雪つぶて、高く 或る家族のエンディングノート

ちみあくた

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 叔父夫婦と一緒に入ったイートイン・レストランでは、併設されたパン屋からそれぞれ好きな物を選び、コーヒーや紅茶を追加注文して先に支払いを済ませるスタイルになっていて、思ったよりメニューは豊富だった。

 達吉の他愛無い世間話、父の思い出話などが繰り返されたが、好幸は調子を合わせるのが精一杯で、笑顔を作るのにも苦労した。

 母が妻に何を言ったのか、どんな言葉で傷つけてしまったのか、気になって仕方ない。でも、達吉達の前で母に詰問する事も躊躇われる。
 
 内心悶々としている内、一時間余りが過ぎ、レストランを出て、病棟へ向う途中で我慢の限界が来た。

「母さん、円に何を言った?」

 耳元で囁くと、きょとんと俶子は好幸を見返した。

「子供の事で、あいつを責めたのか? 孫の顔を見せられなかったのは、あいつのせいじゃないぞ」

「わかってるよ、そんなの」

「じゃ、何で円は泣いたんだ?  簡単に涙を見せる奴じゃない事、母さんだって知ってるだろ」

 段々、声が荒くなり、少し前を歩いていた叔父夫妻が驚いた顔で振り返る。
 
「息子のお前が説教する気!?」

 母は好幸を睨み、周囲の誰もがこちらを見る程の大声で叫んだ。

「母さん!」

 問い詰める言葉は失敗だと自分でも思った。今の母は昔と違う。苛立ちが昂じたら、そのまま自制が効かなくなってしまう。

 落ち着かせようとする間もなく、母は小走りで病棟の方へ向った。
 
 あまり足が上らないすり足で歩速だけ速めたものだから、タイルの継ぎ目の微かな段差につまづいて、
 
「あっ!」

 と声を上げながら、渡り廊下の床へ膝をついてしまった。

 膝頭を強く打ったのだろう。中々立ち上がれず、通りかかった看護師の力を借りて整形外科へ運び、お医者さんに診てもらう。

 打撲は軽傷で処置も簡単に済んだ。でも痛みが残っているらしく、母は早く家で休みたいと言った。

 取り合えず叔父夫婦に母を預け、好幸は一人で先に父の病室へ戻って、円に成り行きを話してみる。
 
「私がお母さんと一緒に家へ戻ります」

「でも、気まずくないか? 何かあったんだろ、母さんと」

「何でもない。それにあなた、お父さんの側にいたいでしょ、今夜はずっと」

 好幸は頷いた。
 
 病院側から今夜を持ち応えるのは難しいだろうと告げられており、その事を円にだけ伝えている。
 
 夜中の父の発作はきつい。
 
 苦しみ悶える姿を母には見せたくない。少なくとも看護のストレスで押しつぶされそうな今の母には。
 
「お母さんの事、任せて下さい」

 無言の母に肩を貸して病院を出る円の背に、好幸は手を合わせたい心境だった。





 母と円が帰宅し、叔父夫婦も予約してある宿へ向い、好幸一人が付き添う夜を迎えてから幹雄の容態は急速に悪化した。

 激しい発作が僅かなインターバルをおいて襲う様になる。その発作の度、確実に父の命が削られていくのが判った。
 
 勿論、覚悟はしている。

 このナースセンターに最も近い病室へ送られたと言う事は、即ち死から逃れられないと言う事。医師も、看護師も、口に出さず気遣ってくれるが、もうすぐ父の人生は終わるのだと気配で伝えてくる。
 
 彼らにとってそれは数え切れないほど繰り返された仕事の一局面に過ぎない。だが、好幸の覚悟は発作の度に揺さぶられた。

 少しでも落ち着きたくて、発作が起きた時刻をメモし、間隔を比較する。最早、いつものルーティンで、これをやらないと落ち着かない。

 メモ帳が一冊、細かく書き込まれた時刻の表記で一杯になっている。

 例によって、その数字の間隔が徐々に短くなっていった。

 バイタルデータを示す機器のアラームが鳴り響き、苦しむ父の体を抑え込む度、何故だか、あの夢の光景を思う。





 白い雪の層に埋まり、又、その上の黒い空へと持ち上げられ、次の瞬間には放り出される幼き日の記憶。
 
 楽しかったけれど、あれは生と死の紙一重、ギリギリのライン上を綱渡りするのにも等しい体験だった。
 
 父の命も又、死の淵へ沈み、抗い、辛うじて持ち直す反復の最中にある。限りなく細くて、いつ切れるかも判らない命のラインを綱渡りしていく。
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