96 / 105
我々は何処へ行くのか? 8
しおりを挟む迫る守人の一挙一動が、臨には死へのカウントダウンに思えた。
「過去を振り返る意味なんて無い。何故なら、あなたの命を贄とし、彼はこれからも『タナトスの使徒』を率いていくのだから」
晶子の言葉で促され、無造作に振り下ろされる金槌がヒュンと風を斬る。臨は悲鳴を上げ、守人の側から飛び退った。
「うん、イイ声。もっと頂戴」
ワイドショーのディレクターよろしく、艶やかな笑顔で晶子は煽る。
「我々は何処から来たのか?」
いつもの様に守人が呟き始めた。志賀をラボで切り刻んだ時と同じ、冷たい殺意を含む声。
ボイスチェンジャーを通さない生の声なのに、臨が良く知る守人の声とは全く違う響きに聞こえる。
同時に可動式のスポットライトとビデオカメラ、マイクの作動音がした。そのスポットライトの光条と同じだけ、いや、それよりはるかに多くの眼差しが、カメラの向う側から臨の肉体へ突き刺さる。
不特定多数の悪意達。
あたしがどんな酷い死に様を晒すか、ワクワクしながら見物してる。
「我々は何者か?」
守人が虚空へ声を張り上げ、覚束ない足取りで逃げ回る臨の足音、荒い息遣いが講堂内で響く。
晶子は祭壇横のデスクに凭れ、パソコン画面上の『タナトスの使徒』サイト閲覧者数を確認した。
「もっと告知を打っておけば良かったかな? まぁ、良いわ。アーカイブをアップしとけば、後で視聴する会員もいるでしょうし」
世界での閲覧者数は5000を超え、更に増え続けている。
「我々は何処へ行くのか?」
避け損ねた金槌が背中に当たり、悲鳴と共に床へ倒れ込んだ臨を、冷酷な守人の眼差しが捉えた。
「やめて……高槻君……」
まともに声が出ない。よろめく臨は足元が滑り、また床へ手をつく。嫌な感触がして、持ち上げた掌は両方とも真っ赤だ。
傍らには、先程、守人に左胸を貫かれた富岡が目を閉じたまま、小刻みに体を痙攣させており、生暖かい深紅の泥濘が床へ広がり続けている。
「富岡さん!?」
臨の叫びに、富岡は全く反応しなかった。もう既に手遅れで、息絶えつつあるのかもしれない。
「富岡さんっ……お願い、起きてっ!!」
刑事の肩を掴み、揺さぶる臨の右肩を守人の金槌が打つ。
十分狙いすました容赦のない衝撃と痛みが、か細い悲鳴となり、跳ね飛ばされる様に床を転がり、のたうつ。
殺される、本当に……
もう臨も認めざるを得なかった。守人の中で拮抗していた二つの人格は、完全に統合されてしまったのだろう。隅亮二を模す人格が、今度こそ守人本来の人格を完全に呑み込む形で。
這いずり、右手を床につくと、肩に激痛が走る。
堪らず臨が悲鳴を上げた途端、ビデオカメラ、収音マイクが一斉に蠢き、彼女が這いずる先へ回り込んだ晶子も楽し気に聞き耳を立てる。
「そのイイ声を聞くのが、私、前から楽しみだったの」
「……どうして、こんな?」
「ず~っと高槻君を導いてきてね、好む女のタイプは知っていた。あなたはピッタリだったし、犯罪心理学を志す動機を聞き、一層気に入りました。頭の中のお花畑が可愛くて、可愛くて」
かつて見た事の無い熱気が晶子の目に宿り、瞳孔の奥で炎が揺らめく様だった。
「トレーニング・アナリストを引き受けてからの最優先は、彼へ興味を持つよう仕向ける事。キューピットさながら、出会いも演出したわ。ラボのパソコンに『タナトスの使徒』が自動表示される細工をし、あなたが見るよう仕向けたり、ね」
床を転がって逃げる臨を右側から守人が追い詰め、左側に立つ晶子が、肩を踏みつけて上から覗き込む。
「さぁ、過ちを認めなさい。人の心の中に怪物はいない? 冗談じゃない! 理解を超える怪物は何時でもすぐ側にいて、あなたの運命を弄んでいたのよ」
臨は歯を食いしばり、涙がにじむ眼で、下から恩師を睨み返す。
「あ、あたしの心が恐怖や憎しみに負けても、たとえ殺されてしまっても、あたしの全てが間違っていた事にはなりません」
「はぁ?」
「只、あなたの過ちを正す力が、今のあたしに無いだけ」
「うん、一理ある……なんて言う訳無いよね」
晶子の傍らで見下ろす守人へ顔を向け、臨は声を振り絞る。
「弱い自分が悔しいけど、それでもあたし、あなたを信じる!」
「……臨」
「あたしには取り戻せなかった、あなたの中の守人、その本当の気持ちを信じたまま死にたい」
強く見開く臨の瞳から涙が零れ落ちた。
でも、真っすぐ視線は逸らさない。
その眼差しに捉えられたまま、守人の表情が微かに緩む。
「呆れたよ。何処まで前のめりなんだ、君って」
「……え?」
臨がポカンと口を開けた瞬間、彼女を狙っていた筈の金槌は素早く翻って、晶子の右腕を打つ。
完全に意表を突いた一撃により握っていたスイッチボックスが吹っ飛び、晶子は激痛に呻いて、床へ膝を付いた。
突然の裏切り。
臨はポカンと口を開けたまま反応できず、顔を上げた晶子を、動くな、と守人の凶器が威嚇する。
「そんな馬鹿な!? 人格の統合は為されたのよ! 以前のお前は消滅した筈」
「判らないか、先生? 心の統合は終わったけど、それは隅亮二やあなたの思い通りには進んでいない。高槻守人が主となり、二つが統合されたんだ」
「平凡な青年の意思が、隅亮二の影響力に打ち勝ったと言うの!?」
「勝ったんじゃない。あなたが教えてくれたろ。分裂した自我もあくまで僕の一部に過ぎない、と」
金槌を投げ捨て、守人は笑った。
「二つの人格に共通する、捨てきれない思いがあったんだよ。隅の執念にも劣らない、自分勝手な僕の執着。それが何か、わかるかい?」
晶子は無言で首を横に振る。
「アンタらのお陰で、親を失くした10年、友達は一人もいない。隅が傍にいても、あんたがいても、僕は一人ぼっちで、何かに飢えてた」
臨も息を呑み、守人の言葉に耳を傾ける。
「絶対的な孤独、絶対的な心の乾き……僕だけじゃない。僕の中にあるもう一つの心も酷く飢えたまま、出会わされた相手が……」
話の途中、急に守人は噴き出した。
ゲラゲラ。
臨の方へ向き直り、大声で、腹を抱えて笑う。
「高槻守人、何がおかしい!? 私を愚弄しているの?」
喚く晶子の表情は、怒りと動揺で歪んでいる。
「いや、だってさ。東京で拉致してからの臨と来たら……ひでぇぜ。やる事なす事、トンチンカンのすべりっぱなし! アンタは臨を「作った」と言うが、ありゃ無理だ。根っからの天然は作れない」
監禁施設でのやりとりを言っているのに気づき、殺されそうな恐怖そっちのけで、臨は頬を真っ赤に染めた。
そりゃまぁ、刑事コントとかやりましたけど、あれは一応、狙いがあるのよ。ウケを狙った訳じゃないもん。
若干、涙目で守人を睨むものの、この期に及んで臨が反論しても虚しい。余りに虚し過ぎると自分で思う。
「僕も、僕の中にいる奴も、一緒に笑わずにいられなかった。笑って、呆れて、いつの間にか、飢えは消えてた。想定外だろ、先生? 他は全然違っていても、心の真ん中にある何かが同じなら、両者が歩み寄るのは不可能じゃなかったんだ」
「あり得ない……あり得ないっ!」
逆上した晶子は半身を起こし、スイッチボックスの方へ手を伸ばすが、ヒョイッと横から出た手が一足早くボックスを掴む。
「お生憎様、先生」
倒れていた床からドッコイショっと体を起こす富岡の左胸辺り、相変わらず血が滴っている。
でも、どうやら急所は逸れていたようだ。蒼白な顔色ながら、飄々とした能天気な微笑が蘇っている。
「生きていたのか、お前も!」
「あ~、得意なんだよねぇ、俺、昔から死んだふり」
ふっと富岡が守人の方を見やり、肩を竦めて見せる。
左胸を刺されるまで、会話する余地など全く無かったのに、何時、二人の間に意思の疎通が図られたのだろう?
「嫌だ! まだ、諦めない! こんな事で、私は」
憎々し気な眼差しが、富岡から臨の方へ移った。力を振り絞って飛び掛かろうとする晶子を、守人が阻む。
蹴り倒し、懐に忍ばせていた古いメスを彼女の体へ突き立てた。
一度、二度……高く血飛沫が上がり、這いずって逃げる晶子をゆっくり追う守人は鼻歌を歌っている。
てるてる坊主、てる坊主、あした天気にしておくれ。
臨は、改めて思い知らされる心境だった。
来栖晶子の思惑通りに行かなかったとは言え、殺人鬼の種子は今も確かに守人の中で息づいている。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
秘書と社長の秘密
廣瀬純七
大衆娯楽
社内の調査のため、社長・高橋健一はこっそり秘書・木村由紀と不思議なアプリで入れ替わることに。
突然“社長役”を任された由紀と、自由に動ける立場を手に入れた高橋。
ふたりの秘密の入れ替わり作戦は、どの様な結末になるのか?
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる