緋の残像 伝説の殺人鬼が恋人の心の奥で蘇る

ちみあくた

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パーティナイト 5

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 でも、ここは現実。

 俺……違う! ぼ、僕は人殺しじゃない。そして、僕が苦しめているこの人は……





 凶行の瀬戸際、ぎりぎりで凶悪な衝動を断ち切り、守人は本来の自分を取り戻した。

 金槌が地面へ落ちる。

 窒息しかけ、荒い呼吸を繰返す臨を見る。

 悪夢から目覚めた時と似て非なる動揺と不快感、パニック症状に伴う強い吐き気が胸の底から湧き上がった。

 口を押えて後ずさり、臨から離れる。すっかり青ざめ、おろおろして言葉も無い様子は、元の弱気な草食系そのものだ。

「……能代さん、ごめん。僕、どうかしてた」

 『僕』と言う守人にハッと顔をあげ、臨はしばらく彼を見つめて安堵の笑みを浮かべる。

 自分でも理解しがたい形で暴力を振ってしまい、何とか謝罪しようと試みる守人の背後で先程、いきなり金槌を手渡してきた男が声を上げた。

「ちっ、もうチョイだったのに」

 木陰に隠れ、ビデオカメラで二人の会話を撮影していた、あのヒッピー男だ。

「おい、お前、そいつに見覚え有るだろ?」

 男は地面の金槌を指差す。

「扱い方は先刻承知の筈だぜ。俺は前からお前を知ってる。前にもそいつを使うシーン、実況したからよ」

 その金槌を見つめ、悪夢の中で女性を撲殺した凶器と全く同じ型だと、守人は改めて確認した。そして、彼が幼い時に遭遇した殺人事件の凶器とも似ている。

「さぁ、いつも通り、俺に良い画を撮らせてくんない?」

「あなた、誰です?」

「ほう、質問に質問で返してくる訳? その調子じゃ、お前、まだ準備は整ってねぇな」

「準備?」

「スポンサーの旦那にも、慌てるな、って念押されたっけ。残念だなぁ、そっちの姉ちゃんも動画じゃ映えるだろうに」

 男はバッグからデジカメを掴みだしてスマホと持ち替え、まだ息を切らせている臨と守人の姿をアップで撮影し始める。

 撮影用フラッシュが瞬き、男の不潔な長い髪を照らした。その顔には守人のみならず、臨も見覚えがある。

「あなた、特別講義の時、講堂にいた……」

「光栄だねぇ、覚えててくれたン? ま、ホントは俺、お前らの事は前から知ってるんだけど」

「私達に何の用?」

 臨が精一杯怖い顔を作って、男を睨みつける。

「用事はまぁ、大体済んだ。けど、個人的にゃ物足りねぇなぁ、このままじゃ」

 落ちている金槌を男は拾い上げ、クルリと手の上で回して、周囲を見回した。

 今、プロムナードに他の通行人はいない。

「独自の演出、加えるたろか? うん、加えて、加える時……加えろっ!」

 おどけた態度を示しつつ、奇声を上げて男は金槌を臨へ向けて振り下ろした。頭を抱える臨だが、覚悟した衝撃は襲ってこない。

 代りに暖かな水滴が額へ垂れるのを感じた。

 目を開くと、覆いかぶさるようにして守人が側にいる。その額が切れていて、細く長い傷から血の滴が落ちてくる。

「高槻君!?」

「……大丈夫。もう、能城さんは傷つけない」

 肩が触れ合い、守人の全身の震えが伝わってきた。額はかすり傷だが、強張り、引き攣った表情が怖れを如実に示している。

 でも、守人は逃げようとしない。歯を食いしばり、ガタガタ揺れる膝に力を籠め、臨を庇おうと必死で踏ん張っている。

 今は、むしろ男の方がたじろいでいた。暴力で臨を脅すつもりが、守人に割り込まれ、金槌を止めきれなかった事は想定外だったようだ。

「ヤ、ヤバぃ、そんな傷……お前を壊しちまったら、俺ぁ……」

 何か危ない薬でもやっているのだろうか?

 不手際の落胆から急激な精神の乱れが生じ、男の瞳が狂気じみた光を宿し始める。只でさえハイテンションな言葉尻が乱れ、何処か子供じみた口振りに変じていく。

「あの人が怒ら、怒られ……お、怒らルル!?」

 逃げ出そうとして、男はふと立ち止まった。何か大事な用件を思い出したらしい。

「あ~、お前ら、コレ……こ、ここに、アクセス」

 血走った眼で振向き、慌しくジャケットのポケットへ手を突っ込んで、中の紙片を路上へ投げつける。

「もっと、ず~っと面白ぇ事が……わかル? わかりル? わからリル?」

 奇声を上げ、金槌を再びバッグへ押込んで、男は走り去った。

「何なの、アレ?」

「講堂で騒いで、夜もこんな所をうろついているなんて、ウチの大学に恨みでもあるのかな?」

「あ、そんな事より、傷の手当てを!」

 臨は持っていたハンカチを裂き、守人の傷口へ当てた。

 守人の体はまだ震えている。ペタンと尻餅をついたかと思えば、そのまま腰が抜けてしまい、すぐには立ち上がれない。

「あ~、我ながらカッコ悪っ」

 苦笑する若者の顔をみつめ、臨は首を傾げた。やっぱり、先程の荒々しさと落差が有り過ぎる。

 普通は不気味に感じる所なのだろうが、臨はますます彼に惹かれていた。

 善良な顔と過激な顔、犯罪心理学を志す臨から見ると、その極端なコントラストは凡庸そうな若者にミステリアスな魅力を与えている。
 
 こういう物好きな性分だから、文恵に残念な奴って言われちゃうんだろうな、あたし。

 自覚しつつ、今更前のめりの好奇心は止められない。それに、

「やっぱり、君は強いよ、高槻君」

 守人に肩を貸し、立ち上がらせて臨は言った。

「え? 強い? 僕が?」

 先程と同じ問いを守人が放つと、臨は大きく頷いた。

「能代さん、そりゃ無いでしょ。こんなにビビって……僕、チキン丸出しなのに」

「怖さに鈍感な人より、人一倍怖がりで、それでも逃げない人の方が私は何倍も凄いと思う」

 自然に臨は微笑み、守人も照れ気味の笑顔を返した。

 そこに幾分ぎこちなさが伴うのは、異様なシチュエーションがしばらく続いた為か、単に男女関係の経験値が二人とも低いせいなのか、微妙な所だろう。

「ねぇ、今の男の事、警察に通報しようか?」

 そう口にする臨に対し、守人は首を横に振る。

 犯罪被害者だった頃のトラウマを引きずる心に、警察とは関わりたくないと言う気持ちが強く刷り込まれているようだ。
 
 取り合えず男が残した路上の紙片を調べる事にし、危険物でも取り扱うような仕草で守人が拾う。

 紙片は皺だらけで、月明かりの下では読みにくかった。

 システム手帳の一ページをちぎった物であるらしく、中央に書き込まれた下手な文字は赤インクで殴り書き。所々にある茶褐色の滲みが不気味な雰囲気を漂わせている。

「ちょっと……これって?」

 守人の背後に立ち、ヒョイと肩越しで文字を覗き込む臨の瞳が驚きで丸くなった。

「インターネットのIPアドレスだよ。多分、あたしが研究室のパソコンで見たのと同じ奴」

「つまり、『タナトスの使徒』?」

 書かれているのはアドレスだけではない。用途不明な短い文字列が三つ、意味ありげに赤丸で囲み、アドレスに併記されている。

 メモを手に取った臨は、怪訝そうに眉をしかめた。

「『GWAW』『WAW』『FCWDW』、4、3、5文字の三種類。パスワードにしちゃシンブル過ぎるけど、多分ネット絡みよね。何処かで調べられないかな?」

「今? この辺、ネットカフェとか無いし、スマホじゃ役不足だろうし……明日、大学で調べるんじゃダメ?」

 何か気になったのか、臨はメモをしばし月明かりへ向け、透かすようにして見上げる。

「……きっと早い方が良い。ちょっとこれ、ほっとけない感じ」

 前のめり気味の好奇心が再び加速し、メモをつまむ臨の瞳は爛々と輝いていた。
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