緋の残像 伝説の殺人鬼が恋人の心の奥で蘇る

ちみあくた

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或る人殺しの肖像 3

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 そして、次に起きた猟奇事件が2008年1月21日、東京都江戸川区の架線下における女性の殴殺と、目撃者の子供を助けようとした警察官への刺殺未遂である。

「あ~、要するに、俺が刺された件ですねぇ」

 富岡はわざと軽い言い方をして見せた。

「通りすがりの女へ言葉巧みに近づいたと推察される点、金槌を凶器にした点、過去の事例へ照らせば、テッド・バンディの件と良く似ておる。被害者を動けなくした後、返り血を考慮して撥水性のコートを羽織るあたり、余裕すら感じるやり口じゃ」

「あ、バンディについては俺も知ってます」

 声を上げる笠松に、五十嵐の冷たい視線が飛ぶ。

「当然だろ。アメリカ史上、ヘンリー・リー・ルーカスと並ぶビッグネームだ。代表的な秩序型と言えよう」

 五十嵐はFBIでの研修中、隅と共に書き上げたと言う分厚いレポートを開き、バンディに言及した個所を富岡達に見せる。

 ハンサムで人当たりの良い白人青年が、家族や職場の仲間と一緒に明るく魅力的な笑みを浮かべていた。
 
「人殺しに見えませんね、全然」

 笠松の感想は、おそらくバンディの写真について誰もが抱く感想だろう。だからこそ、この殺人鬼はたやすく被害者へ接近を果し、犯行を重ねても容易に尻尾を掴ませなかったのだ。

「シリアルキラーが反復する手口、現場に残すシグネチャー等、自分の関与を示す署名的要素は、基本的に生涯変わらん」

「前から不思議だったんですけど、それ、自分が犯人と宣言する様なもんでしょ。無謀も良いトコじゃないスか」

「その無謀を敢えてする。と言うより、己の行いを世に広く知らしめたいという欲望、強烈極まる承認欲求を奴らは抱く」

 レポートには、かのゾディアック・キラーが犯行現場へ残した走り書き等、典型的シグネチャーが写真で掲載されている。

「無秩序型は何かと杜撰。計算高い秩序型と犯行は似ても似つかない。だが、もしコピー自体が犯人のシグネチャーなら……犯罪の模倣こそ重要で、模倣の対象が秩序型、無秩序型を問わないのなら話は違う」

「ええ、常に手口が変化して当然です」

「昔、隅亮二と共作したレポートで主に取り上げた犯罪者は、リチャード・チェイス、テッド・バンディ、ジョン・ゲイシー、エドモンド・エミル・ケンパーの四人じゃ。その内二人が模倣されたとすれば、真実を見抜けるのはわししかおらん。そんな自負を胸に、警察上層部へ訴えた」

 当時の憤りを思い出したのだろう。

 掌をデスクに叩きつけ、五十嵐は声を荒げる。
 
「だが、唐変木ばかりで埒が明かん! わしゃ業を煮やして独自の調査を始め、事件の関係者からも直接話を聞いたんじゃ」

「俺が初めて先生と会ったのも、その頃でしたね」

 富岡は懐かし気に微笑み、中野の警察病院に入院していた際の記憶を振り返った。

 雪がちらつく2月の末、いきなり病室へ訪ねてきた五十嵐の仏頂面と、病人への遠慮など欠片も無いシビアな聴取……そこで改めて事件の最中に感じた違和感を富岡は見つめ直したのだ。

 只の通り魔じゃない。

 その確信が膨れ上がり、気が付くと尋ねられるより多くの問いを五十嵐へ返していた。
 
「わしゃ心から後悔しとるよ。まさか退院した後まで、しつこく付きまとわれる羽目になるとはのう」

 五十嵐は資料の中にある若き富岡の写真へ目を止める。

 精神的外傷と蓄積したストレスの為か、目の周りが落ち窪み、表情も陰鬱で今の能天気とは大違いだ。

 ぽつりと五十嵐が尋ねた。

「なぁ、お前、PTSDの治療に何年かけた?」

「不眠症やら鬱やら、直後のストレス障害は薬物治療で対処しましたが、フラッシュバックが治まらず……完治という事なら、多分、一生無理ですわ、ハハッ」

 偉く明るい口調で、偉く暗い事を言う。

 五十嵐はしばらく富岡を見つめた後、苦し気に顔を歪めた。
 
「……そう言えば、お前にはまだちゃんと謝っておらんな」

 それまで見せていた反感や苛立ちを消し去り、五十嵐は富岡の正面に立って、深々と頭を下げた。

「な、何の真似です!?」

「捜査が行き詰った2008年の6月、わしゃ一連の事件を丹念に調べ直した。すると埼玉の犯行現場で、極めて重要なシグネチャーを見落としているのに気付いたんじゃ」

「見落とし? あなた程の人が?」

「己の愚かさに愕然としたよ。もっと早く、あの冷蔵庫を開けた時の、あの奇妙な感覚を突き詰めておけば、江戸川の事件は防げたかもしれんのに」

 五十嵐は27年前のFBI研修レポートを持上げ、叩きつける勢いでデスクの中央へ置き直した。

「この中に答えはある」

「でもコレ、富岡さんの事件より十年以上前に先生がアメリカで書いたんですよね? 場所も、時間も離れ過ぎじゃないスか」

「小僧、まぁ見てみい」

 五十嵐が指さすレポートの頁にはリチャード・トレントン・チェイスに関する記述がある。

 1978年1月23日、チェイスの手で女性が腹を抉られた現場の写真が貼ってあり、細かい英語の注釈も添えられていた。

「無秩序型サイコキラーの典型的犯行として、わしと隅が取上げ、レポートに載せた写真じゃ。で、こいつは……」

 スポーツバッグの奥に仕舞われた茶封筒を五十嵐は取り出し、中の写真を、レポート冊子のすぐ隣へ置く。

「わし自身が撮影した埼玉の現場写真を引き伸ばした物よ」

 共にひどく散らかった部屋で、全体の印象が似通っている。

 又、どちらにも冷蔵庫の中を撮影した写真が混ざっており、それを笠松が覗き込んで、

「あ、何だ、これ!?」

 素っ頓狂に叫んだのも無理は無い。

 例の血液入りヨーグルトを含め、棚に置かれた食品の種類や位置関係が一致。牛乳瓶がこちらを向く角度・ラベルの剥がれ具合まで全く同じなのだ。
 
「富岡さん、紙パックやボトルのデザインも似てますね」

「過去のアメリカ製品を持ってくる訳にはいかないから、日本で手に入る類似品を持ち込んだようだな」

 動揺から立ち直った様子で、冷静に語る富岡の言葉を受け、五十嵐が声を上げる。

「ここまで似ておれば、偶然の一致などあり得ん。埼玉の犯人が何らかの目的で、意図的にチェイスの現場を再現したのだろう」

「レポートに貼られたリチャード・チェイスの写真は、FBIの公表資料がオリジナルですよね?」

「ああ」

「閲覧できるサイトなら幾つか在ります。犯罪マニアが伝説の殺人鬼に憧れ、真似しただけで、大した意味は無いのかも」

「では、わしが2008年にFBIから改めて取り寄せたチェイスの現場写真、オリジナルそのものを見てもらおうか」

 茶封筒から最後に取り出されたモノクロの現場写真を見て、富岡も、笠松も目を丸くした。

 被写体の配置が左右で逆。写真中央を縦軸とし、全て反転した鏡像なのだ。

 こちらが原型=オリジナルである以上、レポートの写真の方が何らかの理由で反転させられている事を容易に推察できる。
 
「これ……作成時に先生は気付かなかったんですか!?」

「写真の管理は相棒に任せっきりでな」

「判り易すぎる間違いなのに」

「ネガから焼いた訳でもなく、公表資料を転載しただけの単純作業じゃ。担当者が気付かない筈は無い」

「つまり、わざとやったと? あなたと一緒に、このレポートを作った人物が」

 五十嵐がため息交じりに頷く。

「目的が何処にあるにせよ、2007年に埼玉で発生した事件が、1991年に作られたレポートの掲載写真を鏡像化の間違いもろとも完全再現して見せた以上、レポート作成者が犯人である可能性は高いわな」

 笠松は息を呑み、改めて、机の片隅に押しのけられたFBIアカデミー研修生の集合写真を見つめた。

 若き日の五十嵐の隣に立つ、静かな微笑を浮かべた人物、隅亮二の顔。

 日本のプロファイリング研究の草分けにして、自らシリアルキラーとなる道を選んだかもしれない男を。
 
「やはり、先生は知ってたんですね、殺人鬼の正体を」

「知っていた、というのは正確な表現では無い。わしの中に確信があっても、小細工の動機が不明な上、証拠と言うには弱すぎる」

「でも……」

「大体、こんな話を一課がまともに聞くか? 仮に聞いたとして写真を弄ったのはわしの方だと主張する事も奴にはできた」

「だからって殺人ですよ! その容疑者をむざむざ野放しにするなんて」

 勢い込んで詰問しようとする笠松を富岡が制す。

「わしとて、確かめずにはいられなかった。一度は共に学んだ同志じゃ。直接会い、面と向かって釈明を聞こうと思った」

「……会えたんですか?」

「隅のクリニックを訪ねた日の事、忘れられんよ。警察官としてのわしが死んだ日じゃ」

 およそ十年前の過去を回顧する五十嵐の眼差しは、苦しげに宙を彷徨う。

「富岡、お前と違って、わしゃ奴に止めを刺されたんよ」

 気持ちを整理するだけでも苦痛が伴うのだろう。再び彼が語りだすまで、富岡はしばらく待たなければならなかった。
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