだよ、一体?」
からかわれていると感じ、守人の声にらしからぬ苛立ちが混ざった。
「実は俺、あの子らと知り合いでな。来週の合コンの段取り、頼まれとんねん」
「だ、だから何!?」
又、ちらりとショートヘアの子を見る。
今は来栖准教授の講義へ集中していて、真剣な横顔も悪くない。つい見とれそうになり、正雄の手前、慌てて目を逸らす。
「わかんねぇかなぁ? 一応、俺、お前を誘っとるンよ」
「合コンに?」
「ほかに何があるンじゃ、ニブチン」
「どうして、僕なんか?」
「あ~、それはなぁ……ホントのとこ、俺も理解に苦しむ所なんやけど」
「はぁ!?」
困惑のあまり、つい守人の声が大きくなると同時に、演壇の方から晶子の鋭い叱咤が飛んできた。
「君、講義を妨げる行為は慎みなさい!」
正雄ともども、ギョッとして前を見る。でも、晶子の切れ長の眼差しが睨む標的は二人では無い。
尾木ホール一階の前から数えて三列目、晶子のほぼ正面に当たる桟敷席に妙な奴が陣取っているのが見えた。
中肉中背、ボサボサの長髪を生やした異相の男だ。
それが最新式のスマートホンを構え、これ見よがしな大きい身振りで辺りを写真撮影している。
「正式な許可の無い撮影行為はご遠慮下さい、とイベントの告知に書かれている筈ですが」
穏やかだが鋭さを感じさせる晶子の言葉に対し、長髪の男は怯まなかった。
むしろ、晶子に何か言われるのを待ち構えていたらしい。
一層挑発的な薄ら笑いを浮かべ、肩にかけたスポーツバッグの中からプロ仕様のビデオカメラまで取り出して、大っぴらに撮影を続ける。
「あなた、止めてというのが、聞こえないの?」
「うっせぇなぁ、クソ婆ぁ!」
口汚い言葉に晶子は顔色一つ変えなかった。
あくまで穏やかに男を見下ろし、「ここの学生じゃないわね、あなた?」と言い放つ。
「俺さぁ、関係者なの。彼方此方の……そう、世界中に熱心なファンがいるもんでね」
ふてぶてしい仕草で男は立ち上がる。
至極迷惑そうな面持ちの聴講者を撮影しながらグルリ一回転。そのまま後ろを向き、背後の二階、ちょうど守人が座っている辺りへカメラを向けた。
偶然だろうか? カメラのファインダー越しに目が合う。
戸惑う被写体の事など気にもせず、男はカメラの照準を合わせたまま、守人の表情をアップで撮影し続けた。同時に、晶子への挑発も繰り出す。
「なぁ、先生。あんた、頭良さそうだから、わかんだろ? 大事なファンに応えたいって、クリエイターの熱い衝動」
「ふむ、一理ありますね」
「ハハッ! わかる? わかリル? わからリル?」
「では、私の大事なファンの為、あなたを会場から叩き出す事にも御同意願えるかしら?」
晶子の目配せを待つまでもない。
場内を見張っていた警備員が姿を現し、不埒な闖入者へ一斉に駆け寄っていく。
てるてる坊主、てる坊主、あした天気にしておくれ。
ヒッピー男は調子っ外れの童謡を大声でわめき、意外と軽い身のこなしで警備員から逃げ回った挙句、外へ繋がる講堂のドアを目指して走り出した。
「何や、アレ?」
正雄が白けた声を臨、文恵の方へ投げると、二人は困惑気味に目を見合わせる。
守人に至っては、童謡の一節をヒッピー男が口にした途端、何故か激しい衝撃を受けた様子で顔を引き攣らせていた。
「ドン臭い恰好、しやがって。あいつ、来栖さんの追っかけか、空気読まないユーチューバーか?」
誰に向けたかわからない正雄の問いを無視し、守人は二階席の下限、転落防止の手すり近くまで降りて、男と警備員の鬼ごっこを見下ろす。
場内がざわつき、立ち上がった人が多い分、成り行きを確認しきれなかったが、すぐ静かになった所を見ると、どうやら男は逃げおおせたらしい。
まもなく来栖晶子の講義は再開された。
守人も今度は居眠りしないで最後まで聴講したものの、あまり集中できず、内容が頭に入らない。
居眠りの中で垣間見た見た悪夢の惨劇と闖入者の唄のシンクロが、いつもの健忘へ逃げ込めない程の強烈な胸騒ぎを生み、どうしても彼には払拭できなかったのである。
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