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君が深淵を覗く時 2
しおりを挟む一方、臨はこの時、精神神経医学教室のパソコンデスクに座ったまま、キーボードの右隣に顔を伏せ、小さな寝息を立てている。
守人の催眠療法、志賀の乱入と続く騒動の後、富岡・笠松両刑事が訪れて、二人から隅亮二という過去のシリアルキラーに関して話を聞いた。
生死さえ不確かな隅が、過去の凶悪犯罪と都市伝説を扱うアングラ・サイト『タナトスの使徒』と深い繋がりを持ち、志賀進を操っていた可能性も高いのだと言う。
だとしたら、守人を巡る不可解な出来事の背後にも隅がいるのかもしれない。
臨は富岡に頼み込み、隅について詳しい在野の犯罪研究家・五十嵐武男を紹介してもらった。そして、五十嵐からネット経由で様々な情報の提供を受けたのだが、まる10年分だから半端な量では無い。
おまけに、パソコンのアプリケーションもいじらなければならなかった。
『タナトスの使徒』の本体と言うべき裏サイトはダークウェブのサイバースペース上に存在しており、その閲覧には『TOR BROWSER』が必要だと教えられたのだ。
ⅠTネタで一番頼りになる増田文恵は、生憎、実家の用事で登校しておらず、臨が自分でやらねばならない。
『TOR BROWSER』にはWindows版もあるから、それをラボのパソコンにインストールすればOK。
但し、一般向けのアプリじゃない分、扱いは楽じゃない。
五十嵐に何度かメールでアドバイスを仰ぎ、悪戦苦闘を繰返した挙句、ラボで徹夜する羽目になった。
そして、やっとこさインストールと設定を完了させた後、襲い掛かる睡魔に負けたのだ。
あまり寝相のいい方ではなく、ゴロリと頭を転がしてデスクからずり落ちかけた時、横から出た手がヒョイと支える。
「んにゃ?」
寝ぼけ眼の臨を見下ろし、デスクの傍らに立つ来栖晶子が含み笑いを堪えている。
二日前に受けた傷で額へ絆創膏を貼っていたが、それ以外はいつも通りのシックな美貌だ。
「あっ、先生! ごめんなさい、あたし……うわ、もう9時半!?」
頬を真っ赤にして飛び起き、晶子に深く頭を下げた。
外での公演等、特別な予定が無い限り晶子はいつも9時過ぎに研究室へ来るから、暫く無防備な寝姿を師へ晒していた事になる。
「おはよう、能代さん」
「お、おはようございます……」
何時の間にか外れていたブラウスのボタンをはめ、アタフタする臨に晶子は堪え切れず、声を上げて笑った。
「すみません……もうあたし、高槻君にしっかりしろ、だなんて偉そうに言えないわ」
「気にしないで。昨日、ここへ泊まったの?」
「ホント……すいません」
「ま、あなたの暴走はいつもの事だし」
直立不動で体を固くしている臨の肩を軽く叩き、プリントアウトされていた五十嵐の資料を手に取って、晶子は自分の席へ腰を下ろす。
「むしろ感謝しないと。高槻君について、一晩中調べていたんでしょう?」
「はい」
「この資料、私には初見の物ばかりね」
「それは、え~……来栖先生の所へ、警察の富岡って言う刑事さんから連絡がありましたか?」
「怪我に差しさわりなければ近日中に話を聞きたい、って連絡が留守電に入ってた」
「先日、先生が研究室を出てから、刑事さんがここへ訪ねてきました。で、その人を通して幾つか新しい情報を得て……」
説明を続ける臨の携帯電話の着メロが、デスクに置いたショルダーバックの中から聞こえてきた。
「お、懐かしい。ベンケーシーのテーマ」
「昔の映画が好きな高槻君に影響されちゃいまして……あ、えっ、嘘っ!?」
「どうしたの?」
「電話……その高槻君からです!」
晶子が息を呑むと同時に臨が張りつめた面持ちで電話を取る。しかし、聞こえてきたのは意外と呑気な声だった。
「あ、おはよ~ございま~す」
「……高槻君、無事なのね」
「あ、うん。一応、怪我はしてない」
「今、何処? 何やってるの?」
「それが……え~と、良くわからないンだ。僕、9月30日には大学にいた筈だよね。でも何時の間にか赤い車でドライブしてて、昨日は女の子のヒッチハイカーを乗せてあげたり……で、今、郊外のラブホテルみたいな所に」
「ら、ラブホテル!?」
臨の中で何かプツンと切れる音がした。
「君さぁ、自分の立場、わかってないでしょ!」
「は?」
「大学で起きた傷害事件の重要参考人になったんだよ。姿を消したりしたから、多分、警察にも指名手配されてる」
「はぁ?」
「もしかして、本当に何も覚えてないの、二日前の事?」
「来栖先生に催眠術をかけられた所までなら、うっすらと……」
苛立ちで天を仰ぐ臨を、晶子が優しくたしなめる。
「能代さん、まずあなたの方が落ち着かないと。状況がつかめないで一番不安なのは高槻君よ」
「あ、来栖先生もおられるんですか?」
電話越しに晶子の声を聞き、守人はホッと安堵の吐息を漏らした。自分と話していた時との落差に若干傷つきつつ、臨は電話を晶子へ渡す。
「高槻君、あなたがいる場所、正確に判る物はあるかしら?」
「あ、はい。テーブルの上に宣伝付きのポケットティッシュを見つけました。住所と電話番号を書いてあるんで、読みます」
晶子は電話をスピーカーフォンにし、守人の言う住所を臨にメモさせた後、ラボの診察室で起きた事を端的に説明し始めた。
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