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我々は何処へ行くのか? 1
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己の姿が赤外線カメラで監視されている事など知らぬまま、その瞬間、富岡は拳銃の引き金を引いていた。
間近に迫る真っ黒い野犬が勢いを削がれ、退く。しかし、弾丸はその体に掠り傷を与えただけだ。
下手だなぁ、我ながら。
威嚇では無く、ちゃんと当てる気だったから情けない限りだが、一先ず難は逃れた。リーダー格の黒犬が逃走するのに従い、大小さまざまな犬達も走り去る。
ほっと一息つくと、改めて辺りに漂う生臭い異臭に気付いた。富岡には最早、嗅ぎ慣れた匂いだ。
犬が屯していた木陰の辺りへ近づき、予想通りの光景を見る。三人分の亡骸があちこち噛み裂かれ、転がっていた。
行き倒れか? 襲われたのか? ともあれ一番驚いたのは、その死体の身なりである。
真っ赤なレインコート、それに丸い仮面。
それぞれがハンティングナイフやマチェットで武装していて、一人はボウガンまで持っている。
「……隅の手下がパトロールでもしてたかな。ちょっとした自警団気取りで」
死体の前で屈み、調べてみる。
犬にやられた傷より、滑らかな一本線を描く刃物の創傷が目に付いた。
あの志賀の死に際の如く、全員が薬物でトリップ状態にあったのかも知れない。錯乱して同士討ちに至ったとしか思えない異様な状況だが、今は優先事項が他にある。
両の頬を掌で叩いて気合を入れなおし、富岡は森の北側、小さな町がある方角へ歩き出した。
乗ってきたレンタカーから最寄りの車道で降り、山林を抜けて密かに近づくつもりが、計算違いも良い所だ。
先程の銃声は遠くまで届いている筈。
侵入者の存在を悟られた可能性大だが、犬にせよ、『赤い影』もどきのパトロール隊にせよ、厳重な警戒を物語っている。どうせ防犯用のセンサー等も、あちこちへ敷設されているだろう。
覚悟の突撃……今更、気にしても仕方ない。
ここは2011年3月11日に発生した東日本大震災の折、炉心融解を起こした原子力発電所から20キロメートル圏内の山中である。
陸奥大学・精神神経医学教室で文恵、正雄と共にダークウェブ版『タナトスの使徒』のライブ動画を見た時、能代臨が拉致された施設の背景が富岡は気になった。
山の端の形に見覚えがある。見慣れた景色の見慣れぬ荒れ姿。その原型は、まだ幼い頃の記憶だ。
富岡の母の実家は福島にあり、中学を卒業するまでは夏休みの間、そちらで過ごすのが習慣だった。
当時、まだ50代の祖父は山歩きが趣味で、インドア派だった富岡も連れて行かれ、東北の山を幾つも登っている。
文恵はライブ動画を取り込んだ静止画を作り、富岡の記憶にある山の名を幾つか聞いた上でインターネットの3D地図サイトと照合。三角測定で位置関係を大まかに割り出し、ライブ映像の撮影地を見つけた。
勿論、近似値に基づく推定に過ぎないが、富岡は「ここだ!」との確信を得ている。
東日本大震災の後、避難区域に指定された場所で、そもそも震災以前から急激な過疎化が進んでいた辺りである。
まして険しい山中だ。人の出入りは殆ど無い。法律や規制を無視し、入り込む事さえできれば潜伏は容易だろう。
富岡は、『タナトスの使徒』サイトの分析継続を文恵、正雄に頼み、二人の警護の為に笠松へ連絡を取った。
ラボのパソコンにウィルス感染の恐れがあり、ボット化の可能性が有る以上、『タナトスの使徒』へのアクセスがサイト運営側に察知されているかもしれない。
五十嵐のマンションが爆破された際の経緯を考えても、何者かに襲撃される可能性は無視できなかった。
富岡自身は捜査本部へ連絡せず、臨が拉致されている場所へ急行する道を選ぶ。
警察内部に隅の協力者がいた場合、捜査本部へ連絡した時点で臨に危害が及ぶかもしれない。だから大学近くでレンタカーを借り、福島県との県境を超え、飛ばしに飛ばしてここまで来たのだ。
元々、決して体力がある方では無く、山道を急ぐ内、体のあちこちが悲鳴を上げた。
普段ならとっくにへたり込んでいる。でも、今日は取り巻く故郷の景色から気力を貰っている気がした。
夕焼けに染まる森は確かに荒れているが、富岡の記憶に在る姿より、むしろ美しい。
人間の過ちなどものともせず、むしろ文明の干渉から解き放たれた結果、荒々しい野生の美を取り戻したかに見える景色の中で、改めて強靭な生命力の営みを感じた。
何時の日か、本当の意味で立ち直った故郷を訪れてみたい。
そんな感傷を抱いたのも束の間、山林を通り抜け、表通りを避けて潜入した町に人影は無く、ゴーストタウンさながらだった。静かすぎて不気味な位だが、本来いてはならない居住者の痕跡が疎らに残っている。
しばらく歩き、動画ウィンドウに現れた屋敷が町中に無いのを確認した。だとすると町外れの施設に臨はいるのかもしれない。
陸奥大学で調べた所によると、この辺りに重度の精神障害を持つ者を全国から受け入れる施設が存在し、震災の十年以上前に閉鎖された筈だ。
人権の思想が広く行き渡っていない時代、社会の役に立たない人間は隔離すべし、との冷淡な態度が黙認されていた時代の遺物と言える。
震災後、一時的にボランティアが集い、精神的トラウマに苦しむ人々をケアする施設として再利用された時期もあった。
隅亮二の目に触れたとしたら、その頃なのだろう。
町から5キロ程先に施設の跡地はあり、もう一回、野犬の群れがいる山林を移動しなければならないのかと思いきや、その必要は無さそうだ。
前方の小学校に明りが見える。
町の規模には不釣り合いなサイズの二階建てで、原発の近くにある事から補助金の恩恵を受けた建物かと思えた。その校門前にホワイトパール色の真新しいセダンが駐車されている。
荒生岳の犯行に使われた車だ、と富岡は直感した。
近付いてみると、夕陽が落ち、暗くなった小学校のあちこちから照明の光が漏れてきている。中に誰かいるのだ。
『赤い影』の一味か、隅亮二本人か……或いは高槻守人、能代臨がここへ移されたのかもしれない。だとしたら陸奥大学のパソコンに、この場所のライブ映像が映し出されている筈だ。
富岡は携帯電話を取り出し、使えるかどうかをチェックした。
大丈夫。まだ基地局へ電波が届く範囲内にいる。
でも増田文恵や伊藤正雄の携帯電話には繋がらなかった。二人は圏外にいるとの事。陸奥大学へ駆けつけている筈の笠松へ掛けても通じない。
三人全員が圏外。どう考えてもおかしい。
ラボ内の状況を『赤い影』側が察知しているとしたら、電話で助けを呼べないよう小細工を仕掛けた可能性も有る。
陸奥大学・医工学科ビルの内線を遮断した上、わざと電波障害を起こして携帯電話も封じるとか……五十嵐のマンションを盗聴、監視、爆破した手口を見る限り、それが可能な技術者は奴らの中に含まれているだろう。
すぐ飛んで行きたい衝動に駆られたが、大学の方は笠松に任せるしか道は無い。臨と守人の救出に専念しようと心を決め、小学校の校門を抜けて中へ踏み込む。
ホワイトパールのセダンはエンジンが掛けられたままで、ボンネットはまだ暖かかった。
誰か使った直後か、これから使う意図があるのか、どちらにせよ校舎には危険な敵が待ち受けている筈だ。
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