緋の残像 伝説の殺人鬼が恋人の心の奥で蘇る

ちみあくた

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古傷 1

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 高槻守人と能代臨が合コンを抜け出し、ヒッピー男に絡まれていた頃、仙台から東京へ向けて疾走する東北新幹線・はやぶさ40号の車内に富岡、笠松、両刑事の姿があった。

 土曜日の夜だから勤め人の客は少なく、かなり空いている。

 経費で落ちない指定席はパス。自由席の車両に陣取っているのだが、彼らがいるのは客席ではない。

 探せば空席は結構あるにも関わらず、車両連結部に近いドア手前のデッキに凭れている。

 勿論、最初からそんな所にいた訳では無く、ちゃんと座れていた席を離れ、列車の進行方向とは逆向きに複数の車両をブラブラ移動してきた末の事だ。

 そして、その移動の理由は、富岡が掌でいじっている電子パイプとブラウン色のリキッド(吸引剤)ボトルにあった。

「富岡さん、もう諦めて、席に戻りましょうよ。いくら探しても新幹線の車内に喫煙用の個室なんてありませんよ」

 他の客がデッキを通過する度、それとなくパイプを隠す先輩刑事を呆れ顔で笠松が見やる。

「東海道新幹線にはあったんだよ。狭いスペースなんだが、前に使った事があってさ」

「東北新幹線は全面禁煙って聞いてます」

「うぅっ、ホントの煙草じゃないんだぞ、コレ。ニコチンもホルムアルデヒドも、含まれてないんだけどなぁ」

「見た目タバコならアウトっす。東海道新幹線も、今は全面禁煙になってんじゃないスか。東京オリンピックに備えて」

「……あ~ぁ、我々はこの先、日々溜まりゆくストレスと如何に向き合えば良いんだ?」

「そんな大げさな話じゃないでしょ」

 富岡はやるせなく肩を落とし、未練タラタラでパイプとリキッドボトルを掌で撫でた後、背広のポケットへ仕舞う。

「ま、富岡さんの場合、ストレス・ケアは確かに必要かもしれませんね。一昨日の捜査会議でも最後は変人扱いだった」

 富岡は苦笑し、パイプ代わりのガムを口へ放り込む。

「ま、仕方ない」

「ですよね。お堅い会議で、いきなりネット・スラングめいた話を口に出せば、浮いちゃうのも当然か」

「あの反応、マシな方だと思うよ。本庁で最初にあの件を警告した時は、殆どのお偉いさんに大笑いされ、セラピストに会えと勧められたからさ」

「ビョーキ扱い?」

 富岡は肩を竦めて見せた。

「俺に黙ってたの、そのせいスか?」

「元々、個人的な拘りで調べ始めた件だ」

「雨宮課長だけは、少し反応が違ってましたけど」

「俺の事情を承知の上で一課に引っ張ったのがあの人だからな。東北へ行きたいと申し入れた時にも後押ししてくれて、その後も逐一報告してたんだよ」

「事情? それはつまり会議の時にも言ってた、昔、殺されかけた事件の事?」

「ああ、忘れようにも忘れられん」

 笠松が沈黙の眼差しで話の先を促すと、富岡は未だ鮮烈な過去の情景へと思いを馳せ、ポツリポツリと語りだす。





 2008年1月21日、江戸川区の町外れを交番勤務だった俺が巡回していた時の事だ。

 いつも通りのパトロールとは言えなかった。日勤の日、午後4時過ぎに定時パトロールへ出る決まりで俺が当番だったんだが、あの日はコースを変えたんだ。

 子供を脅かす不審者が出たと通報があってな。

 通学路付近の細い路地まで見回ろうとして、アレに遭遇した。例の闇サイトじゃ『赤い影』の仕業になってる、通り魔殺人の一つだよ。
 
 寒風がやたら強い日で、自転車のハンドルを握る手がかじかんでいたのを覚えている。

 高速道路の高架線沿いを走る途中、同僚の警官が不審者を見つけて尋問し、交番へ連行したとの知らせが無線で入った。

 携帯電話のデジタル通信がデフォルトの昨今と違い、警察専用の周波数を使用するトランシーバーが使われていた時代だ。耳障りな雑音が混ざる通信だったが、取り合えず被害が無かった事にホッとして、俺は交番へ戻ろうと足を速めた。

 トランシーバーの呼び出しより耳障りな子供の悲鳴が聞こえてきたのは、その時だ。

 高架線の上から来る大型車両の通貨音が重なっていたから、もう少し遠い距離にいたら、俺も気づかなかっただろうね。

 切迫した声の調子から交番へ応援を求める余裕は無く、全力でペダルを濃ぎ、声の方角へ向かった。

 そこで見たのは……





「富岡さんの現着は高架線下の資材置き場で、女性が殺された後だったんですよね」

 捜査会議後、宮城県警のパソコンで本庁のデータベースへアクセスしたらしく、笠松は事件の概要を知っていた。

「ガイシャは木田川麻子という江戸川区に住む31才の主婦で、何故そんな場所に立ち寄り、被害にあったか、詳細は不明だと記録に残ってました」

「ああ、当時の警察は、通り魔が徘徊する場所へ木田川さんが偶然通り掛かり、襲われたと推察せざるを得なかった」

「富岡さんは納得してないんですか?」

「何らかの手段で誰かに誘い出されたのだろう。誘惑していたとしたら、荒生岳と同様、テッド・バンディのコピーキャットかもしれない。そして巧妙に、その痕跡を消したのさ。大体そこ、主婦が偶然に通る場所じゃ無いんだ、全然」

「遺体、惨かったそうで」

「もう血の海そのものだった。説明するまでもないよな。荒生岳で君もそれと似た光景を見たんだから」

 苦い面持ちで笠松が頷く。

 警察官の志願者は、訓練の途中、必ず経験しなければならない試練がある。それは亡骸の匂いを覚えるカリキュラム……

 死者の独特な異臭を記憶させ、似た匂いを現場で嗅いだ時に隠蔽された事件を察知できるよう感覚を鍛えるもので、低温管理された検死中の死体と違い、腐りかけた変死体をわざわざ用意し、その匂いを嗅がせる。

 人によっては神経を病み、それで警官への路を諦める者もいる位の高いハードルだが、宮城の山奥で見た死体の瘴気は更にその上を行った。

 笠松が現場で辛うじて嘔吐を堪えたのは単に空腹で、吐く物が無かったからに過ぎない。

 そして、富岡はそんな修羅場を過去にも踏み越え、記憶の奥に仕舞い込んだまま、日常の裏方仕事、デスクワークを淡々とこなしていたのだ。一度は消えた犯人が何時か再び動き出す可能性を案じ、密かに対策を練りながら……
 
「まぁ、あの時は良い事もあったし」

「富岡さん、小学生を救ったんですよね。その手柄が雨宮課長の目に留まり、一課配属のきっかけになったんでしょ?」

「いや、手柄じゃないよ。あれは全然誇れる話じゃない」

 いつのまにか、富岡の片手は左胸をさすっていた。そこに深い古傷がある事を、今は笠松も知っている。
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