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宴の前に 2

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 そこは集落というより町に近い規模で、公民館と思しき建物の辺りは道がアスファルトに覆われており、住宅も多い。

 車を降り、守人と並んで通りを歩いて、住み心地のよさそうな場所だと臨は思った。

 だが、誰もいない。コンビニを含む幾つかの店舗があるのに、その全てがシャッターを下ろしている。

 ゴーストタウンさながら、乾いた風が吹き抜ける景色を見回し、臨は改めてここが何処か、確信を抱いた。

 でも、だとしたら誰かに助けを求める希望もまるで無い事になる。





 しばらく歩いて、守人は一際目立つ大きな建物へ向い、その門をくぐった。

 小学校だ。いや、子供の姿は何処にも無いから、以前は小学校だった場所、と言うべきか?

 玄関に並ぶ長い下駄箱は郷愁を感じさせる風景だ。

「何か、ちょっと懐かしいね」

 敢えて呑気な調子で言う臨を無視し、守人は彼女の右腕を握ったまま、土足で廊下へ上がっていく。

 普通は無邪気な子供の絵が飾られている筈の壁に、不気味な絵や写真が貼られていた。

 陰惨な心象風景を表わす抽象画は、表現療法の一環として精神疾患の患者が描く絵に似ている。

 知られざる犯罪の被害者であろう骸の写真……遺体を踏みつけ、笑顔でピースサインを出す若い男女のポートレートもある。
 
 その陰惨な傾向は奥へ進むほど顕著になった。

 並行して古い品の展示が増えていく。
 
 渡り廊下の手前、講堂を兼ねた体育館が見える位置まで来ると、更に異様な光景が広がり、臨は息を呑んだ。

 血塗られた凶器の現物、切断されてミイラ化した手首、眼球のホルマリン漬け、全身が揃った白骨まであり、さながら快楽殺人の記念館である。

「……一体、何なのよ、ここ?」

 割れた窓の隙間をくぐり、吹き込む風には季節外れの生暖かさが含まれていたけれど、臨の首筋には寒気が走った。

 前方の講堂から冷気が漂ってくる。

 誰かがいる。

 冷たく、凶悪な殺気を漲らせ、二人を待っている。

 守人にも、それが感じられたのだろう。講堂へ続く渡り廊下の途中で急に立ち止まり、ポケットから木製の小箱を取り出した。

「ねぇ……殺してあげようか、今すぐ?」

 重苦しい声音と共に小箱から取り出された古いメスが、天井からの照明の光を受け、鈍く光る。

 驚いて守人を見ると、メスを握る指先が震えていた。

「この先、君には残酷な運命が待っている。世界へ広がるネットワークの向う側で、血に飢えた観客達が、激痛と絶望に彩られた死のショーを渇望している」

「……その前に、高槻君があたしを楽にしてくれる訳?」

「君が望むなら」

「今更、どうしてよ? 何を怖がってるの? イベントの生贄にする為、君はあたしをここへ連れてきたんじゃないの?」





 問いかける臨は、既に彼女なりの明確な答を得ていた。

 やはり守人の中で強い揺り戻しが起きている。

 それは又、二つの人格が相互に拒否反応を示しつつ、それでも徐々に確かな歩み寄りを始めた事も示しているに違いない。





「逃げられないのは森の中で思い知っただろ? 諦めるしかないなら、僕が……いや、私が他に出来る事は……」

「戦えば良い!」

「……戦う?」

「あたし、最後まであなたの味方になる」

「彼らの力が、君には判ってない」

「じゃ高槻君は? 本当にここであたしが死んでも……二度と会えなくても良いの? 寂しいって気持ち、その胸に、もう残ってない?」

 必死の思いを臨は言葉に込めた。

「隅亮二や、得体のしれない仲間じゃなく、あなたの本当の気持ちを教えて欲しい」

 守人のメスが胸元へ触れるまで、臨は歩み寄った。

 どうしても正解が見つからない苦渋に守人は後ずさるが、ようやく口を開こうとした時、講堂の扉が開く。

「高槻守人の望みは、あくまで我々と共にある。今更、問うまでもあるまい」

 誰……誰よ!?

 臨はその場で凍り付いた。

 扉の奥から聞こえた声はボイスチェンジャーの処理を受け、声音どころか性別さえ分からないまま、こちらを威嚇する。

 扉を踏み出す姿は、守人の悪夢に現れ、今は臨の悪夢でもある悪鬼そのもの……

 まっすぐ渡り廊下へ進む、その赤い仮面と光沢生地のレインコート姿が、差し込む夕日へ鮮やかに映えた。

 同じ衣装を着ていた時の守人より若干長身であり、細身の割りに肩幅がある独特の体形は、五十嵐から得た殺人医師の若い頃の写真に良く似ている。

「隅……亮二さん?」

 仮面の人物は肩を揺らし、電子音の笑い声を発した。

「あなた、やっぱり、生きてたの!?」

 咄嗟に臨が声を上げたのは、驚きの為と言うより、二つの人格の間で揺れ動く守人から『赤い影』の注意を逸らす事が目的だった。

 しかし、奴は臨を一顧だにせず、守人へ近づく。

 一見、仮面の二つの穴が守人の方角を向いているだけだが、目前で立ち止まり、静かに見下ろす沈黙の圧力は恐ろしく大きい。
 
「ご指示の通り、イベントの準備……全て整いました」

 結局、守人にはそれしか言えなかった。

 満足げに『赤い影』は頷き、コートの裾の間から最新型のスマートフォンを取り出して臨の方へ掲げる。

「見たまえ。招かざるゲストの来訪だよ」





 スマホの液晶画面には、臨がいた施設とこの集落を繋ぐ途上、森の中と思われる光景が映し出されていた。

 もう陽が落ちかけていて暗い筈なのに、赤外線を使った撮影で独特の色調の画面は意外と鮮明に見える。
 
 各所に仕掛けられている監視カメラの映像を、直接スマートホンへ転送するシステムを使っているらしく、小さく見えるのは枝を掻き分けて進む貧相な男の姿だ。





「あ、富岡さん……」

 思わず漏らす臨の声を聞き、赤い影は笑った。

 仮面内で電子音に変換された音声でも十分に伝わるほど、楽し気な笑い声にそれは聞こえた。
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