34 / 105
或る人殺しの肖像 2
しおりを挟む「手詰まりの警察庁は欧米のシリアルキラーに対する捜査手法を研究すべく、チームを発足させた」
二十名ほど写った古い集合写真をバッグから引っ張り出し、五十嵐が富岡と笠松の前に置く。
「あ、これ、先生ですか?」
笠松が指す集合写真の後列、斜に構えた小男がいる。髪の毛こそ豊かだが、その不機嫌そうな表情は今の五十嵐と変わらない。
「ああ、35才の頃だ。当時は科捜研に籍を置き、発足したチームは警察の人間が中心だった。しかし、全く新しい取組みという事で民間からも広く優秀な人材を募ったんじゃ」
「見るからに精鋭、という感じです」
「……一人をのぞいて、と言いたそうだな、オイ」
「僻み過ぎですよ、先生」
と言いつつ、富岡は浮かびかけた微笑をかみ殺している。
「チームが発足した1991年当時、プロファイリング研究の最先端はFBIとイギリスのリバプール大学だった。警察庁はFBIを選び、わしらは20週間にわたる研修に参加した後、二人一組でレポートを作成、競い合う事になっていた」
五十嵐は写真の中で彼の隣に立つ痩身の男を指さした。
「わしと組んだのは、帝都大学・大学院の心理学研究室から参加した隅亮二という男じゃ。元は外科医なのに心理学へ転じ、臨床心理士の資格も持つ変わり種でな」
写真の中にいる隅は五十嵐より十才くらい若く、身長は175センチくらいだろうか。
富岡はふと怪訝そうに眉を寄せ、無言で写真を凝視した。
痩せている点は彼と同じだが、しなやかな体に猫科の獣を思わす精悍な印象があり、むしろ二人より刑事っぽい雰囲気が漂う。
「まぁ、途轍もない切れ者よ。FBIの研修時は寮の同じ部屋でわしと共同生活を送ったんだが、暮らしぶりからして違う」
「天才と何とかは紙一重、みたいな感じですか」
「いや、見た目はむしろ平凡。美術館巡りが趣味と言うての。メトロポリタンやらボストンやら、暇を見つけては出かけておった」
「美術館巡り?」
「ヨーロッパ……例えば宮殿を改装したルーブル美術館辺りの優雅さに比べると、アメリカの美術館は豪華な反面、歴史の落とす影が感じられない、としたり顔で講釈を垂れた事がある。意外にミーハーな奴だと内心笑っておったが……」
遠い目で過去を振り返る五十嵐の表情が、苦々し気に歪んだ。
「全ては理詰めの演出。美術館巡りなど口実に過ぎず、奴は密かにアメリカの著名な心理学者や研究機関を尋ねておった。自らの知見を高め、将来の糧となるコネクションを広げていたんじゃ」
「へえ」
「世界の深淵を覗いてくる、と下手な冗談を言いおってな。違法スレスレの治験で知られる製薬企業の重役や軍関係者とも会っていたらしい。勿論、研修の方も手を抜かなんだ。おかげで奴と共作したレポートは研修参加者中、最高の評価を得た」
「今も昔も、警察って組織は人を競わせるのが好きですねぇ」
昇進試験の勉強で日々苦闘中の笠松はしみじみ頷く。
その目前に今度は分厚い冊子が置かれた。経年変化で色褪せており、当時、五十嵐と隅が書き上げたレポートの実物らしい。
「その結果、わしは1995年、科捜研と科警研が共同で立ち上げたプロファイリング研究会に中心メンバーとして参加したのよ」
「その隅さんって人と一緒に?」
五十嵐は首を横に振る。
「どうして? 優秀な人だったんでしょう?」
「本人が望まなんだ」
五十嵐は、街中の真新しい医院の前に立ち、白衣に身を包んだ姿で写っている隅の写真を見せた。
「暫くの間、奴は帝都大学に籍を置いたまま、警察の犯罪心理研究に関わっておったが、大学を去り、地方の病院で勤務する経験を幾つか積んだ後、千葉で心療内科のクリニックを開業している」
「写真の日付は2007年の6月ですね」
「そしてその年の夏以降、猟奇的な殺人事件が続けて起きた」
「現場へ臨場なさったんですか?」
「特に印象深いのは2007年9月26日、埼玉の中年女性が一人で暮らす家へ何者か押入り、刃物で内臓を抉り出した事件じゃ」
五十嵐は虚空を睨み、当時の記憶を辿りだす。
残暑の生温い雨が落ちる中、埼玉郊外のボロい一軒家前にパトカーが所狭しと停まってたのを、今でも良く覚えとる。
昼過ぎに到着した時、鑑識は仕事を半ば終え、遺体は運び出される寸前じゃった。
FBI流のプロファイリングは犯人を秩序型、無秩序型、混合型に分類する事から始まる。酷く荒らされた現場の様子で判断する限り、典型的な無秩序型に見えた。
血と肉片と、ガイシャの持ち物が辺りへ出鱈目に散乱しとっての。
他の奴が気付かない犯人の署名的要素を探し、その結果、目に付いたのは整頓された台所じゃ。
ちっぽけな家の割りに大きい冷蔵庫でな。
わしゃドアを開き、中を覗いた。食材、飲み物の容器等が並べられ、特に異常は無さそうだったが……
五十嵐のスクラップ帳には、その冷蔵庫の中身を撮影した写真も数枚入っている。
「わしには奇妙に見えたのよ」
「庫内が荒らされた痕跡は無いのに、ですか?」
「被害者は今で言う『片づけられない女』だった。にも拘わらず、この中だけ整っとる。何らかの目的で犯人が冷蔵庫を使用し、痕跡を消したのではないか、と疑った」
五十嵐は写真の中から牛乳瓶が写った一枚を抜き出した。モノクロで色は見分けられないが、中身は明らかに濁っている。
「これ、牛乳が腐ってたんスか?」
「いや、ヨーグルトじゃ。それも被害者の血液を混ぜ、丹念にかき混ぜた代物よ」
「ち、血をヨーグルトに!? まさか犯人が……」
「そ~りゃ食ってたさ、勿論」
富岡が口を挟み、笠松は気味悪そうに顔を歪めたが、五十嵐はあくまで淡々と言葉を継いでいく。
「瓶のみならず、庫内をくまなく調べたが、指紋や唾液等は出なかった。それだけ丹念に証拠を消す犯人だとすると、今度は犯行分析のプロファイリングと食い違う」
「無秩序型なら証拠隠滅に拘らない筈ですものね」
五十嵐は書架から分厚い英語の原書を取り、ある頁を開いて、暗い目をしたアメリカ人の写真を指さす。
「若いの、知っとるか? リチャード・トレントン・チェイス」
無言で下を向く笠松に代わり、富岡が答えた。
「吸血鬼と呼ばれた男ですね」
「こいつは被害者を殺す度、血肉を必ず口にしている。さもないと誰かに盛られた毒の為、己の血が砂に変わると信じていたんだ」
「砂? 何で、そんな事を?」
「妄想の類だから根拠なんて無い。ここで注目すべきは、当時の日本じゃ知名度の低い凶行を埼玉で再現した奴がいるって事じゃ」
結局、その問いの答えは見つからなかった。
目撃者はおらず、捜査は空転。一応、通り魔による犯行として継続捜査の対象になったものの、事実上の御宮入りとなる。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
秘書と社長の秘密
廣瀬純七
大衆娯楽
社内の調査のため、社長・高橋健一はこっそり秘書・木村由紀と不思議なアプリで入れ替わることに。
突然“社長役”を任された由紀と、自由に動ける立場を手に入れた高橋。
ふたりの秘密の入れ替わり作戦は、どの様な結末になるのか?
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる