緋の残像 伝説の殺人鬼が恋人の心の奥で蘇る

ちみあくた

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或る人殺しの肖像 5

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 玄関の鍵は網膜スキャンで解除する仕組みになっている。

 診療時間の間なら従業員用の鍵で出入りできるが、休診日には隅がクリニックを離れる際、誰も無断で立ち入れないセキュリティが施されるらしい。

 実に物々しい。でも、入ってしまえば普通の診療所に思えた。

 応接室は良い絨毯を使っているから、びしょ濡れのコートで入りたくないと玄関先で告げ、隅は五十嵐を診察室へ通す。

 汚れの無いアイボリーの壁には名画のレプリカが飾られ、その内一枚の額の傍らにあるフックに隅はレインコートを掛けた。下はダークグレイのタイトなジャケットとコーデュロイのスラックスという至ってカジュアルな服装だ。

 さりげなくジャケットを脱いで白衣を羽織り、隅が診察用の肘掛け椅子に腰かける。五十嵐は患者用の丸椅子に座り、互いに白衣で旧友と対峙した。

「良い診療所だな」

「内装には凝ったんだ。精神の奥底に潜むトラウマを晒し、秘めた欲望を紐解いて、癒しへ導く場だからね」

「癒し、か。そう言えばあんた、警察庁からプロファイリング研究会への参加要請を受けた時、シリアルキラーを狩る作業に興味は無い、と言ったな」

「他になすべき事が見えた矢先だった」

「それが何か、聞いても良いか?」

 隅は、やれやれという感じで肩を竦め、壁に貼られた複製画の一枚、患者が診察室に入って一番先に目にするであろう位置に掲げた横長の絵を指さす。

 とても大きな絵だ。

 金属の額を含めると縦が1メートル50センチ前後、横は4メートル近くある。
 
「え~、ゴーギャンの絵じゃな、確か」

「1987年に描かれ、オリジナルはマサチューセッツのボストン美術館で展示されている。個人的には、古の宮殿が元になったルーブル美術館の方が似合うと思うがね。FBI研修の合間に私は何度となく足を運び、オリジナルの美を堪能したものだよ」

「そりゃ随分とご執心で」

「この、内なる苦悩を赤裸々に曝け出したと評される絵を描いた直後、ゴーギャンは自殺を試み、失敗に終わった」

 確かに謎めいた絵だと五十嵐も思った。

 中央で天を仰ぐ人物周辺にのみ光が当たり、他は暗い色調だ。

 左端でむせび泣く老女など一際暗いトーンで描かれ、老醜と迫りくる死のモチーフを暗示しているように思える。
 
「タイトルが又、良いのさ。『我々は何処から来たのか 我々は何者か 我々は何処へ行くのか』……」

 長ったらしい題をつけたもんだ、と五十嵐は思ったが、熱っぽく語る隅の声は止まらない。

「初めてこれを見たのは9才の頃だよ。父の書斎にあった画集を盗み見、一目で衝撃を受けたのを覚えている」

「およそ、子供の好む絵と思えんが」

「私のような人間の為に描かれた絵だと思えて、ね」

 隅は笑って立ち上がり、指先で絵の表面を撫でた。

 レプリカとは言え、複製画家が丹念に書き上げた逸品で、油絵の具の盛り上がりまでしっかり再現されている。

「物心ついた頃から周囲に馴染めず、強い違和感、孤独……誰にも言えない血の衝動を持て余していた。世に相いれぬ異界の旅人、と己を見なし続けていたのさ」

「思春期に付き物の感傷じゃな。今風に言えば中二病」

 五十嵐の毒舌を冷笑で受け、隅の目が挑発的な光を増していく。

「馴染めないなりに、私は周囲の期待へ応え続けた。裕福な親から溺愛され、およそ挫折した記憶が無い」

「面倒臭いガキだった訳だ」

「面倒? ここまで来て言葉をオブラードに包む必要は無い。想像しているだろう、サイコパスの卵、小さなシリアルキラーを」

 自身が殺人者と告白したに等しい言葉を受け、五十嵐は内心、逃げ出したくなった。

 先程の赤いコートと言い、五十嵐の来訪を隅は予期していて、何ら隠す気が無いらしい。不意を突く所か、掌で踊らされるのはこちらの方だと嫌でも意識させられる。

「問題行動の類も起こしていたのか?」

「例えばマクドナルドの三兆候……寝小便、火遊び、動物虐待あたりかい?」

「快楽殺人者の幼少期に共通する要素だろ」

「ハハッ、馬鹿馬鹿しい。まぁペットの足を切り、埋める程度の遊びなら、したがね」

 隅は軽く笑い飛ばし、再び複製画へ目をやった。

「サイコパスが日本で受ける扱いは常に同じさ。理解不能な怪物と決めつけ、抹殺するまで騒ぎ立てた末、束の間の安心を演出する。自身の内側に、立脚する大地の奥底に、どれ程の闇が横たわっているかも知らず、『普通』という幻想へ胡坐をかいて」

 らしからぬ熱い語勢が、ふと氷点下の冷たさに転じる。

「だが仮に怪物だとして、初めからそう生れつくのか? それとも成長の過程で、そう作り上げられるものなのか?」

「悪の起源……か」

「私は罪に飢える者とそうでない者の境界を探りたい。その願望に抗えず、外科から心理学へ転身した。そして、この絵の問い『我々は何処へ行くのか』こそ生涯を賭すテーマとなったんだ」

「警察の研究に加わり、わしと一緒にFBIへ行ったのも、その一端と言いたそうじゃな」

「フフッ、良く判っているじゃないか。やはり、君は私の最高の理解者だね」

 隅は絵から離れ、診察用の椅子に座り直してデスク上のパソコンを起動させた。

 現れた画面は『タナトスの使徒』。それもダークウェブ版だ。

「研究の完成度を高めるには、狩る側と狩られる側、両方の視点が不可欠なのさ。大学院を辞めた後、私が地方の病院を転々としたのは知ってるね」

「ああ」

「その際、未だ無自覚な社会病質者、或いはその要素を持つ者を探してみた。欧米に比べ、日本人のサイコパス比率は極度に低いと言われているが、どうして、どうして……クリニックを開く頃には小規模ながら、各地をカバーする潜在的サイコパスのネットワークを作り上げていたんだ」

「ネットワークと言えば聞こえはいいが、ある意味、犯罪予備軍の互助会じゃねぇか」

「身も蓋も無いな、君。衝動のコントロールを目指すグループ・セラピーも予定していたんだがね」

「社会病質は治療の対象にならない事、百も承知の癖に」

「あくまで知的な試みさ。で、彼らへ密かにアクセスする手段にインターネットを選んだ」

「やっぱり、あんたが『タナトスの使徒』の元凶だったんだな」

「手頃なアングラ・サイトを買収し、ネットワークの会員を繋ぐツールにするつもりだったが……」

 何か、思い出したらしい。くっくっと隅は含み笑いを始め、五十嵐は苦虫を噛み潰した表情で次の言葉を待つ。

「いや、失礼。面白い出会いが幾つか在ったんだよ」

「出会い?」

「ネットの会員希望者が予想以上に多くてね。但し、猟奇犯罪へ憧れるだけの者に用は無い。自力でHPに隠された入口を見つけられる者のみ、コミュニティへ招いた」

「この医院に呼び寄せたのか?」

「その必要は無くなったんだ。通常のサイトだと傍受リスクを避けられないが、ダークウェブの使用により、実際に皆を集めずとも安全に交流を維持できると判ったのさ」

 パソコンを操る隅の指先は滑らかに動き、『タナトスの使徒』のウィンドウ内に、埼玉での殺人現場と思われる動画を表示する。

「見たまえ。私の初ライブだ」

 画面中央には、既に血塗れの女が倒れていた。

 遺体を切り刻む隅は例のコートを着ているが、富岡を襲った際に付けていたという赤い仮面はまだ無い。代りに、顔へ薄いモザイクが掛けられている。

「これは会員が抱く願望の代償を映像で提供する試みでね」

「つまり、危ない奴らが内心やりたくてもやれない悪事を代りにやって見せた訳か」

「過去のシリアルキラーを真似たのは、その方が彼らのカタルシスに繋がると思ったからだ。中々、面白い実験だろ?」

「実験の為に、人を!?」

「勿論、趣味と実益を兼ね、それなりに楽しませて貰ったよ」

 画面の中で隅は冷蔵庫を開き、食品を並べ直した後、濁った牛乳瓶の中身を舌先で舐める。

 それなりに美味だったのだろう。
 
 モザイクの向うで、曖昧な口元のラインが笑みを象った様だ。
 
「最初の実験は稚拙だったが、それが改善のヒントを与えた。お陰で良くなってきたんだ、色々とね」

 更に次々と凄惨な殺人ライブが画面に現れる。

 全てが隅の犯行か否かは、どのライブの犯人も赤いコートと仮面で身を包んでいる為、わからない。
 
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