緋の残像 伝説の殺人鬼が恋人の心の奥で蘇る

ちみあくた

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或る人殺しの肖像 6

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 『実験』と隅は言った。

 シリアルキラーの要素を持つ者が、相互に影響しあい、衝動のコントロールを目指すグループセラピーだと。

 それが事実でも、他者の犯行による代償行為に飽き足らず、自ら手を下す『会員』は少なからず存在したのではないか?

 いや、むしろ攻撃衝動を鎮めるより駆り立てる方向へ『会員』を導く事こそ、隅が意図する『実験』の真の狙いでは?

 日本各地で心の闇を抱える者のネットワークを作ったと言う言葉を信じるなら、患者として出会った者の中から対象者を選び、勧誘したのだと推察できる。

 では、どのような人物を対象としたのか?

 隅と同等の資質を持つ天性のサイコパスなど、そう居るものではない。だとしたら発掘し、駆り立て、世に放ったのでは?

 危険な衝動を燻らせつつ、辛うじて日常へ踏み止まる『普通』の精神を揺さぶり、深淵へ突き落す『実験』こそ、隅が思い描く本来の形だと思えてならない。

 それが過去の一定期間、継続して行われたと仮定した場合、モルモット役の被害者は如何にして供給されたのか?

 動画に記録された殺人は山奥や廃屋等、隔離性、隠匿性の極めて高い場所で行われており、五十嵐には心当たりの無い事件ばかりだった。即ち、未だ警察に認知されていない犯罪の可能性が高い。

 日本の行方不明者の膨大な数を五十嵐は思った。

 その内の何パーセントかが、緻密に組織されたシリアルキラー集団の巧妙な『実験』の生贄になっていたとしたら……





「あんた、一体、何人殺した!?」

 必死の問い掛けを煙に巻き、満面の笑みを隅は浮かべた。

「……他にも聞きたい事はある。研修レポートの反転写真を、わざわざ事件現場へ再現したのは何のつもりじゃ?」

「おや? それが判ったから、ここまで来たんだろう?」

「つまり、わしへの挑発か?」

「そう大層な話でも無い。折角仕込んだ悪戯の種を長らく放置していたのに気付いてね。消化する傍ら、君も我がコミュニティへお招きしようと」

「だから……何故、わしなんだ?」

「だって、君、寂しいじゃないか。如何にうまく演じようと、審美眼を備えた理解者が客席に居ないステージなんて」

 シリアルキラーの承認欲求。

 FBIの講義で語られた内容が、当時、五十嵐の隣で聞いていた男により演じられている。
 
 危機的でありながら、何処か現実感が希薄な状況を変えたのは、隅が机の引出しから取り出す外科用のメスだった。

 わざと洗っていないのだろう。

 乾いた血の飛沫が、まだ刃先に残っている。

「レポートに記した著名な殺人者の一人、エドモンド・エミル・ケンパーは刑務所の心理学部門で働いていた事、覚えてるね?」

「……無論だ」

「彼は切断した遺体を愛車のトランクにいれたまま、その車を乗り回し、駐車した場所のすぐ側で精神科医や警官と会話を楽しんだと言う」

 隅が掌で弄んでいたメスを握り直す。切っ先が自分の方を向くのを見て、五十嵐は息を呑んだ。

 隅の目が、もう笑っていない。

 露骨な殺意を発し、しかも、その殺意の高まりを楽しんでいるのが歪んだ口元から伝わる。
 
「そういう意味では、私は君の側にいた時、既にエドモンド・ケンパーを演じていたと言えるかも、ね」

 五十嵐はデスクの上の物を力一杯、掌で払い、隅の方に飛ばしてドアへ走った。

 隙を作ったつもりだったが、予期されていたらしい。

 獣じみた敏捷さで一足先にドアへ回り込み、隅は殴りかかろうとする五十嵐の足を払った。

 無様に倒れる旧友の胸を踏みつけ、身をかがめて、メスを喉元へ突きつける。
 
 こんなに身近に死の息吹を感じたのは、五十嵐にとって初めての経験だった。

 何故、襲われる可能性を軽視し、ちゃんと武装してこなかったのか。己の迂闊さを後悔したが、もう手遅れだ。
 
 数知れず見てきた被害者達の、死後ぽっかり開かれたままの虚ろな瞳孔が脳裏を過った。

「どうだい、これもイイだろう?」

 隅の声に歌うような響きがある。

「外科医をしていた頃から愛用の品なんだが、切れ味が落ちないのさ。他の用途でも随分と役立ってくれた」

「凶器だろ、この人殺し!」

 怒鳴ったのはせめてもの意地だ。震えが声に出そうだが、抗う意思さえ示せない獲物の立場に甘んじるのは嫌だった。

「興醒めだねぇ、五十嵐君。結構長い付き合いなのに、そんな無粋な表現をするとは」

 冷たい刃先が五十嵐の喉仏に触れ、表面を薄く撫でる。

 つ~っと血の滴が喉の皮膚を伝うのが判った。

「死ぬ……死なない……死ぬ時……死ねば?」

 隅の声がまた歌う。

 垂直にあと少し力を込めればメスは動脈を裂き、五十嵐を死へ追いやるだろう。

 いや、獲物を弄る隅の面持ちからして、ゆっくり気管を切開し、もがき苦しむ様を見物するかもしれない。
 
「止せっ、やめてくれ」

 必死の怒声は呆気なくか細い呻きへ転じ、五十嵐は抗う気力を失った。

「フフッ、五十嵐君、君が一人でここへ来たって事は、まだ僅かながら私を信じたい気持ちもあったんだよね?」

 メスは更に皮膚を撫で、五十嵐が何か言おうとしても、顎を動かすだけで刃先が深く喰い込みそうだ。

 ただ旧友を無言で見つめる事しかできず、目蓋に涙が溜まるのを感じる。自分でも理由の判らない涙が、頬を伝って落ちていく。
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