緋の残像 伝説の殺人鬼が恋人の心の奥で蘇る

ちみあくた

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宴の前に 3

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 浮かない顔の笠松透が仙台駅からタクシーに乗り、陸奥大学の校門前で降りたのは、夕日が山の端へ消えかけた午後六時過ぎの事である。

 ここに来ると、ろくな事無いんだけどな、俺。

 今や癖になりつつある溜息交じりのぼやきを漏らし、人気のない青葉山キャンパスを通り抜けて、医工学科ビルへ向かう。





 本当なら今頃は東京駅へ着いている頃合いだ。

 仙台駅でチケットを買い、東北新幹線に乗り込む寸前のホームで、笠松は富岡からの電子メールを受け取った。

「来栖准教授の研究室へ向かって欲しい。本当に申し訳無いが、他に頼める奴がいないんだ。生きて帰ったら必ず恩は返す」

 読んで、最初はケッと笑った。

 誰が言う事を聞くもんか。貧乏くじの展開が見え見えなんだよ、馬鹿らしい。

 そう吐き捨て、無視しようとしたものの「生きて帰ったら」と言うフレーズが気になる。

 宮城県警の前で別れた時の雰囲気だと、一人で捜査する腹づもりが富岡には伺えた。ゲーム好きの弟なら「フラグ立てまくり」とのたまう事だろう。

 捜査本部は富岡を信じていない。同時に富岡の方も警察組織へ疑いの目を向けている気がした。

 確かに、隅亮二には科捜研に関わっていた時期があり、その時の人脈が生き残っていたとしても不思議は無い。

 しばらく迷った末、笠松は東京へのチケットを払い戻して、富岡が指示した場所へ足を運んだ。

 夏休みが明け、最も人の少ない時期にあたる大学構内へと。





 屋内照明が点灯した医工学科ビル4階まで上がり、来栖晶子のラボ前へ来ると、室内には増田文恵、伊東正雄の二人しかいなかった。パソコンの画面と睨めっこし、何か調べている。

「オイ、君達、ここを開けてくれ!」

 ドアは暗証番号式のロックが掛かっており、部外者は入れないので、窓越しに声を上げる。既に顔見知りの気楽さで強化ガラスを叩くと、正雄が振り向いた。

「お、捜査一課のグチ夫さん」

「あぁ?」

 神経に触る呼び方で目を向く笠松を気にもせず、正雄はドアを開く。文恵も振り向き、疲れた目の上を揉みながら笠松へ頭を下げた。

「いや~、富岡さんが俺らの身を案じて、身辺警護の助っ人を呼ぶ、とは言ってくれたけど……」

「来るか来ないか五分五分と言ってたもんね、あの人」

 安堵した二人が顔を見合わせる間、笠松は部屋の中をじっくり見回してみる。

「で、富岡さんは?」

「えっ? 聞いとらんの?」

「何を?」

「あの人、ここにはいませんよ」

 文恵にあっさり言われ、笠松は肩から力が抜けた。

 それからダークウェブ版『タナトスの使徒』のアクセスに成功した事、視聴可能になったライブ映像から富岡が能代臨、高槻守人の居場所を特定した事等を、かいつまんで文恵が話す。

「そうか、とうとう謎が解けたのか。やるなぁ、君ら」

 謙譲の美徳とは最も縁が薄い男、正雄が思いっきりドヤ顔をしてみせた。

「サイトから分かった事は、能代さんが拉致されている場所についてだけ?」

「いえ、他にも」

 文恵はサイトからダウンロードしたデータファイルを開く。

 ネットワークのメンバーについて、個人情報が記載されているのを期待し、笠松は身を乗り出すが、残念ながらそっちは空振り。

 その代わり、『タナトスの使徒』と何らかの関りを持つ事件報道の莫大なコピーがPDF形式で収められている。

 英語やフランス語、中国語に至る迄、多言語で書かれた文字は読めずとも、記録写真を見るだけでおぞましい事件ばかりなのは明らかだ。

 早速、日本語の記事を検索して抽出。その中に笠松は見覚えのある名前を見出した。

「2007年2月19日、向井健人という37才の銀行員が妻を殺した事件……これ確か、能代さんが子供の頃に遭遇した奴だ」

 ハッとした顔で文恵は笠松を見る。

「この向井の事件がきっかけで彼女、加害者の心を救う決心をしたんだよな?」

「でも私、臨の幼馴染で、その事件の事も覚えてますけど、違うんですよ。今のあの子が記憶している事件の内容と実際に起きた事の経緯が、若干……」

「能代さん、覚え違いをしたのかな?」

「私も、最初はそう思いました」

「ん~、臨ちゃんに確認した事、あらへんの?」

「一度だけ、ある」

「何て言うとった?」

 不躾な正雄の質問に対し、文恵は躊躇いがちに答えた。

「頭ごなしに否定されたよ。私が勘違いしてるんだって、さ。ろくに話を聞いてくれなかった」

「頭ごなし、か。いつもの臨ちゃんらしゅう無い」

「うん……で、記憶と事実の相違を富岡さんにも話してみたら、あの人、ポツリと言ったんです。『作られた』んだな、彼女も……って」

「能代さんが『作られた』!? 富岡さん、どんなつもりでそんな事を口にしたんでしょうか?」

「わかりません。でもその後、臨が拉致されている場所の特定を急ぎ始めて、判明したら、すぐここを飛び出しちゃった」

「つまり、あのオッサン……たった一人で『赤い影』の根城へ乗り込んじまったって事か!?」

「止めたんですけどね、私達も」

 まさに死亡フラグの立て放題……でも、身勝手さに腹が立つ反面、笠松には富岡の気持ちが理解できた。

 警察内の不審が拭えない上、隅との決着を自分の手で付けたいと言う気持ちが抑えられなかったのだろう。
 
 それに何か、文恵との話の中に一刻を争う危険な匂いを嗅ぎ取ったのかも知れない。

「あんたら相棒やろ? 意思疎通、全然できとらんのちゃうか?」

「わかってるよ、そんな事!」

 つい怒鳴ってしまい、笠松はうな垂れて、

「すまない。俺もあの人には振り回されっぱなしで」

 姿勢を改め、頭を下げる。

「前のめりのマイペースは始末に負えませんよね。その辺り、私は良く判ります」

「弱気過ぎる草食系も意外にタチ悪いけどな」

 笠松は苦笑し、ダークウェブ版『タナトスの使徒』を覗き込んだ。今は『イベント準備中』と多言語で表示されており、動画ウィンドウの中は真っ黒だ。
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