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我々は何処へ行くのか? 2

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 富岡は開けっ放しの玄関へ踏込み、下駄箱が並ぶ框から板間へ上がって廊下を進んだ。

 飾られているグロテスクで稚拙な絵画、遺体の欠片を納めた標本や凶器の陳列が嫌でも目に入る。

 それらが意味している所は明らかだ。シリアルキラーに良く見られる傾向、犯罪の記念品=トロフィーの展示である。

 シリアルキラーとは、基本的に極めて孤独な存在。

 他者に知られる事無く、己の抑圧された願望を犯罪の形で吐き出し、秩序型の犯人の場合は痕跡を巧みに隠蔽、無秩序型の場合は現場を蹂躙する。あまりに個人的な願望と強くリンクした犯罪である為、共犯者がいるケースは極めて稀だ。

 だが同時に強烈な自己顕示欲、承認欲求に苛まれ、その矛盾の間で揺れ動く。

 この不気味な犯罪の記念品は、或いはその矛盾の解決法なのかもしれない。シリアルキラー同士が互いの犯罪を誇示し、認め合い、癒しあう或る種の集団セラピーだ。

 でも、加害者の側はそれで癒されたとしても、治療の道具となった被害者達は浮かばれない。

 毎年、多数の行方不明者が出て、その何割かは捜索願が出ず、届が出た者も警視庁のデータベースで公開されるのが関の山。殆ど忘れ去られるのが日本の現状である。

 おそらくここでトロフィーと化した被害者の多くが「殺されている」事実を把握されていない行方不明者なのだろう。

 背筋の寒くなる思いで、富岡は渡り廊下を通り抜ける。





 体育館を兼ねた講堂の照明は消えていた。

 時刻は午後9時の少し前。周囲の視界を確保しておくには月明かりとスマホのライトに頼るしかなく、廊下の明かりが途切れる領域へ入っていくのに勇気が要る。

 富岡は思い切って講堂の扉を開いた。闇の只中を手探りで中程まで進んだ時、いきなり堂内の明かりがつく。

 眩しさにたじろぎ、薄目を開く富岡の視界に入ったのは中央に置かれた丸い祭壇だ。

 その周囲には複数の可動式ビデオカメラが設置されている。更に講堂内でもライブ映像をチェック可能なPC端末と液晶モニターが祭壇横へ置かれていた。

 暗くて見えにくい体育館の四隅は老朽化した部分が剥き出しである為、急ごしらえな印象は否めない。だが、オカルト趣味とハイテクが入り混じり、どれ程の費用が掛かったか富岡には想像もつかなかった。

 ライブの準備は既に万端だ。

 どの角度からも撮影できるよう照明機器が多数固定され、その光の中心、五芒星を描いた祭壇上に能代臨がいる。

 手首と足首をロープで縛りつけられていて、富岡の気配に気づいてこちらを見たが、声は出ない。細長いタオルで猿轡を噛まされている。
 
「能代さん……待ってろ、すぐ縄を解く」

 祭壇へ駆け寄り、富岡は臨の猿轡を取った。手首のロープにも手を掛けるが、何かが動く気配に気づいて辺りを見回す。





 てるてる坊主、てる坊主、あした天気にしておくれ。





 小学校の運動会で使うお古の拡声器を通したような聞きづらい歌声が聞こえた。





 それでも曇って泣いてたら、そなたの首をチョンと切るぞ。





 歌声が止んだ方角、放置された古い跳び箱の陰に身を潜めていた人影が、赤い仮面に覆われた頭を上げ、空洞に似た二つの眼孔を富岡へ向ける。

「招かれざるゲストの御到着か。そろそろ、イベントを始める頃合いだね」

 ボイスチェンジャーで電子音化した耳障りな声に眉を顰め、富岡は汗ばむ右手で拳銃を握り直した。

「お前は、高槻守人か? それとも隅亮二?」

 音もなく立つ『赤い影』は、細い長身が幾つも交差するスポットライトの光条に揺らめき、この世の者と思えない妖しい雰囲気を漂わせている。

「高槻……そんな人間は、もう存在しない」

 祭壇上の臨は、身を固くして声を発することなく、ひたすら『赤い影』の方を凝視していた。

「どういう事だ?」

「日々、変化……いや進化しているのさ、我々は」

「我々?」

「そう。高槻守人と併存していたもう一つの人格にせよ、以前のままではない。十年前の事件から受けた影響を我々の導きで強化し、部分的に守人本来の人格と統合、より望ましい形へ近づいている」

 『赤い影』が歩み寄った先、スチール製の大きなツールボックスがあり、中に金槌、絞首用のロープ、ナイフといった、様々な凶器が納められている。

「どうだい、これ、イイだろう?」

 電子音声に変換されていても、嘯く者の狂喜は声の抑揚から伝わってきた。

「テッド・バンディの金槌、ジョン・ウェイン・ゲイシーのロープ、エドモンド・エミル・ケンパーのナイフ、それに隅亮二の外科用メス……他にも幾つか正確にオリジナルを模した品を用意していてね。その娘にはシリアルキラーの存在を世へ知らしめたパイオニアの手口を、残らず刻もうと思っているんだ」
 
 『赤い影』は金槌を取り上げ、スポットライトの光に翳す。

「ショー・マスト・ゴー・オン!」

 遂にライブが始まったのだろう。

 『赤い影』はカメラの正面に立ち、液晶画面に表示される動画視聴者数を確認。満足げに頷いた後、レンズの向う側、ダークウェブを回遊する閲覧者へ恭しくお辞儀した。

「富岡君、今、どれ程のギャラリーが、どんな思いで我々を見つめているか、君には想像もつくまい。皆が満足するまで時間を費やし、能代臨の白い肌が鮮血で染まっていく美の極致をお目に掛けたいと私は思う」

「あたし、あなたの思い通りになんか、ならない!」

 強張っていた口元に力を籠め、ロープに拘束されたまま、祭壇上の臨が叫ぶ。
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