緋の残像 伝説の殺人鬼が恋人の心の奥で蘇る

ちみあくた

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夢で逢いましょう 4

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(5)

 それが夢でしかないと、高槻守人は知っていた。





 いつもの赤い仮面とゴアテックスのコートを、不安定に揺れる複数の光条が照らしている。

 野外ではもっぱら高出力のペンライトを複数固定し、彼の愛しい生贄が死に至る過程を照らすのだが、この時は必要なかった。

 狭く、薄暗い飲食店らしきフロアの隅、リノリウムの床から一段上がった安っぽいステージに彼はいる。

 普段はカラオケ用なのだろう。直径が2メートルに満たない丸いステージの上、セロファンのフィルターを回せば色を変えられる備え付けカクテルライトを使用し、その光の交差する辺りで丸椅子に腰かけているのである。





 あれ? どうして僕、こんなの付けてるんだろ?





 仮面の奥の瞳が、ラテックスの手袋を付けた自分の手首を見下ろし、そこにかかった金属製の手錠を不思議そうに見詰める。

 こうなった経緯はわからないまま、いつもの如く彼の体は勝手に動いた。

 細く尖ったアイスピックを右奥のカウンターから取り、鍵穴に差し込む。
 
 カチッと音がし、一瞬で手錠は外れた。そして、もう一度それを手首にはめ、硬く締め付けてから、今度は手首の方を捻る。

 鈍い音がした後、外れた手首と掌の骨をすり抜け、あっさり手錠は外れた。

「ふう~ん、うまいもんだね」

 ステージ正面のテーブル席から、こちらを見ていた青年が声をかけてくる。

 恭しく一礼する守人へ拍手したのも彼だけだった。店内には他に誰もおらず、微かに窓の外から繁華街の喧噪音が聞こえる。

 真っ赤なてるてる坊主さながらの守人ほどではないが、歩み寄る青年の佇まいもかなり奇抜だ。

 光沢のある本革を随所にあしらった赤と黒のタイトなパンツルックで、上半身を包むラメ・ストライプのシャツにはアゲハ蝶を思わす半透明のひらひらが付いている。

 濃い化粧が施された顔には女性的な線の細さがあった。

 その切れ長の瞳を潤ませ、守人の方を見つめる。凝ったネイルアートの指先が手錠を柔らかく撫で、引き寄せて自分へ触れさせようとする。

 はだけた青年の胸部に触れる寸前、『赤いてるてる坊主』は片手を引き、代りに優しく語り掛けた。

 いつもの如くボイスチェンジャーを通し、甲高く変化した電子音声で「如何ですか、私の手品?」と、仮面の奥から青年へ問う。

「手品? 今の、手品なの?」

「面白いものを見せる、と約束したでしょう?」

 又、守人はこれ見よがしに手錠を弄ぶ。手首にはめ、外し、自由自在に繰り返す。

「ん~、それ、あんまり面白くない。それより」

 青年は、赤ワインが一杯に注がれたグラスを手に取り、ステージの檀上へ上がった。

 何処か艶めかしい仕草で守人へ凭れ、胸ポケットから鮮やかな色合いの錠剤を取り出して口に含んだかと思えば、ワインで一気に喉へ流し込む。

「ねぇ、あんたもこれ、やらない? そんでさ、その変なお面をつけたまま、僕とこの上で……」

 青年の誘惑は実に手慣れていた。肩をはだけ、女性と見まがう滑らかな素肌を見せて、『赤いてるてる坊主』を手招きする。





 僕、まだ童貞で、趣味の方もストレート。そういうアレは無いんだけど……





 赤い仮面の奥底にある守人の意識がそう呟いたが、代りに手は赤いレインコートの下から数枚の一万円札を掴みだし、青年の体の上へ振りかけた。

「しないの? だったら、何でボクと……」

「只、少し遊びたいだけですよ」

「どんな遊び?」

「そうですね……たとえば」

 掌で弄んでいた手錠を、守人は青年の方へ差し出す。

「君もやってみませんか?」

「え? 手品を?」

「そう、うまく出来たら、こちらも追加でプレゼントしましょう」

 再びレインコートの奥へ右手が差し入れられ、今度は錠剤の包みを多量に取り出した。

「……へ~、もっと薬、くれるンだ?」

「何なら、君が欲しいだけ」

 青年にとって、錠剤は現金より価値のあるものらしい。涎を垂らしそうな眼差しで見つめ、次に手錠へ手を伸ばす。

 迷わず右手首へはめ、仮面の主を真似して外そうとした。アイスピックを鍵穴へ差し込み、つつきまわした末、自分の手首を捻ってみる。

 勿論、器用に外せる筈もない。

 苛立ち、力任せに手錠から手首を抜こうと力を込めた。やればやるほど手錠は食い込み、皮膚を破って血が滲む。

 薬を使っている為、痛覚が鈍いのだろう。幾つも出来た傷から鮮血が絶え間なく滴り落ち、シャツの袖を染めた時、ようやく青年は痛みに気付いたようだ。

「……あれっ?」

 不思議そうに首を傾げる青年の髪を、コートの袖から出た掌が優しく撫でる。

「フフ、君には、別の手品の方が向いているみたいだね」

 おもむろに伸ばす手の先には、ステージへ直に置かれた合成繊維のロープと短い金属製のパイプがあった。

 素早くロープを結び、先端に直径40センチ程度の輪を作ったかと思えば、その輪を青年の首へさり気なく掛ける。

「ん~、今度はその輪を抜ける手品?」

 仮面の奥底に揺蕩う守人の意識も戸惑っていたが、裏腹に口から出る言葉は穏やかで自信に溢れていた。

「もっと知的な探求です。これまで君が過ごしてきた無価値な人生の意味を一変させるほどに」

「はぁ?」

 輪の中に金属のパイプが差し込まれ、仮面の主はそれをゆっくり回し始める。

「あ、苦しい……シャレになんないよ、それ……」

 最初はふざけていた声が、まもなく掠れた呻きに変わった。

「根源的で有り触れた探求だが、反面、命をかける価値のある命題だと思う。是非、協力して下さい」

 回すごとに首が締まっていく。

 回転を止めようと自然にロープへ掛かる青年の手を無造作に引きはがし、手袋をはめた指先が先程のアイスピックを掴んだ。

 まるで蝶の標本をピンで止めるように、手錠が掛かった青年の掌を素早く貫き、ステージの床へ固定する。
 
 薬で鈍った感覚にも、これは強烈な痛みを与えたようだ。

 悲鳴を上げ、もがく青年へ身を寄せたまま、『赤いてるてる坊主』は楽し気に金属パイプを回し続けた。
 
 仮面の横に固定されたビデオカメラが連動し、蠢く。

 勿論、それだけでは足りない。多くのギャラリーを満足させる為には、効果的なカットを複数のアングルから切り取らなければならない。

 お誂え向きに本来は防犯用途のカメラが幾つか店内へ設置されており、WIFIに繋がっている。ライブだから演出はその場のノリ任せだが、レンズの先にいる観衆を十分意識しつつ、殺人劇は続いていく。

「フフッ、我々は何処から来たのか?」

 青年の息は詰まり、もう言葉にならない。

 ただ必死であがいているが、自称・手品師は抵抗を苦にせず、我流のマジックを演じる指先へ力を籠める。

 首に食い込むロープが皮膚を突き破った。

 更に肉を裂き、血管を断ち切り……

 ステージ上、アイスピックで固定された掌の周りに血の泥濘が出来、その滑らかな表面に青年が白目を剥き、痙攣する光景が映し出されている。

「我々は何者か?」

 弛緩し、ゆっくり開く青年の瞳孔を覗き込みながら、赤い仮面の奥に潜む守人の意識は尚もパイプを回し続け……
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