87 / 105
宴の前に 3
しおりを挟む(31)
浮かない顔の笠松透が仙台駅からタクシーに乗り、陸奥大学の校門前で降りたのは、夕日が山の端へ消えかけた午後六時過ぎの事である。
ここに来ると、ろくな事無いんだけどな、俺。
今や癖になりつつある溜息交じりのぼやきを漏らし、人気のない青葉山キャンパスを通り抜けて、医工学科ビルへ向かう。
本当なら今頃は東京駅へ着いている頃合いだ。
仙台駅でチケットを買い、東北新幹線に乗り込む寸前のホームで、笠松は富岡からの電子メールを受け取った。
「来栖准教授の研究室へ向かって欲しい。本当に申し訳無いが、他に頼める奴がいないんだ。生きて帰ったら必ず恩は返す」
読んで、最初はケッと笑った。
誰が言う事を聞くもんか。貧乏くじの展開が見え見えなんだよ、馬鹿らしい。
そう吐き捨て、無視しようとしたものの「生きて帰ったら」と言うフレーズが気になる。
宮城県警の前で別れた時の雰囲気だと、一人で捜査する腹づもりが富岡には伺えた。ゲーム好きの弟なら「フラグ立てまくり」とのたまう事だろう。
捜査本部は富岡を信じていない。同時に富岡の方も警察組織へ疑いの目を向けている気がした。
確かに、隅亮二には科捜研に関わっていた時期があり、その時の人脈が生き残っていたとしても不思議は無い。
しばらく迷った末、笠松は東京へのチケットを払い戻して、富岡が指示した場所へ足を運んだ。
夏休みが明け、最も人の少ない時期にあたる大学構内へと。
屋内照明が点灯した医工学科ビル4階まで上がり、来栖晶子のラボ前へ来ると、室内には増田文恵、伊東正雄の二人しかいなかった。パソコンの画面と睨めっこし、何か調べている。
「オイ、君達、ここを開けてくれ!」
ドアは暗証番号式のロックが掛かっており、部外者は入れないので、窓越しに声を上げる。既に顔見知りの気楽さで強化ガラスを叩くと、正雄が振り向いた。
「お、捜査一課のグチ夫さん」
「あぁ?」
神経に触る呼び方で目を向く笠松を気にもせず、正雄はドアを開く。文恵も振り向き、疲れた目の上を揉みながら笠松へ頭を下げた。
「いや~、富岡さんが俺らの身を案じて、身辺警護の助っ人を呼ぶ、とは言ってくれたけど……」
「来るか来ないか五分五分と言ってたもんね、あの人」
安堵した二人が顔を見合わせる間、笠松は部屋の中をじっくり見回してみる。
「で、富岡さんは?」
「えっ? 聞いとらんの?」
「何を?」
「あの人、ここにはいませんよ」
文恵にあっさり言われ、笠松は肩から力が抜けた。
それからダークウェブ版『タナトスの使徒』のアクセスに成功した事、視聴可能になったライブ映像から富岡が能代臨、高槻守人の居場所を特定した事等を、かいつまんで文恵が話す。
「そうか、とうとう謎が解けたのか。やるなぁ、君ら」
謙譲の美徳とは最も縁が薄い男、正雄が思いっきりドヤ顔をしてみせた。
「サイトから分かった事は、能代さんが拉致されている場所についてだけ?」
「いえ、他にも」
文恵はサイトからダウンロードしたデータファイルを開く。
ネットワークのメンバーについて、個人情報が記載されているのを期待し、笠松は身を乗り出すが、残念ながらそっちは空振り。
その代わり、『タナトスの使徒』と何らかの関りを持つ事件報道の莫大なコピーがPDF形式で収められている。
英語やフランス語、中国語に至る迄、多言語で書かれた文字は読めずとも、記録写真を見るだけでおぞましい事件ばかりなのは明らかだ。
早速、日本語の記事を検索して抽出。その中に笠松は見覚えのある名前を見出した。
「2007年2月19日、向井健人という37才の銀行員が妻を殺した事件……これ確か、能代さんが子供の頃に遭遇した奴だ」
ハッとした顔で文恵は笠松を見る。
「この向井の事件がきっかけで彼女、加害者の心を救う決心をしたんだよな?」
「でも私、臨の幼馴染で、その事件の事も覚えてますけど、違うんですよ。今のあの子が記憶している事件の内容と実際に起きた事の経緯が、若干……」
「能代さん、覚え違いをしたのかな?」
「私も、最初はそう思いました」
「ん~、臨ちゃんに確認した事、あらへんの?」
「一度だけ、ある」
「何て言うとった?」
不躾な正雄の質問に対し、文恵は躊躇いがちに答えた。
「頭ごなしに否定されたよ。私が勘違いしてるんだって、さ。ろくに話を聞いてくれなかった」
「頭ごなし、か。いつもの臨ちゃんらしゅう無い」
「うん……で、記憶と事実の相違を富岡さんにも話してみたら、あの人、ポツリと言ったんです。『作られた』んだな、彼女も……って」
「能代さんが『作られた』!? 富岡さん、どんなつもりでそんな事を口にしたんでしょうか?」
「わかりません。でもその後、臨が拉致されている場所の特定を急ぎ始めて、判明したら、すぐここを飛び出しちゃった」
「つまり、あのオッサン……たった一人で『赤い影』の根城へ乗り込んじまったって事か!?」
「止めたんですけどね、私達も」
まさに死亡フラグの立て放題……でも、身勝手さに腹が立つ反面、笠松には富岡の気持ちが理解できた。
警察内の不審が拭えない上、隅との決着を自分の手で付けたいと言う気持ちが抑えられなかったのだろう。
それに何か、文恵との話の中に一刻を争う危険な匂いを嗅ぎ取ったのかも知れない。
「あんたら相棒やろ? 意思疎通、全然できとらんのちゃうか?」
「わかってるよ、そんな事!」
つい怒鳴ってしまい、笠松はうな垂れて、
「すまない。俺もあの人には振り回されっぱなしで」
姿勢を改め、頭を下げる。
「前のめりのマイペースは始末に負えませんよね。その辺り、私は良く判ります」
「弱気過ぎる草食系も意外にタチ悪いけどな」
笠松は苦笑し、ダークウェブ版『タナトスの使徒』を覗き込んだ。今は『イベント準備中』と多言語で表示されており、動画ウィンドウの中は真っ黒だ。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
秘書と社長の秘密
廣瀬純七
大衆娯楽
社内の調査のため、社長・高橋健一はこっそり秘書・木村由紀と不思議なアプリで入れ替わることに。
突然“社長役”を任された由紀と、自由に動ける立場を手に入れた高橋。
ふたりの秘密の入れ替わり作戦は、どの様な結末になるのか?
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる