緋の残像 伝説の殺人鬼が恋人の心の奥で蘇る

ちみあくた

文字の大きさ
46 / 105

虚ろなる羊の内に 6

しおりを挟む


 志賀のマンションを飛び出し、どれ位経ったのだろう?

 今、10時? 11時?

 夜中なのは確かだが、時間の感覚が定かではない。

 まだ夏が名残を留める時期なのに、路地を彷徨う内、身を切る寒さを感じた。

 薬が切れてきた証かも知れない。半裸の状態から適当に羽織って外へ出た分、素肌を刺す夜風が気になる。
 
 下弦の月が掛かる薄曇りの空で街灯の少ない辺りは視界が悪く、疎らに落ちる澄んだ月明かりが寒気を一層痛感させた。

 もう、あいつンとこ、引き返しちゃおっか?

 そんな風に思ったものの、もと来た道へ足が向かない。無断で裸身を撮影された憤りがまだ胸の奥で燻っている。

 それに、もう少し頭が冴えれば、すぐ住処へたどり着ける筈だった。

 志賀のマンションから距離にして1キロメートルも離れていない場所に、ワンルームの賃貸マンションを借りている。

 家賃一か月6万円ちょいで、ユニットバスとシャワー付き。

 無職の茜の代りに月々の家賃を支払っているのは志賀だ。一見、プー太郎っぽいのにあいつ、意外と金回りが良い。

 何で稼いでいるやら?

 ユーチューバーを自称していても、アフィリエイトで稼げるレベルじゃない。管理人を務めている『タナトスの何とか』にせよ、極端な題材のアングラサイトだから高収入に結びつくと茜には思えなかった。

 なのに、あの羽振り。もしかして凄い金づるがいるとか?

 茜を同居させず、志賀が「特別な仕事」と呼ぶ何かの作業を行う際は編集室へ寄せ付けないから、そこで実入りの良い仕事をこなしているのかもしれない。

 何にせよ、金に困る姿を見た覚えが無かった。茜の生活費を出している事にせよ、高価なペットのつもりなのだろう。

 ま、別にペットでも良いけどさ、可愛がってくれるなら。

 志賀は茜の気持ちをいつも無視する。

 抱きたい時に抱き、動画のネタや小道具に使い、ストレスが溜まると暴力を振う。

 強引に勧められ、すっかり虜になった『薬』の魅力が無ければ、とっくに逃げ出していたと思う。
 
 何でも言いなりの暮しに内心限界を感じていた。何時の日か、擦り切れた気持ちが暴発する予感は膨らんでいた。

 で、さっきの騒ぎだ。

 厄介な女と思われたかな? でも、捨てられるんなら捨てられても良い。どうせ、行くとこも、アテも無いもん。ハハッ、何ンかで見たわ、絶望する十代って奴? ソレな! そう、ソレ!

 もう、どうせ……お先真っ暗なんだから、さ。





 体の芯を冒す寒気が耐えがたくなり、茜は道端の自動販売機で缶コーヒーを買って、湯たんぽ代わりに懐へ抱いた。

 早く帰らなきゃ。

 薬が醒めると反動で不安が強まり、路上で立ち竦んだまま動けなくなった事もある。もう一本、缶コーヒーを買い、抱えて路地を歩き出した時、背後に気配を感じた。

 はっとして振り向く。

 何か動いた様な……でも、その何かは路地の隅、暗い物陰へ溶け、何処に行ったかわからない。
 
「ススム?」

 志賀が追ってきたかと思い、薄闇の向うへ声を掛けてみても返事は無い。

「ススム……いるなら、出てきてよぉ」

 強い風が静寂の闇を吹き抜けた。

 寒い。そして、怖い。

 中毒症状に陥っている彼女の感覚の中で景色の色合いがぼやけ、酷く歪んで見える。

 その歪みを潜り、赤い……真っ赤な服を着た誰かがユラユラと……体を左右へ揺らし、近づいてきた。他に人影は無い。この辺はオフィス街で住宅が少ないから、夜間に出歩く人もいない。
 
 それを見越しているのだろう。赤い何かの歌う声……電子音に似た耳障りな声が風に乗って流れてきた。





 それでも曇って泣いてたら、そなたの首をチョンと切るぞ。





 歌の最後でクスクス笑う声。耳を塞いでも悪寒が胸の奥からこみ上げる。

 耐えきれずに悲鳴を上げ、茜は走った。

 缶コーヒーが手元から落ち、路上で転がる音がやけに遠く聞こえる。よろけながら無我夢中で、今にも絡まりそうな足を動かし続けた。
 
「あたしの……あたしのお家、何処ぉ!?」

 残る薬物の影響が意識を錯綜させ、混乱しきった頭はすぐ近くにある筈のワンルームマンションへ中々辿り着けない。

 変な所を曲がり、酷く遠回りした気がする。

 1キロ程度の道のりが果てしなく遠い。漸く見慣れた玄関の灯りが見えた時、茜は歓喜で飛び上がった。

 恐る恐る後ろを振り返り、誰かが追ってきていないか確かめ、ほっと胸を撫で下ろす。

 マンションビルの玄関はオートロック式で鍵が無いと入れない。

 茜は息を切らしたまま、金属製の玄関ドアを抜け、ホールの先にあるエレベーターのスイッチを押した。
 
 扉が開くまで気が気でない。

 何度も玄関の方を振向き、扉が開くと飛び込んで、自室のある5階のスイッチを押す。
 
 扉が閉じ、やっと一息ついた。
 
 あぁ、もう……別れなきゃ、アノヤロウ、絶対ェ別れる。薬の事は……え~っと、お医者さんに相談して……ううん、その前にお母さんへ電話……
 
 でもエレベーターの扉が開いた時、あの『赤い影』が眼の前に立っているのを茜は見た。

 道に迷う間、先回りされたのだろうか?

 膝から力が抜け、茜はエレベーターの壁に凭れたまま、ズルズルと崩れ落ち、床へ尻餅をついた。

 赤いレインコートの上の潰れた仮面が迫り……壊れかけたボイスチェンジャーの、ノイズ混じりの声が囁く。
 
「逃げル? 逃げれバ? 逃げらレ、る?」

 志賀が良くやる、おどけた口調だ。ひび割れた仮面の穴から血走った男の目が覗く。

 いつも通り茜の恐怖を楽しんでいると思ったが、違う。不安定に左右へ揺れ動く瞳は、むしろ哀し気だ。

「ススム……ススム、でしょ?」

 答えは無い。

「ススムなんでしょ、ねぇ、ゴメン。ごめんなさい。あたし、いい子にするから」

「俺……あの人に、怒らレ……」

 辛うじて聞こえる声で赤いてるてる坊主は呟き、コートの胸元から金槌を取り出して、ゆっくり振り上げた。

「怒らレ、る……みんなに」

 仮面の割れ目から又、血走った目が垣間見えた。確かに怯えている。泣き出す寸前の子供の目だ。

 茜は逃げなきゃ、と思った。でも竦んで動けない。目に一杯涙を溜め、ひび割れた赤い仮面へ懇願する。

「ススム、いや……」

 意識を失う前に、茜は自分の頭頂部を強打する金槌の風切り音を聞いた。

 痛みや冷たい感触を意識する事も無く、エレベーターの中で動かなくなった彼女の体を、赤いレインコートの男は引きずりだし、そのまま廊下を歩き出す。





 てるてる坊主、てる坊主、あした天気にしておくれ。





 仮面の中の瞳は先程までの怯えが嘘のように楽し気で、ノイズ交じりの耳障りな歌声がワンルーム・マンションの狭い廊下に響き、一室のドアが開く音と共に消える。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

秘書と社長の秘密

廣瀬純七
大衆娯楽
社内の調査のため、社長・高橋健一はこっそり秘書・木村由紀と不思議なアプリで入れ替わることに。 突然“社長役”を任された由紀と、自由に動ける立場を手に入れた高橋。 ふたりの秘密の入れ替わり作戦は、どの様な結末になるのか?

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

処理中です...